切れ切れ爺さんの徒然撮影&日記

主に寺院や神社等を中心に、文化財の撮影と紹介。
時に世の中の不条理への思いを発言していく。

紅葉2019 双林院(山科聖天) 京都市山科区・・・こんな所があったのか

2020-01-05 22:41:40 | 撮影
山科聖天(双林院)



 正月は過ぎたが、昨年の紅葉写真はあと少し残っているので、早くアップしてしまうつもりだ。
 12月中旬のこの日は山科区の山科聖天へ行く。有名なは毘沙門堂門跡の駐車場横の道を少し奧へ入ると、終わりかけの銀杏の黄色が目に入る。すぐ前に山科聖天の門がある。正式には双林院と言う。
 ここの存在は知らなかったし初めてだ。毘沙門堂は何度も来ているが、まさかこんな所に紅葉の名所があるとは思いもしなかった。もうすでに残り三分ぐらいだったが、最盛期には見事な紅葉に覆われているようだ。今年は是非、紅葉真っ最中に訪れようと思う。
 周囲は山間の小川が流れ、その脇にある。境内は決して広くはないが山の麓に沿って広がる。本堂や不動堂などの建物が所狭しと並んでおり、本尊の不動明王を直接見ることができた。中が暗いので撮影した写真は手ぶれで残念な結果になっているが、一応掲載しておく。
 シーズン終了ということで境内には2~3人しかいなかったが、地元周辺では結構知られたお寺のようだ。お年寄りのハイカーたちが横の道を歩いて、さらに奥の方へ登って行った。
 駒札にある由緒書きを読んでいると歴史的には比較的新しい方になるが、様々な歴史上の有名人物も登場しており、相応に歴史的な役割を果たしてきたお寺でもあるようだ。くれぐれも紅葉がほぼ終わりの時期となってしまって残念だった。



『護法山双林院(山科聖天)
昆沙門堂門跡塔頭の一院で護法山双林院という。
 寛文五年(一六六五)後陽成天皇の勅により徳川家より安祥寺の寺領の一部を与えられ毘沙門堂と共に建立された。
 当初、本尊は湖東三山の西明寺より迎えられた阿弥陀如来てあったが、のち聖天堂を建立し、毘沙門堂門跡公遵法親王ご念持仏の大聖歓喜天(聖天)を賜り本尊とした。
 その他、武田信玄など多くの信徒や寺院から奉納された聖天像も約七十数体合祀し、その数は 他に類がなく、願いのかなう霊験あらたかな山科聖天として広く信仰されている。
 正面には不動堂があり、堂内で大護摩の焚ける特別な構造をした建築物で、本尊の不動明王は比叡山無道寺谷より迎えられた多数の仏像を巧みに組み合わされた大変珍しい像を安置している。
 頭部は愛染明王と馬頭観音、さらに頭の頂点に楊枝の形状の部材が約百本入っている。
 織田信長の比叡山焼討ちにより損傷した仏像を不動明王として蘇らせたものであると言われている。
 京都市』  (駒札より)

     

『護法山  双林院  由緒(通称 山科聖天)
当院は毘沙門堂門跡塔頭の一院である。毘沙門堂は、寛文五年(一六六五)後陽成天皇の勅により徳川家から安祥寺の寺領の一部を与えられ、天海大僧正、公海大僧正に至って現地 に再興された。当院も同年に建立された寺院である。当初、本尊には湖東三山の西明寺より迎えられた阿弥陀如来(藤原時代作「光坊の弥陀」と称す)を安置するが、のち明治元年に聖天堂を立し、門主の公遵法親王御念持仏「大聖歓喜天」を賜り本尊とした。 そのほか武田信玄や多くの信徒や寺院から奉納された聖天像を七十数体合祀し、願いのかなう霊験あらたかな「山科の聖天さん」として広く信仰されている。正面には不動堂があり、堂内で大護摩が焚ける、特別な構造をした建築物である。比叡山の千日回峰行者であった 二十四代住職が、明治十六年に比叡山無動寺より勧請された不動明王を安置する。』
  (説明書きより)

    
コメント
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