しかぜきょうこの1日1枚+

スペイン在住フラメンコ研究家/通訳コーディネーターによるフラメンコCD紹介

第22回 ケタマ「ケタマ」

2005-11-04 20:08:29 | そのほか
ケタマって解散しちゃったんですよね、去年だっけか?
なんかすごーいヒットもとばして一挙に知名度あがったのは
アルバム「デ・アキ・ア・ケタマ」(1995年)からですね。
ローラ・フローレスが亡くなってすぐに息子で歌手のアントニオ・フローレスが亡くなって
ちょうどそのアントニオが参加してたんで話題になったんじゃなかったかな。
でもそのまえの90年の「。。。イ・エス・ケ・メ・アン・カンビアド・ロス・ティエンポス」の「ロコ」とか、
ホセ・ソトが脱退した1枚目「エル・アルテ・デ・ロ・インビシブレ」(93年)の
「ベンゴ・デ・ボラチェーラ」とか、
その前の「ソンガイ」にはいってたんだっけかな、の「ベンテ・パ・マドリ」とか
それなりに流行ってはいたわけだけど、やっぱ、ブレイクは95年だろーなー。
そのあとのころのコンサートにいったんだけど
いや歌っている曲はそんなにかわんないのに客は多くてもりあがるし
なんだかな~、と思ったことをおもいだします。。。

で、そのデビュー盤が「ケタマ」であります。
もともとタブラオ、カナステーロスで踊りの伴奏ギターを弾いていた3人、
マヌエル・ソルデーラの4男ホセ・ソト、フアン・アビチュエラの長男フアン・カルモナ、
そして踊り手ホセーレの息子で、姉はそれぞれエンリケ・メルチョール、エンリケ・パントーハ、
ビセンテ・ソトと結婚しているという(職場結婚ですね)
フラメンコ一家出身の3人にフアンの弟アントニオが加わってできたんですね。
タブラオでの待ち時間とかにあーでもない、こーでもないといろいろ
自分たちの音楽をつくっていったのがこのアルバムになるんですね。

でたのは1985年。
大ヒット以降のケタマしか、つまりアントニオ・カルモナがボーカルをつとめていたケタマしか
知らない人だと、あれって思うかも。
ボーカルは主にホセ・ソト。たまにホセ・エレディア。
あ、このホセ・エレディア、父同様にホセーレとよばれたりもしますが、
後にライ・エレディアの名でソロ・アルバムをだし、その直後に急死しました。
(このライについてもまた書かねばだわね)
またヒットの原動力のひとつであろうと思われるサルサ/ラテン風味もほとんどなく
後期のものに比べるとめちゃフラメンコであるんですね。
でも、めちゃフラメンコ、とは今だからそうきこえるわけで
当時は、これはフラメンコなんかじゃない、っていうふうに思った人が多かったんですね。
音も後期のものにくらべるとめちゃ手作り風。
フアンの叔父ペペ・アビチュエラやヘレスの御大マヌエル・モラオ(モライートの伯父ね)が
参加してたりするし。
後にコンプリセスでヒットしたテオ・カルダルダがキーボードとかいれてる。

基本的にポップスの感覚が入ったフラメンコ、って感じでしょうか。
ホセ・ソトはフラメンコの歌い手としての声がなかったので
こういうフラメンコができたのかもしれませぬな。
カンシオン風、でもフラメンコ。

「メ・ジャマ」はフラメンコたちのあいだで大ヒットとなり、
今でも踊り伴唱等でよく歌われていますよね。
今ではスタンダードなかんじだけど、あの頃はすごく新鮮だったんです。
「ドーモ・アリガト」は日本から帰ってきたばかりのライがつくった曲だったそーだ。
ライはまもなく抜け、ペペ・アビチュエラの息子ホセミ・カルモナが入り、
やがてホセ・ソトが抜け、アビチュエラ家3人になったわけ。

彼らのヒット曲もきらいじゃないけど、
やっぱこのアルバムが一番好きでしっくりくる感じがします。
実は彼らと同世代なんで、そーゆーのもあるかもしれない。。。

あ、もう20年もたつんだものなあ。。。