鮎の俳句日記

その日の徒然を載せていきます

句鑑賞 寒紅

2012-03-07 18:23:36 | 句鑑賞 Ⅰ(土)






        寒紅や鬼火が程のうらみごと



           柴田由乃




好ましいことではないが
この世はうらんだり 恨まれたりの業を積んでいきているのが常である

全然人をうらんだことの無い人は幸せである
しかし そういう人でも
一度も人に恨まれたことがないかどうかとなると
自信がもてないのではないか。

この句の核心は「鬼火が程のうらみごと」と言ったところにある

鬼火とは「火の玉」「陰火」「ゆうれいび」をさす
この句のすごさは
なんといっても「鬼火」という言葉の迫力が一番大きい

そこに「うらみごと」が連なり
その上に「寒紅や」と駄目が押されているのだから
この句にはとてつもない作用がある
(とくに評者には 恐ろしい)

その作用を中和するように 「鬼火が程の」と言われてである

これによって もしかしたら
鬼火が程の「小さなうらみごと」のことを言っているのだろう と一時読者を安心させるが
しかし 本当はは「ちいさい」のではなく
鬼火のように不気味に燃える「うらみごと」かもしれないのである。

身口意の三業と言う言葉をご存知だろうか
「体と言葉と心の行い」 と言う仏教語である

仏教では
この (過去から現在に至る)三つの行いがその人と
その人の現在と未来の環境を形つぐるというのである。

したがって 現在の不幸を嘆く前に
自らの行いを反省し 新しい業の種をまかぬよう
三業を清浄にせよ というのが 仏陀の教えなのである

己の思念と言葉と行為で人を傷つけず
人の助けになるようにせよ いうのだから
これが できれば だれもが仏である

その意味で 揚げ句は 仏になれぬ わが身を
女人なるが故の業をなげいた句ともとれる

言葉と行為の元となるのが心 思念である

だから 
まず第一に心を清浄に保たねばならない
しかし 心というのはゆらゆらととられどころがない
従って 良い心にはよい言葉と よい行為を添えてやるのがよい

仏像の手の印は 実は思念調え心を鎮める効果もあるのではないか
それは 仏の手の印と同じ形を作ってはたして悪念を抱けるかどうか
実験してみるとよいが しかし もしかしたら ことは
それほど簡単なことではないのかもしれない。




今津 大天

「つちくれ」句鑑賞より




柴田由乃氏と今津大天氏はご夫婦です。
柴田先生は 若いころからのお名前で句を発表されていますので
れっきとした ご夫婦

(とくに評者には 恐ろしい)

由乃先生は 歯に絹をきせぬ言い方はされますが
心は お優しいかたです。

(とくに)に つい にんまり してしまいました。

鬼はどこにも いるものらしい。
今年も一年無事に暮らせますように。




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