鮎の俳句日記

その日の徒然を載せていきます

神 仏

2012-04-04 21:10:57 | 句鑑賞 Ⅰ(土)




  白魚飯神も仏も吾の味方


       柴田由乃  平成14年




これは本質的に神仏との付き合いの深さの問題である。
人間でも付き合いの深い人の言うことは
簡単に信ずることができるし
また そう信じても大きな間違いてはない。
それと同じことが神仏とのつきあいについても言えるのではないか

いつも 神仏のことを考えている人
そういう人なら
神仏が現れてもすぐに感応可能だろう。
また いつも神仏の助けを求めている人も
簡単に神仏に感応できるだろう。

こういう経験を重ねて行くなら
神仏と親しい関係を結ぶことも 不可能ではない。
問題は神仏が具体的な人間の味方になるかどうかだが
これは神仏と人間の間に友情が成立すれば 可能だろう。
また、そうでなくとも阿弥陀如来なら
だれでも 助けてくれるはずである。
このことが 確信できるなら
「神も仏も吾の味方」との
断定表現はけっして大げさでも荒唐無稽でもない。

今津大天
俳句の対話術より





神 仏はあるという
それも いつも 私の味方であるという。

人はいつでも 頼りたいものがあります。
神仏にそれを求めるのは当然の人の行い

阿弥陀さまは いつも みていてくださるのです。

教えられた気がいたします。


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