わが家とは
子どもにとって 建物をさしていうのではなく
・・・ 母親がいることなのです。
母がいるから 「うち」なのであり
母が待っているから 「うち」なのです。
母のいない「家」は
不気味な「心」のない冷たい空洞の世界にすぎません。
そして
子どもは この「うち」があるからこそ
・・・ 「外」へ向かって出かけてゆく勇気がわいてくるのです。
高校や大学にゆくようになっても この子の心は変わりません。
夕食をとらずに自分を待ってくれる母があり
出先に心配して電話をかけてくれる「うち」の母がいるからこそ
・・・ 彼らは 「外」の生活を楽しむことができるのです。
* 2010.11 東ブータンで
子どもにとって 建物をさしていうのではなく
・・・ 母親がいることなのです。
母がいるから 「うち」なのであり
母が待っているから 「うち」なのです。
母のいない「家」は
不気味な「心」のない冷たい空洞の世界にすぎません。
そして
子どもは この「うち」があるからこそ
・・・ 「外」へ向かって出かけてゆく勇気がわいてくるのです。
高校や大学にゆくようになっても この子の心は変わりません。
夕食をとらずに自分を待ってくれる母があり
出先に心配して電話をかけてくれる「うち」の母がいるからこそ
・・・ 彼らは 「外」の生活を楽しむことができるのです。
* 2010.11 東ブータンで