いつ、どこで釈尊は、「自己探求」を若者に呼びかけたのでしょうか。
釈尊が35歳の12月8日に正覚をえてから程ないある日、ウルヴェーラの村に向かう途中です。この村は釈尊にとって思い出深いところでした。
苦行に疲れきった身を洗い、極端な苦行をすてて悟りを開かれたのも、この村のかたわらを流れるネーランジャラー(河)のほとりでした。
そこで彼は若者に声をかけられる。
「女性をひとりみかけませんでしたか」
みると男女数十人がいる。彼らはそれぞれ妻を伴い遊びほうけていたのでした。
ところが、ひとりだけ未婚だったので遊女をつれてきた。そしてみんなが遊びたわむれている間に青年の持物を盗んで逃げたというのです。
若者たちは その女を血眼になって探していたわけです。
釈尊は青年たちをじいっとみつめながらいいました。
「若者たちよ、君たちは、その女を探しだすことに真剣になるよりも、もっと探さねばならぬ大事なものがあるのではないか。君らは、女を探すのと自己を問いたずねることと、どちらが大切だと思うか」 (つづく)
* 2010.11 東ブータンで
釈尊が35歳の12月8日に正覚をえてから程ないある日、ウルヴェーラの村に向かう途中です。この村は釈尊にとって思い出深いところでした。
苦行に疲れきった身を洗い、極端な苦行をすてて悟りを開かれたのも、この村のかたわらを流れるネーランジャラー(河)のほとりでした。
そこで彼は若者に声をかけられる。
「女性をひとりみかけませんでしたか」
みると男女数十人がいる。彼らはそれぞれ妻を伴い遊びほうけていたのでした。
ところが、ひとりだけ未婚だったので遊女をつれてきた。そしてみんなが遊びたわむれている間に青年の持物を盗んで逃げたというのです。
若者たちは その女を血眼になって探していたわけです。
釈尊は青年たちをじいっとみつめながらいいました。
「若者たちよ、君たちは、その女を探しだすことに真剣になるよりも、もっと探さねばならぬ大事なものがあるのではないか。君らは、女を探すのと自己を問いたずねることと、どちらが大切だと思うか」 (つづく)
* 2010.11 東ブータンで