気の広場

気の世界あれこれ・・・
  日常雑感あれこれ・・・

交わりの世界 ・・・ ② 視点

2010-06-19 14:40:11 | Weblog
いうまでもなく

人はそれぞれ

  自分の視点で生きています。


視点は

  その人の生き方のパターンでつくられます。


自分の視点のみが正しくて

他の視点の存在を認められない人 ・・・ は 孤独です。


同じ視点のものどうしが出会い

  人間関係を形成することもありますが

偏った性格の世界となり

  排他性を帯びる ・・・ ものです。


そこからは

  ・・・ 健全な人間的成長は望めません。


ゆたかな交わりの世界を育てるには

多くの異なった視点とも共感しうる 幅の広さ

 あるいは 柔軟さ がなければなりません。


だからといって

あちらの視点 こちらの視点とフラフラするようでは

  ・・・ 自らの主体性がなくなります。


しっかりした自分の「眼」をもちながらも

さまざまな視点と交流し

レーダーの性能を高めていかなければなりません。


しかし

日本人の一般的傾向として

同じムラ同士のものが肩を寄せあい

  意識を閉じてしまう ・・・ ことがありますね。









 

交わりの世界 ・・・ 広げる

2010-06-19 08:07:31 | Weblog
人生がゆたかであるかどうかは ・・・

その人の交わりの世界が

  どのていどのスケールか

    ・・・ にかかっていると思います。


交わりの世界の貧しい人は

  視点がそれだけ狭く

    ・・・ 偏ってしまいます。

その人の意識が閉鎖的だからそうなってしまう

    ・・・ とも考えられますね。


「類は友を呼ぶ」といわれるように ・・・
 
人は

無意識裡に交際の輪を広げていくと ・・・

よくもわるくも自分の波長に似たものと

  交わりの世界をつくりあげる傾向をもっています。


よく

じぶんのまわりにどうしてくだらない人がくるのだろう

  ・・・ と嘆く人がいますが

これなどは

自分で自分の首をしめることば ・・・ です。


人は

自分のていどの人間関係 ・・・ しかつくれません。

それだけに

うかつに生きていると

偏った世界のなかで

  お山の大将になる危険性 ・・・ がつねにあります。

それだけ

生きかたのレーダーが狂いやすくなる ・・・ のです。


交わりの世界を広げる ・・・ ということは

たくさんの人の視点とつきあう ・・・ ことを意味します。










いかに生きるか ・・・ いかに死ぬか 

2010-06-19 06:57:53 | Weblog
人間 いかに生きるか

  というテーマの裏側には

いかに死ぬか

  という問題がかくされています。


「死」という冷厳な事実を

  だれもが将来に迎えるのは

    ・・・ いうまでもないことです。


「生」をむさぼることに狂奔し

    ・・・ バランス感覚を失うことで

私たちは

  自分の 進む方向 を誤らないよう

              ・・・ 心がけたいものです。





古希(こき) ・・・ 真意 

2010-06-19 05:53:04 | Weblog
昔から

七十歳を「古希」といいます。


古希とは

古来稀(まれ)という意味です。


これは

生きている人が

古来稀という意味ではありません。


ナニ今どき ・・・

軒並み七十歳くらいまでは生きていますから

        ・・・決して古来稀ではありません。



この古希ということの真意については

江戸時代の川柳に

  「七十にして立つ隠居古来稀」

        ・・・というのがあります。


・・・ これなのですね。

これは

少なくとも男にとっては

  身に答える事実である

        ・・・ ことは間違いありません。