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あの頃、日本は 1962年

2010-03-02 16:59:11 | 音楽(懐かしの曲)
夢のデイト Someone Else's Boy(Japanese)


あの頃、日本は1962年 
この年初めて‘スモッグ’という言葉がマスコミに登場。高度成長による産業の発達は都会に大気汚染をもたらし、人々の健康を害する深刻な問題として取りだされた。

又、妊娠のつわり緩和剤サリドマイドの副作用による奇形障害が大きく報道され、人々に衝撃を与えた。此れがきっかけとなり、翌年には日本で最初の薬害訴訟が始まる事になる。

日本経済は、さらなる発展の為に‘水よりも安価’なエネルギーの安定供給を必要とした。石炭から石油への転換は当時の世界的な流れとなりつつあった。

日本はいち早く‘エネルギー革命’7月には世界一のマンモスタンカー(日章マル)が進水し、中東と日本間の石油輸送に活躍した。その一方で、各地で炭鉱が閉山され栄華を誇った炭鉱街は合理化の波にのまれていった。

国民の生活も豊かになってゆく、テレビ保有台数が1000万台を突破し本格的なテレビ時代に突入。ブラウン管の中では前年「スーダラ節」ヒットさせたクレジーキャッツが大活躍。高度経済成長の入り口にさしかかり 「人並み」の生活をしょうと悪戦苦闘する人々に痛快な笑いをもたらした。

国内のヒット曲、五万節 クレイジーキャッツ、いつでも夢を 橋幸雄、吉永小百合  遠くへ行きたい  ジェリー藤尾  ハイそれまでよ 植木等、等

アメリカではツイスト・ブームが吹き荒れた1962年、コニーフランシスを初めとする女性シンガー達の歌がヒット・チャートに相次いで登場。同時に、2004年に亡くなったレイ・チャールズ(トランペット&歌手、ジャズが主)がカントリー&ウエスタンにアプローチしたアルバムを発表、シングル(レコード表に1曲、裏に1曲ドーナツ版)「愛されずにはいられない」とともに大ヒットさせ、大きな話題となった。イギリスではビートルズがデビューしていたものの、まだ世界的には無名の存在だった。

日本では其れまで人気をよんでいた各種のスクリーン・ミュージックやミュージカルから生まれた作品が人気を継続し、この年もポップ・シーンの中核としファンの熱い支持を受けた。

国内の洋楽 1962年代表される10曲 当時レコード、ドーナツ版
達者な歌と危険な感じの詩が不思議な曲に
夢のデイト     コニーフランシス

ライオンは寝ている ザ・トーケンズ

太陽はひとりぼっち  コレット・テンビア楽団 映画主題歌

ロコ・モーション  リトル・エヴァ

悲しき街角     ニール・セダカ

可愛いベイビー   コニー・フランシス

禁じられた遊び   ナルシソ・イエべス

スピーディ・ゴンザレス  パット・ブーン

アル・ディ・ラ      エミリオ・ぺリコーリ 映画主題歌

リバティ・バランスを射った男  フェアマウント・シンガーズ

シングル ドーナツ版 当時350円位学生時代の思い出。

ウエスト・サイド物語 サウンド・オブ・ミュージックなど60年代ハリウッドから世界に華々しく登場を果たした夢のミュージカル映画。歌と映像が融合した活気あふれる世界に引き込まれ、そのファションや音楽に誰もが魅了された。(デアゴスティーニ参考)

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