広大な岩手県を南北に貫いている道は、国道4号、国道45号、東北自動車道であるが、もう一つあまり使われないが陸前高田市から青森県八戸市を結んでいる国道340号もある。なぜ使われないかというと、北上山地の中央を走っているため大きな市街地はほとんどなく、裏道として活用されることはあっても、たまたま340号を走ったよ、というくらいで記憶に残ることもない。
しかし、東日本大震災の折には沿岸を走る国道4 . . . 本文を読む
朝、関門海峡を通る船舶の汽笛の音で目が覚めた。海上は霧が出ているのだろうか、霧笛といわれる長い物悲しいような音がホテルの窓から聞こえてくる。 大船渡湾をいつも家から見ているので、汽笛は珍しくはないのだが、大船渡湾と違って通過する船舶の数が半端ない。大船渡湾は漁船が多く、貨物船は太平洋セメントに物資を運んでくる大きな船だが数は少ない。しかし、関門海峡は日本海と瀬戸内海、太平洋を結んでいるので、貨物船 . . . 本文を読む
本来なら、千葉に着いたらその足で横須賀に行くはずだったが、欠航により1日千葉で過ごすことになった。次の日は台風一過の晴天で、朝から日差しが強かった。雨で濡れたものを乾かしたり、今は空き家となっている千葉の家の大掃除をしたりして過ごした。新型コロナに感染しないよう、スーパーや人の集まりそうなところには行かないように注意した。
千葉の自宅を出たのは20時だった。首都高の千鳥町ICを目指したのだが、以 . . . 本文を読む
いつの日か九州をツーリングしてみたいなぁ、と思っていたが、岩手から九州までの片道1600kmという距離を思うとなかなか踏み出せないでいた。 先日、九州方面行きのフェリーボートを検索していたら、東京九州フェリーというのが目についた。2021年7月就航とあり横須賀と新門司を結ぶらしい。首都圏から九州までフェリーで行けるなら、片道1000kmは楽をできることになる。
九州へ行ってまずしたいこと、それは . . . 本文を読む
三陸海岸はウニが名産で、新鮮なうに丼がどこでもリーズナブルな値段で食べられる。ここ大船渡ではウニのことをカゼと言ったりするが、一年中いつでも採れるわけではなく、6~8月が漁期で解禁日だけ漁が許されている。そして、解禁日のことを「口開き(くちあき)」といい、明日はウニの口が開(あ)いたぞ、となるとウニ漁の準備が始まる。
ウニ漁がおこなわれる碁石海岸付近
早朝の5時に口が開くので、漁業権を持ってい . . . 本文を読む
五葉山の登山口がある赤坂峠には一昨年5月に出かけたが、今出山、氷上山と登ってみたら「案外今の体力でも登れるかも!」と登山することに自信がつき、五葉山にも登ってみたくなった。
7月の方が天候が安定しているかなぁ、と思っていたら、女房が「真夏より梅雨時の方が涼しくていいんじゃないの」と言うので、それもそうだなぁと思い、登山道などの情報を集め始めた。
私が愛読しているのは、山と渓谷社の「岩手県の山」 . . . 本文を読む
大船渡市民にとってふるさとの山は今出山であるが、お隣の陸前高田市には氷上山(ひかみさん)という山がそびえている。高さは874mで、茨城県民の誇りである筑波山877mと同じくらいの高さである。
先日、今出山に登った時、真向かいに氷上山が見えたので、次はあの山に登ってみたいと思った。
いつも自転車で走っている国道45号の通岡(かよおか)峠に登山道入り口の標識が立っているが、入口から中へは通った . . . 本文を読む
いつの間にか6月になっていた。アスピーテラインの雪の回廊を見たいと思っていたが、機会を逃してしまった。だが、アスピーテラインには「ドラゴン・アイ」という名所があることを知り、こちらなら6月でも見られるというので、晴天の日を選んで出かけた。
今回はアスピーテラインがメインなので、高速を使いサクッと松尾八幡平ICまで行くことにした。途中の紫波SAで給油したのだが、その時トリップメーターのリセットねじ . . . 本文を読む
一昨年の夏に、近くにある今出山に登ってみたくなり、行ってみた。標高は756mと高くはないが、今出山の山頂には、いろいろなアンテナが立っており、大船渡市民にはポピュラーな山である。何しろ海に近いので、海抜0mからの登山となり、標高の割には結構な登りとなる。
林道今出甫嶺(いまでほれい)線入口
市街地から6kmほど林道を登り、ようやく登山口分岐にたどり着いた。入口は舗装され . . . 本文を読む
すぐにでも八幡平アスピーテラインのリベンジをやりたかったが、なかなか通行止めの解除がなされないので、3月に開通したという宮古~盛岡道路を走ってみようと思いついた。
東日本大震災から10年がたつ今年春、ついに仙台市と青森県八戸市を結ぶ三陸沿岸道が普代(ふだい)IC~野田ICと田野畑の一部分を残して開通した。(予定では令和3年春に全開通する予定だったが、トンネルの地盤が弱く、予定通りには工事が進まな . . . 本文を読む