FZXな日々

YAMAHA FZX750を 旅の友として 気ままなツーリングの記録

九州ツーリング~その1

2021年08月22日 | Weblog

いつの日か九州をツーリングしてみたいなぁ、と思っていたが、岩手から九州までの片道1600kmという距離を思うとなかなか踏み出せないでいた。 先日、九州方面行きのフェリーボートを検索していたら、東京九州フェリーというのが目についた。2021年7月就航とあり横須賀と新門司を結ぶらしい。首都圏から九州までフェリーで行けるなら、片道1000kmは楽をできることになる。

九州へ行ってまずしたいこと、それはやまなみハイウェーを走ることだ。雄大な阿蘇の山麓を走ることができたら、なんと気持ちがいいことだろう。 第二に私は九州の福岡生まれなので、今でも叔父や叔母が生活しているが、祖母の葬儀で行ったきり、もう20年も会っていない。結構な高齢なので、今会っておかないともう生きているうちには会えなくなるかもしれない。

具体的な目的が見えてくると、日程の調整に取り掛かった。東京九州フェリーは、長距離フェリーにしては高速で、乗船時間は21時間だという。昔、初めて北海道ツーリングに出かけた時、大洗と苫小牧を結んでいたフェリーは31時間かかった。 さすがに、24時間以上は船の上で過ごしたくなかったので、わざわざ八戸まで走って行った。常磐道~東北道~八戸道経由で千葉―八戸は当時10時間ほどかかった。しかし八戸ー苫小牧フェリーは8時間だったので、20時間足らずで北海道に上陸できた。

今回の九州ツーリング計画はこうだ。まず、岩手を朝に発って横須賀まで走っていき、23時45分発の九州行に乗船する。2日目はほぼ船上で過ごし、21時に新門司港に到着する。その日は北九州に泊まる。 3日目は、北九州の近くに住む叔父や叔母を尋ねる。その足で湯布院温泉に行き泊まる。4日目はいよいよやまなみハイウェーを走破する。阿蘇を観光しながら横断して、その日は熊本に泊まる。5日目は熊本から九州道を北上して新門司からフェリーに乗船する。 6日目の夜、横須賀に着き、そのまま千葉の家に泊まる。7日目の朝千葉を発ち、岩手まで走ってくるというちょうど1週間のツーリング計画だ。

旅は計画段階から始まるというが、地図を見ながら走るルートを考えたり、どこに泊まろうかと考えていると、時間を忘れるほど楽しい。旅の条件を考える時悩むのが、ホテルにするかキャンプにするかということだ。私はキャンプするのが好きなのだが、調べてみると九州の無料キャンプ場は辺鄙なところが多く、しかも、昨今のコロナ禍で閉鎖中のキャンプ場も多いようだ。

今回は初めてでもあるので、土地勘がなく、地名を聞いてもどの辺なのか見当がつかないので、キャンプは諦めホテル泊にすることにした。 仕事はしていないので、出発はいつでもいいのだが、地域の公民館の掃除とか、外せない用事を考えると、お盆の時期が何も予定がないことが分かった。

フェリーなどの交通機関はお盆の時期は混むことが予想されるので、できれば避けたいが、予約を入れてみるとすんなり取ることが出来た。ただしハイシーズン価格だ。ホテルもだいたい希望した予算のところを予約できた。

日程が決まったら、次はFZXの整備だ。フェリーを使っても、岩手からだと往復で1500km走ることになるので、チェーンは変えた方がいいだろう。タイヤも交換時期だが、まだスリップサインは出ていないので、今回は良しとしよう。

バイク屋に事情を話して、ツーリングに向けた整備をお願いした。「九州ですか。ここから北海道には皆さん行きますが、九州は聞いたことがないですね。」と店長は言った。チェーンと前後スプロケの交換をお願いし、パーツを探してもらった。 2,3日して店長から電話があったが、スプロケは純正品が欠品でサンスター製だと今注文しても10月入荷だという。

いよいよFZXも修理しようにもパーツがないという末期症状に陥ってきたということか。他の車種用のパーツを何とか取り付けてくれるような器用なバイク屋はないものだろうか。千葉にいた時にお世話になっていたベスト・バランス・インターナショナル(BBI)が懐かしい。

仕方ないので、チェーンの程度を見てもらい、「まあ2000kmくらいなら大丈夫じゃないですか。」というお言葉を頂いて、ツーリングには出かけることにした。その時店内にトライアンフが飾ってあったので「売り物ですか」と聞いてみると「下取りしたものですが、乗り出しで70万円弱ですよ」とのこと。そろそろ次の車を探し始めようか。すると、今回のツーリングはFZXのラストツーリングになるのだろうか。

準備が整い、出発日が近づいた頃、二つの問題が起きた。一つ目は日本近海で8号9号10号と3つも台風が発生したのだ。1つでも脅威なのに3つも同時にやってくるなんて有り得ない。今回は船なので、台風の影響はすこぶる大きい。直撃しなくても海の上ではうねりが大きく船酔いの元である。

そして、2つ目の問題も切実だった。オリンピックを契機として爆発的にコロナの感染者が増えたことだ。4回目の緊急事態宣言が東京などに発出され、県をまたいでの移動を自粛するよう岩手県でも盛んに言われ始めた。

1つ目の問題は、8号が西にそれ、10号が東にそれてくれた。残るは9号だが九州に上陸した後、日本海に抜けた。ちょうど乗船日に日本海を北上するようだが、太平洋を航行する船に影響はあるのだろうか。

2つ目の問題の移動の自粛については、女房も神経質になり、盛んに「ツーリングやめたら?」というようになった。だが、もう1か月も前から準備してきたのに、「はい、そうですか」とやめるわけにはいかない。どうしても行くつもりだという私に、「じゃあ、大船渡に戻ったらホテルかどっかで1週間待機してね」と条件を出してきた。まあ、ワクチン接種はしているものの、絶対に感染しないとは言い切れないので、了承した。

今回のツーリングのために一つ揃えたものがあった。ドライブレコーダーである。やはり、長距離を走るということで、事故の可能性も高くなる。見知らぬ土地でもめるわけにはいかないから、記録を残すことにした。バイク用のドラレコを何点か探したが、解像度や使い勝手で納得のいくものがなく、たまたま立ち寄ったハードオフに車用の程度の良い中古があったので、購入した。INNOWAのジャーニーという機種だ。

そして、とうとう出発の朝が来た。珍しく女房が外まで見送りに出てくれた。1週間、いや待機期間も含めると2週間の別れだ。写真を撮ってもらい、元気よく出発した。ロングツーリングは2017年の北海道ツーリング以来である。天候は曇りだが、台風9号の影響でこの先福島県は雨とのことだ。

三陸道に乗り、三滝堂PAで小休止、霧雨模様なので、合羽を着用する。石巻を過ぎたところで、給油する。仙台有料道路はSAが無く、この先常磐道の南相馬鹿島SAまで給油所がなくなる。150~200kmごとに給油しなければならないFZXの弱点だ。

仙台を抜けるころから少しずつ雨脚が強くなってきた。FZXのもう一つの弱点である水に弱いのも気になる。シリンダヘッドに水がかかるとプラグがリークして不調となりやすい。

土砂降りに近い降り方となったので、鳥の海PAで休むことにした。休憩所でメールをチェックすると、東京九州フェリーから「新門司行きフェリーの欠航のお知らせ」というメールが入っていた。台風9号の影響で今晩出航する便が欠航するというのだ。フェリーが欠航すると九州には行けないので、あわててホテルにキャンセルの電話を入れた。

本来なら1日前なので、20%のキャンセル料がかかるところだが、欠航という理由を話すとキャンセル料は免除してくれた。ホテルに電話を入れている最中に、東京九州フェリーから電話が入った。今日の欠航の分のお金は払ってあるので、キャンセルするか他の日に振り替えるかという確認の電話だった。

今考えると、この時あっさりキャンセルして家に引き返せばよかったのだが、まだ九州ツーリングに未練のあった私は、「明日は運航しますか」と聞いた。「明日の便は大丈夫です」という返事を聞き、「じゃあ、今日の予約を明日に振り替えられますか」と尋ねると、乗客もバイクも余裕があるので、そのまま港に来てくれれば良いように手配しておきますのこと。

帰りの便も予約してあるのだが、もともと1日余裕を見て日程を組んでおいたので、帰りの便はそのままにした。九州にいられる時間が短くなるが、まあそれは仕方のないことだ。なにしろ台風なのだから。

夏の旅行では、台風は曲者だ。発生したかと思うと急に発達して日本に接近するのが常であり、台風で予定が狂うのがイヤなら、夏には旅行しないことだ。特に沖縄や九州といった南への旅行は注意が必要だ。

雨はますます激しくなってきたので、南相馬鹿島SAに退避した。昼食を食べて時間を過ごせば通り過ぎるかもしれないと思った。南相馬鹿島SAは常磐道の福島県区間で唯一のサービスエリアであり、ここを逃すと給油もレストランでの食事もできない。以前はこのSAに凍天(しみてん)という相馬あたりのソウルフードを売る店があり、餡の入った餅を油で揚げたものだが、美味しかった。4,5年前にその菓子店が倒産し、売店もなくなってしまった。残念でならない。

1時間ほどたった時、ようやく雨が上がり、青空が見えてきた。「やったー!」と思うとともに、この晴天を無駄にしてはいけない、とすぐ合羽をたたんで出発した。

いわきが近くなった頃、燃料警告灯が点いた。次の中郷PAにはGSがあるが、約40kmある。燃料警告灯が点くと約2L残っているはずだが、リッター20km走ってもぎりぎりだ。高速で燃費が悪いと持たないかもしれない。いわき中央ICで下りてGSを探す。さいわい、すぐ近くにGSがあったので、満タンにして再び高速道に戻った。

つくばJCTから圏央道に入り、阿見牛久ICで下りて我が家を目指す。コロナ禍で千葉県に帰宅出来なくなってからもう8か月あまり。久しぶりの我が家に着いたのは19時だった。新しいマンションが建っていたり、やはり都会は変わるのが早い。

夕食を食べにガストに入ったら、ラストオーダーは19時半だという。千葉県は緊急事態宣言が出ているので、20時までの営業らしい。飲食業界は大変だと聞いてはいたが、ファミレスも家族連れの姿はなく、私の他には3人ほど客がいるだけだった。


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