今回は久しぶりに経済関連です。
書き手は今回で2回目の登場となる Jack Rasmus(ジャック・ラスマス)氏。
現在の世界経済の問題をわかりやすく展望してくれました。
後半は著名な経済学者たちに対する批判も出てきます。
(この文章では個人名は挙がっていませんが、クルーグマン氏やスティグリッツ氏なども当然含まれているでしょう。ラスマス氏の他のコラムでは個人名を出して批判しています)
タイトルは
The Global Jobs Crisis, Inequality, & the ‘Ghost’ of Keynes
(世界的な雇用の危機、格差、ケインズの「亡霊」)
原文はこちら
http://www.telesurtv.net/english/opinion/The-Global-Jobs-Crisis-Inequality--the-Ghost-of-Keynes-20140922-0014.html
(なお、原文の掲載期日は9月23日でした)
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The Global Jobs Crisis, Inequality, & the ‘Ghost’ of Keynes
世界的な雇用の危機、格差、ケインズの「亡霊」
By Jack Rasmus
ジャック・ラスマス
初出: teleSUR English
2014年9月23日
経済学者は所得格差を示すデータを特定する一方で、この根本的原因についてはこれまでのところ寡黙である。雇用をめぐる危機についてはなおさら。
最近、資本主義を代表する3つの国際的な機関が「雇用をめぐる世界的な危機」の高まりを分析した報告書を発表した。すなわち、世界銀行、OECD(経済協力開発機構)、ILO(国際労働機関)の3つであり、これらはいずれも同じ結論に到達している。そして、その後、オーストラリアで開催されたG20サミットにおいて、雇用労働大臣らがこの結論をめぐり共同声明を出した。その結論とは、「世界の主要経済先進国は十分な雇用の創出に失敗しており、一方で、創出されつつある雇用はその多くが『雇用の質』が低く、世界経済の成長にとって意味ある貢献を果たすことができない」(フィナンシャル・タイムズ紙2014年9月10日付け)というものだ。世界銀行で雇用問題を担当する上級ディレクターの言葉を借りれば、「世界的な雇用の危機が発生していることはほとんど疑い得ない」。
これら3つの報告書は、欧州、北米、日本などの先進経済圏を覆って次第に姿を明確にしつつある潮流を指摘している。すなわち、完全失業が長期に渡り増大しつつあるだけでなく、若年層の失業と慢性的な長期失業の割合が高まっている。また、同時に、総労働力に占めるパート・タイムと臨時的な雇用の率も急激に上昇している。
今日の雇用の危機の諸相
完全失業のうちに占める長期失業の割合は、2008年の経済危機の前には5分の1程度であったが、今日ではおよそ3分の1にまで上昇している。長期失業は50才以上の人間に多く見られる傾向がある。したがって、先進経済国の雇用市場では「両端」、つまり、若年層と高齢者層において事態が悪化しつつあると考えられる。若年層の失業は先進経済諸国のすべてで増え続け、軒並み記録的な率に達している。一方、中間の24才から55才に収まる層の人間はどうかと言えば、彼らの見つけられる仕事は「雇用の質の低い」パート・タイムや臨時の職、あるいは、「非正規」の請負い仕事であって、いずれも給与水準がずっと低く、諸手当が限られ、労働法の庇護から大きく外れた、継続的雇用の保障がほとんどない類いの仕事である。
先進経済国のうち、特にアメリカでは、さらに雇用に関する4番目の大きな問題が生じつつある。おそらく、今後、他の先進経済国にも波及すると見られる問題である。すなわち、2007年以来、約800万人の米国人が労働市場から完全に「身を退いて」しまった。ところが、米国では、雇用や失業の定義とその算出方法に不備があり、彼らは失業者や不完全就業者の勘定には入っていない。
若年層失業の増大、長期失業の慢性化、通常の雇用が可能な層においてさえの非正規の雇用の増大、何百万もの人間の正規就業の放棄-----これらは、先進経済諸国の労働市場と経済に明らかにおかしなところがあり、それが悪化の一途をたどり、次第に構造的、慢性的な趣きを呈しつつあるということである。巷間これは「ニュー・ノーマル(新たな常態)」と呼ばれている。そして、「ニュー・ノーマル」とは、要するに、「われわれ(政策当局)はそれについて何もできない、またはするつもりがない、だからそれを甘受して生きる術を身につけたまえ」ということなのだ。
ここで指摘しておくべき重要な点は、上記の3組織が発表した世界的な「雇用をめぐる危機」は、同時に世界的な「賃金をめぐる危機」でもあるという事情である。
21世紀資本主義の賃金戦略
もし人が先進経済諸国における今日の賃金の下落を、政府当局が計上する狭い観点からだけではなく階級の観点から眺めてみれば、状況はひどく深刻であることがわかるだろう。
目下何百万という人々が職を失っており、これらの人々は賃金をまったく得ていないが、このことは賃金下落の総計データに反映されるべきであるにもかかわらず、政府の出す数字には登場しない。報告書に挙げられるのは就業者の賃金動向のみである。しかも、それさえ正社員のものに限定されている。正規の雇用に数えられない何百万の人々-----パート・タイム、臨時、請負い契約などの形態で働く人々-----の給与水準は低い。それは、労働者階級の受け取る賃金総額を一層少なくすることになる。また、正規の雇用から「身を退いて」しまった何百万の人々-----その一部は「闇経済」にかかわり、低い給与水準もしくは不定期の収入で働いている-----も、やはりこの労働者階級の賃金総額を少なくする事情に寄与している。
退職給付や医療給付を削減すること、あるいは、現就業者に対するこれらの給付のための経費を上昇させることも、形を変えた「賃金削減」の手法に他ならない。
これに加え、あからさまな「賃金横奪」の事例が増加し、問題となっている。特にこれがめだつのは米国のサービス部門であり、たとえば、雇用主が給与計算で小細工を弄して、労働者から賃金の一部を掠め取っている事例が拡大している。
また、インフレを許容し、最低賃金法による購買力を削ぐ方向に働く施策が採られている。最低賃金法における引き上げは以前ほど頻繁に行なわれないし、引き上げ幅も大きくない。
以上の問題点でさえまだすべてではない。
労働者のための年金制度を完全に崩壊するがままにしてしまう。従業員は自分の年金のために長年に渡って賃金の一部を拠出するが、それがすべて無に帰するのである。これは「繰り延べされた」賃金削減の一種である。
話はまだ終らない。
賃金や収入の低下にともない、労働者は基本的な費用をまかなうにもクレジットや借入れに頼ることをますます余儀なくされる。これもまた賃金総額の下落につながる。目下の借入れや利息支払いの約束は、まだ支払われていない「未来の」賃金を差し押さえてしまう。このようにして銀行とクレジットカード会社は、労働者に過重な借金やクレジットを背負わせることで、彼らがまだ手に入れてもいない賃金を略取する。労働者は、これに対して、ほかに資金源を持ち合わせていないので、ほとんどなす術がない。
このように21世紀のグローバルな資本主義はこれまでのところ賃金の削減に向けて多様な手口を進化させてきた。しかし、勤労者世帯の賃金総額の下落にもっとも寄与し、もっとも強烈な打撃となったのは、何百万もの失業者の慢性的増大であり、「非正規」の職(パート・タイム、臨時、請負い契約などの形態)と「雇用の質の低い」職の割合の増加、および、多数が余儀なくされた、不定期的、臨時で、かつ給与水準がきわめて低い等の問題をかかえる「闇経済」への依存である。
恐るべき三幅対: 雇用、賃金、格差
上記の3機関による報告書によれば、この世界的な雇用をめぐる危機はまた、可処分所得と個人消費の低下にもつながっている。そして、それは所得格差が拡大する傾向を大幅に後押ししている。
したがって、雇用をめぐる危機の意味するところは、賃金総額の下落にとどまらず、階級間の所得格差の拡大にまでおよんでいる。
米国だけ見ても、労働者階級の世帯平均所得は実質ベース(インフレの影響を調整)で8パーセント以上も低下している。この率には、2009年以来のいわゆる「景気回復」と称される期間の4パーセントの低下が含まれている。2009年以来、企業の収益は記録的な好調さを示し、最裕福層の1パーセントは国全体の総所得に占める自分たちの割合が米国史上未聞の22パーセントにまで拡大するのを目撃した。ところが、労働者の世帯所得はその「景気回復」の最中でさえ下落し続けた。下落は2007年以降の景気低迷期にだけ見られるのではない。それよりずっと前、2000年から、いや、さらに1980年代前半にまでさかのぼることができる。
アメリカだけに限らず、先進経済諸国全体で、この雇用の荒廃、賃金の下落、所得の格差という3幅対の問題が深刻になっている。そのため、資本主義に与する大手メディアと資本家自身が近年この傾向と問題に懸念を示し始めている。そして、今や、この3つの問題を議論することは「差し障りがない」情勢になったので、主流派の経済学者たちもまた、「所得格差」のテーマにまっこうから飛びつき、それについておおいに論じることとなった。
しかし、経済学者たちは、所得格差を示すデータを特定する一方で、その根本的な原因についてはこれまでのところあまり発言していない。この3幅対の問題のかなめとも言える雇用の危機についてはいよいよ口をつぐんでいる。彼らは問題の深刻さは認識しているものの、その土台、淵源についてはほとんど説明してくれない。とりわけ、まっとうな代価の得られる職を十分に創出できない事情における根本的な「階級ベース」の性質についてはまず言及しない。彼らが口にすることと言えば、自分たちの領分をせまく限って、表面的な税制改革を要求すること(税制は原因そのものではなく、所得移転を可能にする仕組みにすぎないのに)、企業の上層幹部の法外な報酬を引き下げる施策もしくは最低賃金を改定する案を提示すること、等々にすぎない。この最低賃金の改定は、賃金水準が最低の層にとっては多少の恩恵となるが、その他の何億という労働者にとっての雇用不足や賃金下落の危機に関して解決策となるわけではない。
ジョン・メイナード・ケインズの「亡霊」
21世紀の資本主義の「アキレス腱」は、持続的に良質の雇用を創出できないこと、そしてその結果、賃金水準が停滞すること、所得格差が拡大することである。しかし、完全雇用の実現不可能および所得格差の拡大傾向という「システム上の弱点」は、すでに何十年も前から経済学者のジョン・メイナード・ケインズが洞察していたことであった。1935年に上梓された『一般理論』の終わりの方でケインズが締めくくりとして述べた言葉は引用されることがきわめてまれである。しかし、彼は簡潔にこう記している。
「私たちが生きているこの経済社会の目覚しい欠陥は、完全雇用を提供できないこと、および、富と収入が恣意的、不平等に配分されることである」
もちろん、ケインズをあまりにありがたがるのは避けるべきだ。彼が主張しようとしたことの大方は、1930年代の世界的不況に対する処方箋を提示すること、「資本主義を救う」ことであった。ケインズが雇用創出の不十分性と所得格差を、近代資本主義経済における2つの内在的弱点と考えたのは当を得ていた。しかし、3つ目の大きな問題がおのずから解消すると考えたのは誤りであった。その問題とは、「金利生活者」(下の訳注を参照)の増加、および、彼らがくり返しシステム全体の安定を揺るがす傾向である。今日では、彼らは「金融投機家」、「国際的金融特権階級」(こちらは私の表現)などと呼ばれている。1935年の画期的著作『一般理論』において、ケインズは彼らについてたった1章しか割いておらず(第12章)、踏み込んで考察することもなかった。そして、締めくくりとなる第24章ではこう述べている。「『金利生活者資本主義』は移行的な段階にすぎず、やがて消え去ることになろう」と。ケインズは「金利生活者-----機能を喪失した投資家-----の安楽死」を求めたが、それへの道行きは漸進的なものであり、「革命は必要ない」と信じていた。むろん、彼はまちがっていた。
(訳注: 原文は rentier capitalists です。
経済学に関する文章では、「金利生活者」ではなく「利子生活者」としているものもあります。
ここで訳語として選んだ「金利生活者」は、
「所有する貨幣資産・不動産を貸付け・出資などによって提供しながら、みずからは企業活動や生産活動に直接参加せず、もっぱら貸付け・出資といった金銭的な活動から得られる利子・配当収入で暮らす人々をさす」(世界大百科事典 第2版)
という定義とほぼ同じイメージで使っています。
また、rentier には「不労所得生活者」という訳語を当てている辞書もあります)
近年の歴史が証しているように、「機能を喪失した投資家」-----すなわち、金利生活者、金融投機家-----は経済的にも政治的にもますます力を得、その影響力を増している。彼らのひいきの金融機関である世界的な「影の銀行」(下の訳注を参照)は、今では70兆ドル以上の運用可能資産をあつかっている。これは、従来の世界的大銀行があつかう額をはるかに超えている。国際的な資産家階級の中の、次第に覇権を握りつつあるこの投資家の一団は、世界規模の金融危機を誘発し悪化させるという点で、マイナスの影響力を強め、今日、資本主義という体制そのものを揺るがせている。
(訳注: 「影の銀行(shadow bank)」は、伝統的、厳密な意味での銀行とは違いますが、似たような機能を発揮する存在で、投資銀行(証券会社)、ヘッジファンド、証券化のための特殊な運用会社、年金基金などの業態を総称して言います。金融当局の規制がほぼ適用外で、実態が正確に把握されていないためにこう呼ばれます)
ここで言っておくべきは、現代の大半の資本主義擁護者、先進経済諸国で経済政策策定にたずさわる政治家、圧倒的多数の経済学者たちが、ケインズの見解をしかるべく深刻に受けとめなかったことである。とりわけ、その雇用や格差に関する見解、および、金利生活者の脅威的な役割に関する見解がなおざりにされた。
このことは今日あまりにも明らかである。先進経済諸国の政治家と彼らを支える大企業は、ケインズ派の景気刺激策をおおよそ拒否し続けている。つまり、社会福祉制度やインフラへの政府支出、また、必要とあれば失業者を政府が直接雇用する手法などを、である。今日の先進経済諸国における政策策定者が代わりにひいきにするのは、緊縮財政政策と赤字削減策を併用しながら、中央銀行から民間銀行へ何十兆ドルという資金を無利子で提供すること(金融緩和とゼロ金利)、および、大企業に対して減税の形でさらに何兆ドルも得をさせることである。
これら主流派の経済学者たちは、資本主義経済に関するケインズのこの根本的な負の側面の指摘にほとんど関心を払わなかった。人は、彼らの理論や経済モデルの中に、現代資本主義のこの変貌しつつある金融構造とその影響をめぐる説明を見出すのにひどく苦労するにちがいない。彼らは要するに金融を理解していないのだ(一方、それは金融を講ずる教授連が経済学を理解していないのと同断だと言う声もある)。
今日の先進経済諸国で「ケインズ派」というレッテル貼りを受け入れる経済学者たちでさえ、ケインズの著作から自分にとって都合のいい一節を拝借するだけである。つまり、資本主義体制における景気変動は制御可能であると示唆する部分を、だ。彼らはその際、ケインズ以前の経済理論に手をのばし、それをケインズにおける「差し障りのない」部分と接ぎ木する。減税と低金利は景気振興に役立つというのが彼らの主張である。ケインズ自身は明らかにこれらの効果について明確な立場を取っていないにもかかわらず。彼らの主張は要するにいわば「ケインズ主義の非嫡出子」であり、「雑種ケインズ主義」である。今日、みずからをケインズ派と称するリベラル派経済学者が信奉しているのは、この流儀である。しかし、先進経済諸国におけるこれまで6年間の銀行に対する超低金利と企業に対する莫大な減税額をふり返ってみよう。この2つのいずれも、自立的景気回復と多少でも呼べるものを生み出すことはまったくできなかったのだ。
先進経済諸国における経済学者のもうひとつの流派は「回帰古典派」とでも呼べるかもしれない。彼らはケインズの推奨する社会的支出さえ認めず、必要なのはただ事業者により潤沢に資金を備えさせること、事業のコストをより低減することだと唱える。言い換えれば、より低い金利や税率であり、また、現在共通認識となりつつある労働市場の「改革」(これは、組合つぶしと労働者の交渉力の圧殺を意味する婉曲表現にすぎない)を通じてのコスト削減であり、賃金総額の縮小である。ビジネスのコストを下げよ、さすれば、彼らは次に投資に向かうであろうというリクツである。ところがどっこい、ビジネスのコスト削減が雇用と成長につながるというのは神話にすぎない。2000年以来の世界の現実がいやと言うほどその反証を示してくれる。回帰古典派の「解決策」がもたらしたのは、先進経済諸国の企業が2008年以来低コストで生み出した記録的収益を株主に還元するという展開であった。それは、巨額の株式の買い戻し、記録的な配当金の支払い、企業の合併・買収のための支出などの形をとり、なお残余の大金は社内に留保された。このお金さえ彼らは現在、国際的な「タックス・インバージョン」(訳注: 低税率国への本拠地移転)の手法によりますます秘蔵するようになっている。
これら2つの流派が自分たちの主張を魅力的にするためのセリフは、その施策が最終的に雇用の創出につながるというものだ。「雑種」派の主張は、より多くの実入りを世帯に得させよ(その手法、形態は特に問わない)、さすれば、それは消費につながり、結局は企業の投資と雇用に帰着するとする。「回帰」派は、実入りの増大は直接企業に向けておこなうべきだ、それが雇用の創出につながると唱える。これら2つの主張のいずれでも、雇用が登場するのは説明の最後である。より多くの実入りをどこに向けるかという最初の問いの「結果」としてである。どちらの派も雇用を解決策の出発点として考えてはいない。そして、その実入りの増大は、世帯に対する助成や所得移転の形を通したものであろうと、企業に対して減税やゼロ金利、公的資金の緊急的注入、各種のコスト削減策などを通したものであろうと、決して実際の雇用創出に結実しなかった。彼らは、従来はそれは経済の他の領域にまで影響をおよぼしたのだと弁明した。いわゆる「トリクル・ダウン」理論である。しかし、今日では、「トリクル・ダウン」(滴り落ち、浸透すること)さえ見られない。間をおいて「ポタポタ落ちる」ことさえほとんどない。雇用創出の蛇口は事実上閉められてしまった。資本主義の「雇用の泉」は干上がりつつある。
格差の解決策: 労働者階級の雇用と対立的な金利生活者
先進経済諸国における主流派の経済学者は、上のいずれの派であろうと、現在の世界経済に全般的、持続的な回復が生まれないことを説明する理論を提出できない。が、これは不思議でも何でもない。資本主義を擁護する各国政府の政治家や政策策定者および中央銀行の職員もやはりそれができないでいるが、これもまた不思議ではない。経済学者も政治家も、上述の3つの報告書が指摘した、今日の世界的な雇用の危機という根源的な問題に正面から取り組んでいない、あるいは、取り組もうとしないからである。しかし、この問題にぶつからずには、今後も賃金や格差の問題は深刻化するばかりである。格差の問題は特にそうだ。それは、雇用や賃金の停滞によるだけではなく、ケインズの言う「金利生活者」、「機能を喪失した投資家」によっていよいよ悪化させられる。彼らは、労働者階級の雇用や賃金、収入が低迷もしくは低下する潮流の中で、自分たち以外の人間を踏み台にして、世界の所得に占める自分たちの割合をますます高めるであろう。ケインズの予想に反することであるが、「金利生活者」という名の金融資産家の「安楽死」には、まさしく革命が必要なのかもしれない。
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[補足など]
経済の専門家ではないので、誤訳または表現の不適切なところがあるかと思います。ご指摘を歓迎します。
■訳文中のケインズの考え方については、以下のサイトが参考になります。
ケインズの経済思想 - 東北学院大学
www.tohoku-gakuin.ac.jp/research/journal/bk2013/pdf/no11_02.pdf
特に参考になると思われる文章を一部下に引用させていただきます。
(こちらでは「金利生活者」ではなく「利子生活者」という訳語が使われていますが)
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なお、『一般理論』においては、利子生活者、企業者、労働者という三階級で構成される資本主義社会が想定されている。ケインズは、当時のイギリスにおける株式会社の発達に伴う「所有と経営の分離」という現象を踏まえつつ、資産階級を利子生活者と企業者という、利害を異にするグループに二分した。
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ケインズは、混合経済体制を志向し、自由放任の資本主義と国家社会主義との両面を批判した。ケインズによれば、効率と自由を保持しながら、失業問題と、富と所得における分配の不平等という二つの病弊を治療することは、混合経済体制の実現によって可能となる。問題解決のためには、政治体制において「なんら革命を必要としない」。
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ケインズは、利子生活者、すなわち「機能を喪失した投資家」の安楽死を提唱した。それは、「なんら革命を必要としない」変化の過程である。彼は、「人間本性を変革する仕事とそれを統御する仕事とを混同してはならない」という人間観の持ち主であった。
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