母との思い出の場所に認定されたラーメン屋さんで
私の子供の頃の話になりました。
うちでは男の子よりも女の子を望んでいたので
私は特にかわいがられました。
ひいおばあちゃん、おじいちゃん、おばあちゃん、それぞれが
私にお菓子やジュースを与えていました。
その結果
いつも消化不良で病院に通っていたそうです。
当時は注射を打つのが流行っていたそうで、
とにかく注射、毎回注射、それも2本も!打っていたそうです。
ひいおばあちゃんのお世話係は母だったので
母がお抱え運転手。
パチンコや病院、いろんなところへ行っていたのでしょうねぇ。
私も一緒に乗ってついていくのですが
当時から乗り物に弱かった私はよく吐いていたそうです。
私は自分が吐いた記憶はまったくなかったのですが
どうやらよく吐いていたみたい・・・
そしてまたお医者さんへ・・・そして注射・・・(*ノω<*) アチャー
「兄弟の中で一番病院通いが多かったよ」と母。
そうだったんだーー!
ぜんそくの症状があった弟の方が多いと思っていたら違ってた。
お菓子を食べてよくゲリッピーになっていたことは以前聞いていたので知っていましたが
それ以外は初耳!
でもそのことで「どうして守ってくれなかったんだ!」とか
「その時のことが原因で嘔吐恐怖症になったのかもしれないじゃん!」
な~んてことは思わず、
ε-(´・`) フー 大変だったねぇ、私
と思っただけ。
それを見ていることしかできなかった母をかわいそうだとも感じませんでした。
「母を恨んで」ということではなく、
それはどうしようもなかったことなんだろうな、
それは起こるしかなかったことなんだろうな、と感じたから。
その後弟と妹とそのことについて話す機会がありました。
「お姉ちゃんばかりかわいがられていたよ」と2人。
とにかくひいおばあちゃんに特別扱い私はぶくぶく太り、
そうでもなかった2人は痩せていたんですね。
「どっちがいいとも言えないね・・・( ̄∇ ̄;)」と弟 (。-`ω-)ウンウン、マッタクダ
前まではこのことでずいぶんと怒っていた弟も大分癒されてきたみたい。
笑って話せるようになったものね。
小田原へ帰る前日、母からもらったのが
ひいおばあちゃんの残したお金。
生前しょっちゅう「おばあちゃんを大事にしなさい。そうすればお金をあげる」と
言っていたのですが
もちろんまったく当てにしたことはなく、
亡くなってからも「あの話しは・・・?」と母に聞くこともありませんでした。
「ゲロッピー&げりっぴー代だね (笑´∀`)ヶラヶラ」と
ありがたくいただいてきました。
今日の一言クロアチア語
novac
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