11月7~9日、沖縄の西表島で3年ぶりの島人文化祭が開催されました。これは、西表島エコツーリズム協会の主催で行われる文化祭です。
今年は環境省も協賛し、八重山地方の環境保護団体と共に、自然環境を守るための催しものが盛りだくさんでした。9日のグランドフィナーレには、水の環境問題に詳しい落語家の江戸家子猫さんの高座もあると聞き、とても興味をひかれました。
私達は7日朝の飛行機で現地入りしたかったのですが、石垣直行の航空券が入手困難でしたので、6日の夕方まで仕事をして、夜のJALで羽田を発ち、那覇で前泊することになったのです。
ところが、たまたま宿泊したホテルのレストランで、地元で生産している「ニヘデビール」に出会いました。これは玉泉洞という鍾乳洞の珊瑚を使って濾過し、加熱処理せずに作っているという地ビールで、これまで味わったことのないマイルドで深みがあり、美味しいビールでした。気温30度という異常な暑さのなかで、この出逢いには感激ひとしおでした。
翌7日、朝一番の飛行機で石垣島へ。そこから連絡船に乗り換えて、西表島に入りました。同行した2人はこの日の予定はOFFでしたので、竹富島の観光に出かけました。
驚いたことに、西表は那覇よりもっと暑いのです。朝から直射日光がジリジリ射してきます。港には崎原章子さんが迎えて下さいましたが、なんと70年振りの暑さだとのことでした。その足で、染色家の石垣昭子先生の工房へ案内していただきました。
樹齢を刻んだ南国らしい木々に囲まれ、横に長く伸びた枝には、これから紡(つむ)がれる糸芭蕉が干され、風になびいて涼しげです。オープンな雰囲気の工房の広い窓は、日除けにパッションフルーツの棚が作られています。
若い人達が大勢染色を学んでいて、活気に満ちた空間です。ここから石垣先生の「風の通る布地」が、世界中のデザイナーの元に届けられているのです。
以前から心底感心しているのですが、この工房の名前が素晴らしいのです。「紅露工房」と書いて、「くーるこうぼう」と沖縄読みします。この命名には、昭子先生のセンスが光っているのを感じます。
到着するなり早速昼食をご馳走になってしまいました。「ジューシー」という、西表独特の豚肉と野菜の炊き込みご飯です。これにピパーツという島胡椒の葉を千切りにしたものを混ぜているのですが、今まで経験のない、この島らしいなんとも優しい美味しさです。思わず「美味し~い!」とストップモーションになりました。
西表島は食べ物のとても美味しいところです。海、山、川の自然から採取できる豊富な食材に恵まれ、ほとんど自給自足に近い生活が楽しめるのが何より羨ましい思いがします。いつもながらの美味しい食事、ありがとうございました。本当にご馳走様でした。
午後からさっそく指圧です。この日は4人の方を施術しました。指圧初体験の方もあり、島の方々とのゆったりとした時間が共有できる静かな環境の中で、日常の多忙を忘れ、指圧を通して友好を深めることができたと思います。
最後の指圧が石垣先生でした。同じ「手仕事」に携わる者同士、若い人達の手について話に花が咲きました。先生は、今の人は、芭蕉の糸を紡ぐのに「親指と人指し指しか使えない」と嘆いていらっしゃいました。糸を紡ぐのは、5本の指全部を使わなくては質の良い仕事はできないそうです。話が昔ながらの伝統的な遊びや教育に触れて深まり、また新たな気付きがありました。
私達の子ども時代の一般的な遊びに、あや取り、お手玉、折り紙、おはじき、こま回し等々、手指を使うものがたくさんありました。暇さえあれば、いつでも誰もが普通にやっていた遊びです。
教育では、多くの小学生は手指を使うソロバンをやっていました。書道もしかりです。年齢が上がればお茶、お花等々。挙げればキリがありませんが、今の子供達はほとんどやらないのではないでしょうか?
雑巾が絞れない子供も珍しくないのも驚きです。これでは育つ過程で、手指の器用さが養われるチャンスが無さすぎます。
「手先を器用にするグッズを考案しました。今実用新案の申請をしたので、この先き製品化される予定ですから待っていてください」
私がお話しすると、先生は現況を少し嘆いておられるように見えました。
「それは楽しみです! でもわざわざそういう物を使わなくてはダメな時代になったのですね」
翌日も指圧をして、今回合計9人の大人と、1歳8カ月から8歳までの子供5人の指圧をしました。子供達は本当に素直でした。この自然環境の中で、村の人達皆がいつでもあたたかく見守っている中、安心してスクスク育っているのがよく分かります。本来は皆こうあるべきだとつくづく思いました。
自然に囲まれて指圧ができるのは、私にとってはとても嬉しい贅沢なことです。次回の訪島を約束して指圧の全予定を終了しました。