「言論の自由を尊重しろ!!」って言ってる界隈の人たちに、それに伴う責任と、反論する自由を尊重してる人が居ないというのは、よく知られていることですね。
襲撃されたフランスの出版社の出した風刺画、あれは酷い。暴力はいけないし、ましてやテロリズムは糾弾すべき行為だが、出版側も、酷い差別表現で特定ね存在を侮辱するという「ペンの暴力」はいかがなものか。
自由とは常に責任がセット。最初に殴ったのは誰だという話だ。
まあこれも、射手座土星効果だろうなあ。現在における射手座界隈(出版、海外、宗教、距離を超えた交流と移動)の問題点を、こうやって牡羊座天王星を使って炙りだして来るんだろう。
割と勘違いしてる人が多いので。
東映版スパイダーマンは非公式でも黒歴史でも無いれっきとしたMARVEL公式。
異世界を示すアース番号は割り振られているし、アメコミアーティストにもファンは多い。
スタン・リー御大もお気に入り。
東映版スパイダーマン好きだ―!
あの主題歌が好き。カラオケで絶対謳う。
海外でも人気高いよ!
きーみーはなーぜー きーみーはなーぜー
たたかーい続けるのーかー いのちをかけーてー♪
スパイダーバースでレオパルドンの公式戦初黒星だけど、レオパルドン倒す為に敵はコズミックパワー使い果たしたし、他のスパイディを逃がす為の殿役だし、東映版はちゃんと脱出してる。
他のスパイディが噛ませ犬にもならず死んでるのに比べたら、東映版は遥かに優遇されてるから安心しろ。
1)言論の自由を守るべき
2)ヘイトスピーチは言論の自由の濫用なので反対
3)しかしヘイトスピーチへの法規制や暴力は言論の自由を損ねるので反対
というのが私の立場ですが、(3)と逆の立場の人たちは今回のフランス雑誌社テロをどう感じているのでしょうね
近代フランス市民が武力で闘いとった自由、平等、博愛の民主主義とは、要するに「絶対」なるものの存在の否定でもあった訳なので、風刺や嘲笑の自由の対象になり得ない者はこの世に存在してはならない、と言う事なんですよね。その点は本来全くイスラムと矛盾しない筈…なんですが…
最後に2点、自分の思ってることを書こうと思う。まず第一に、事態はあまりにも複雑だということだ。「表現の自由と宗教の対立」「宗教・民族差別とそれに対する報復」「イスラーム文化と西洋文化の対立」などとものすごく単純にテロの背景を分析する人がいるが、それは完全に間違っている。
単純な図式で複雑な問題を整理することはとても大事なことだが、それで全て分かった気になるのは、重大な勘違いを引き起こす。
今日中東でどれだけ人が死んだか、昨日のフランスの経済情勢がどうだったか、一昨日どこかの大統領が何を言ったか、もっと言えば、明日、日本に住むあなたが何をして過ごすか。大げさすぎると思われるだろうけど、とにかく、テロに至る背景は、複雑で複雑で複雑なのだと念頭に置いて損はないと思う。
そして第二に、これは個人的な話。大前提として、パリでムスリムとして暮らしている自分にとって、今回のテロは精神的にめちゃくちゃしんどいものがある。ところで、僕がフォローしている日本のリベラルな人々と、フランスのリベラルな人々の間で、今回のテロの受け止められ方があまりにも違う。
具体的に、フランスではテロルによって「表現の世界」が直接的な実力行使で侵犯されたことへの怒りがとても激しいが、日本のリベラルな人々の間では、テロは悪だとした上で、そもそもシャーリーエブドの風刺画があまりにイスラームに対して差別的であったことへの批判がこのタイミングで噴出している。
で、後者の声の方が、一見、シャーリーエブド誌によって侮辱されたムスリムに寄り添ってて、ムスリムに対する差別に敏感なように思えるんだけど、実際俺自身が嫌な気持ちにさせられることが多いのは後者の声なんだよね。
というのも、「テロは絶対悪だが、ムスリムへの差別的な侮辱を繰り返すことは、テロ被害のリスクを伴うことを理解すべきだ」みたいなことをみんなが言う中で、「ムスリムはイスラム教を馬鹿にされたら暴力に走る」て言説がすごく繰り返されるんだよね。
これこそが実は典型的なイスラモフォビアだったりする。だから個人的には、「テロは絶対悪!例え過去にシャーリーエブドがムスリムを侮辱してようがどうでもいい。テロリスト死ね!表現の自由守れ!」てツイートの方が、読んでて楽だよね。
まぁそういうややこしいこと言い出すと議論もしにくくなるから、ええねんけどな(?¯ω¯?)まして日本では今まさに反レイシズムの強い価値観の浸透が大切で、それこそ次元は違うが「レイシストはどんな目にあっても仕方ない」的な言説の広がりを、俺も推し進めてるうちの一人やし。
一連RT、確かに事態は単純な二元論で考えるべきではない、ということもわかるし、「理由があればテロルと暴力を肯定する」という愚昧な事も言うつもりもない。だが、…なんというか、この一連の主張に根本的な矛盾を強く感じる。
一番ば「レイシストはどんな目にあっても仕方ない」ここだろう。
まずレイシズム(差別的侮辱表現)でムスリムを刺激したのは、フランス側のシャーリーエブド誌だ。レイシストは何をされても仕方ないというならば、イスラム系テロリストの行為を肯定するという意味になる。
「何もしてもいい」というのは一番危険な主張と言ってもいいだろう。
彼らやカウンター界隈の言う「何をしてもいい」という免罪符。その基準は曖昧で、あまりに主観的。客観的に考えて、彼らとイスラム系のテロリスト集団と何が違うというのだろうか。この点は振り返るべきだろう。
一番大切なことは、そんな免罪符そのものを否定すべきであるということだ。