一度ツイートしたことですが。
2.26事件の時、「元上司が、叛乱将校を電話で説得する」様子が録音され、レコードとして残されているそうですが…その内容が、「投降しろって。俺も一緒に謝ってやるから」「はあ…」という、苦労性課長と無断欠勤社員みたいなノリで、大笑いした記憶がありますw
はなまるうどんの「かけうどん・小」みたいなもんなんだろうな…>マックのチーズバーガー
愚痴をいうことが全てハラスメントとは言わないが、時と場合をわきまえず、自分の言いたいことで周囲を支配しようとする傾向は異常。それでなくても今は自己顕示欲が異常に亢進し、周囲にショッキングな内容で衆目を集め、それに依存しようとする人が増えるので、まともに取り合ってはダメだと思う。
4 件 リツイートされました
ここ数日の異常な自分の有り様を通してハッキリとわかったんだけど、今はパンドラの匣が空いたような状態で、個々人の「シャドウ」が増幅され飛び出して来てるなと思う。私も一番ダメな、「恐怖と不安」に食いつくされ、全てが面倒になってて、生きることすら「怠けよう」としてた。
4 件 リツイートされました
で、きっかけとして、やはりネットに依存しすぎてたって事が大きかったな、とも。
だからここ数日は敢えてネットにはあまり繋げず、リアルのほうを充実すること、体を動かすことを第一に考えてる。まあ今までが異常で、まともに戻すだけの話なんで、なんてことはない。
4 件 リツイートされました
どうしてもネット、しかもこの短文で気軽に呟くTwitterというツールは、魂の本音がポロポロと出てくる。それは長所でもあるが、触れたくないものまで触れてしまうという諸刃の剣でもある。特に今のように「ネガティブな感情反応」が強くなりがちな時は、制限したほうがいいかもしれないね。
6 件 リツイートされました
追記/この記事じたいは「過去の事例」を紹介しているので、感想としては不適切だったかな(;´д`)ゞ
現状にそんな人がいたら、という感想だと思って下さい。悩みを話すにしても、やはり段階が有りますからね。普通あからさまに言えない悩みをぶちまけて衆目を集める人とは距離を取るべきです。
「早く死にたい」は「生きるのがつらい」の裏返しなので、「生きるつらさ」を何とかしないと根本的な解決にならんのだが、自殺防止を訴える人々は命の大切さとやらをアピールするばかりで「生きるつらさ」についてはノータッチなのはいかがなものか
理不尽な目にあって憤慨してる人のツイート、まっとうな意見のリプが大半な中に、たいがいクソリプ(話が見えていない、自分のバカを棚に上げて見下ろし目線)とかあって昔は不愉快に思ってたけど、今はむしろ世の中の多面性のリアルを見せてくれている貴重な現象かもとありがたく思うようになった。
ふだん思慮分別のある人とばかり接するようにしていると、つい世界の果てまでそういうもので埋まっていると勘違いしてしまうことがw 同じ意見の人、という意味ではなく、意見は違っても自分を客観視しようと常に努めているとか、自分を絶対視しないとか、何より脊髄反射で戦闘モードに入らないとか。
たとえていうと、世の中には性犯罪者とか児童虐待者とかいないほうがいいけど、いる以上はいるという事実が常に示されていないと、つい対策を怠るようになる危険性が。だから、不愉快理不尽な人がいるという事実も、進んで見たいとは思わないけど時々くりかえし目にしておく必要があるかもと思う。
誠実で思いやりがあって、しかもけして批判がましくなく自分の意見や正義を押し付けたりしないような人とばかり接していると、つい「最近世の中も穏やかになってきたな」とか勘違いいする瞬間があって、いやいやいやそれはちがうからwそうじゃない人たちは全然そうじゃないからw
とりあえずネットのやりとりで自分に課してるルールの一つが、反撃しない。言われっぱなしは悔しいとか言い返したい、やりこめたい、という衝動を手放す。対話のできない人はブロックする。けして追わない。もしその人が本当にひどい人であるなら、そのツケはその人が自分の人生で払う。私は知らない。
獣のような人はいつかそのむくいを受けるという考えがあるけど、いや、すでにそのような状態にあるということ自体が一つの報いだという話がある。敵意にまみれた人は同じような人しか近づいて来ないし、自分で運をつぶしてる。それにふさわしい人生を送るのでわざわざあなたが手を汚すことはない。
けんか腰でからんでくるケースの大半が、こちらのあるがままを見て理解し対話しようと言う姿勢はなく、何か色つきフィルター越しの視界で世界を見ていて、自分の脳内で作り上げた妄想と独り相撲をとっている状態で、こっちは精神科医じゃあるまいし手の出しようが無い。相手にする能力も資格もない。
「彼女が見つからないんだけどどうすればいい?」
「ハードルを下げればいい」
「ハードルを?」
「やってみろ」
「可愛くて一緒にいて楽しい」
「そうだ。それでいい」
「目が大きい」
「いいぞ。もう一息ハードルを落としていけ」
「猫で良いかな」
「その調子だ」
自殺には賛成しない上での話だけど、誰も人に死を強制する権利がないように(死刑問題の是非は別として)生を強制する権利もないと思う。人の生きるつらさや苦しみは計り知れずタテマエ論べき論では救われない。「お辛いのですね」から始めるのが基本かなと思うし最後はその人の選択を尊重したい。