らくがきちょう

わにのたまごの過去ログ

過去の日記より転載:サイパンの英霊たちのお話

2014年08月15日 14時01分53秒 | 日記
Twitterでも呟いてた電波体験ですが
過去日記があったので、某所より転載します。


2008年末の社員旅行から戻り、
2009年正月の一般参賀に参った時の日記です。


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行ってきましたよ~、一般参賀。
朝一番の回に間に合うかな~と九時過ぎに到着。
恐ろしく後のほうだったので次の回になるかな?と思っていたら
何とか間に合って入れた。

いやあ凄い人出だった。
いかにも右な方や893な方もチラホラで
小心者の私はビビリまくりでしたが
もちろん普通の人が大半で、何故か外人さんも。
背が高くてうらやましい。。

でもとにかくたくさんの人。
何だかホッとした。
天皇陛下も愛されているな~。。と。


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今日出て行くときに、何で行くのかな~と思ってたら
ふっと、そうか、サイパンで何人かがついてきたのかもな~と気づいた。
確かに会いたかろう。
最期のその名を叫び、万歳と叫んで逝ったのだから…。

今上天皇は昭和天皇の息子さんですよ、と言いながら
彼らをつれていこうと私なりに決心した。


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サイパンは到着してすぐに胸が詰まった。
そして全てのところから何かがザワツキこちらを見ているという気配を感じた。
哀しい記憶が封じ込められた場所だと思った。

二日目、昼間に歩いたエメラルドグリーンの美しい砂浜は
「ランディング・ビーチ」といい、ガイドブックを見ていると
最初にアメリカ兵が上陸し、激しく闘ったところとある。
なるほどと思った。とにかくそこを歩いていたら、
何かを訴えられているな…と思わせるような出来事(些細なことだが)
を何度も感じたからだ。

こんなに美しい場所で、そんな凄惨な出来事があったとは…。

大きな貝殻を三つ拾い、その日は帰った。



その夜私は一人、部屋の明かりを消して、
ベランダのベンチに座っていた。
私が泊まったホテルはサイパンでも北部にあり、
進退窮まった日本人やその関連の人々が次々と玉砕した場所である。
当然ながら、その時、名も無き兵士や市民たちが、ここで人知れず
亡くなったり、海に流れていった可能性は高い。


彼らが何かを言おうとしているな…


怖くないといえばうそになるが、私はそれでも
その場に自分を置いていた。

空は雲が垂れ込め、星は見えなかった。
大きくうねる波が、暗闇の中でも見えていた。
波の音が響いていた。


しばらくボーッとしていただろうか。
雲がだんだん薄れてきて、星がひとつ、またひとつと見えてきた。

隠れていただけで、こんなに星があったんだ

そしてアッというまに、満天の星空になった。
めがねを外してもなお見える美しい星たち。

気がついたら、涙が出ていた。


名も無き兵士は、日本では良き夫、良き父、良き息子だったはずだ。
当時は天皇=日本の神様だったのだから
天皇陛下を敬愛していたのは真実だろうが
それと同等に、家族を、日本を、どんなに愛していただろう。


事切れる直前に、こうやって涙を流しながら
砕けた眼鏡の隙間からなお見える星を見ながら
日本を思い、そして思っただろう



綺麗だ
こんな最期のときに

こんなに綺麗な星空だなんて
今やっと気づいた


妻よ子よ 父よ母よ
たとえこの身は滅びようとも
魂は天に輝く星となり
祖国を家族を見守り続けよう



そうだった、そうだったんだ
日本人だけじゃない、あの戦争で亡くなった全ての魂が
ずっと世界を見守ってくれていたんだ
だからこんなに平和だったんだ

私は涙が止まらなかった。
その場で深くお辞儀をした。


自然と背筋を伸ばしてその場でしばらく立っていた



貴方たちの想い、しかと受け止めました。

貴方たちが、この世界を日本を守っていてくださったんですね。

本当にありがとうございました。




すると私の周りの空気が
一気に暖かく変わったのがわかった…。




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最後のほうだった割りに、一般参賀の会場の中央に来ることが出来た。
お言葉のあと、私の真後ろの男性が
激しく叫んだ。

「天皇陛下、バンザーイ!」
「すめらのみこと、いやさか!」

連呼する言葉に、私の横の金髪の外人さんは苦笑いしていた。
彼らには、その言葉の意味はわかるまい。
そして何故彼らがそう叫ぶのかも。

ああ、彼らが、一緒になって叫んでいるなと思った。

彼らにとっては天皇陛下とは日本そのものなんだ。
愛する家族が住んでいる日本そのものなんだ。

横の存在が、涙を流してお姿を目に焼き付けているのを
私は感じていてた。



今日は時間的に無理だったけど、
やはり靖国神社には行かないとなあ…。



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(以下は当時のコメント返しより)


私は広島で生まれ、
子供の時から両親にも学校にも戦争は悪と当然のことと教えられ
平和憲法のことを誇りに思っていました。
そして日本は悪、周囲の国々に酷いことをしたのだと謝罪すべき、と。

正直に申し上げ、皇室に対しても
批判的な思いを抱いていた過去もございます。

しかし先入観を取り去り、先の戦争は何だったのかと振り返るごとに
自分の浅はかさに気づき、御霊に対してなんと失礼な国民だったのかと
身のよじる思いです。

天皇陛下に対する思いも大変変わりました。

正直に申し上げましてサイパン旅行が無ければ、
このまま無関心でいたのだと思います。
旅先のことを知ろうとさまざまな本を紐解き、
過去の哀しい出来事を知った程度の浅い知識ではございました。

しかし、実際にかの地へと出向き
彼らにじかに触れたことで、先入観を壊し
私の中に眠っていた「何か」を目覚めさせたような気がします。

あくまでも日記に書いたのは私の主観でしかないのですが
私のようなものでも、過去の御霊に少しでも思いを馳せ
忘れずに敬うこと、そしてさらに学び考え人々にお伝えすることが
少しなりとも救いになれれば…と考えております。



日記再掲 2011年06月12日23:21(抜粋)

2014年05月03日 08時42分06秒 | 日記
■本当に動く人は既に静かに動いている


まず私のスタンスを明確にしたいが、
私は長期的計画に基づいた、ソフトランディングの脱原発派である。


だが。
代替案と方法を明確にしないうえで、
恐怖で感情的に煽るやり方は全く相容れることはできない。


そして対策のないままの、即時停止に対しては反対である。
せめて今年の夏は浜岡原発を止めるべきではなかった。
なぜなら、今即刻止めてしまえば、この夏のピーク時を
乗り切れないで大停電を起こす可能性が高いからだ。

各企業は、停電についてはもう東電から連絡が来ている。
そのためにシフトを組みなおしたり、自家発電設備を早急に取り入れようと
既に動いている。
しかし、その自家発電の製造が間に合わない。
一斉に発注しているからだ。

もちろん、各企業と各家庭の不断の努力により、
それを回避できる可能性もある。
しかし万一の事態になったとき、
いったい誰が責任をもって事態を収拾できるというのか?
デモをしている人間たちはそのことを考えたことはあるのか?

自分たちは嫌だ、だからやめて。すぐ捨てて。
でも後のことはよろしく。
え、原発ってすぐには止まらないの? 
後始末のことは偉い人が考えるでしょ。
責任もちませーん、

では、全く意味がない。

言っておくが、そんな無責任な態度は
あなたたちが最も忌み嫌う、
お金大好きの、無責任な原発推進派とコインの裏表。
根っこは同じだ、と言っておく。


自分のエゴしか考えてないでしょう?


それよりもそのエネルギーを、
今こそがれきと土砂を除去できずに苦しむ
震災の被災地に赴き、力をそこで使ったほうが
どんなに建設的かわからない。
日記を見ていたら、被災者の人のコメントがあって胸が打たれた。

「暇なんだな。そしてあんたら、もう被災地のことはどうでもいいんだな。
 自分のことしか見てないんだね」

本当にそうだなとうなづいてしまった。



自分のエゴだけにまみれ、ただの八つ当たりをする暇があれば
もっと建設的なことに力を遣うべきだと思わないか?



お祭り気分のデモで自分たちの感情反応をまき散らすまでもない。
どの企業も、科学者たちも、そして福島原発で戦う現場の人たちも
今この瞬間にも動いている。そして戦ってるんだ。
原発はもう進めることはできないと悟って。
後始末をどうするか、そして次のエネルギーはどうするか。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E9%9B%BB

旦那は技術者だから、毎日のように
原発とその代替になる次世代エネルギーについて
喧々諤々話しあいしてる。

各個人が小さな自家発電の手段を持つことが
現状できうる可能性の高い方法だとおもう。
しかしその予算をどうするか。
そしてそれを揃えるのに製造に時間がかかるということはどうするか。
企業の自家発電を全てフル活動させたとしても
100パーセントまかなうことはできないし、
燃料を石油燃料に頼ってても値段は高く、それは経費に跳ね上がる。
そしていつかその燃料も枯渇する。

自然エネルギーは安定供給できない。
海底に大規模な波力発電という手もあると旦那はいうが
しかしそれを設置してもメンテができず、故障しても直せない。
そういうデメリットもあるんだ、と旦那は付け加える。

旦那はしまいに、あたかも自分たちが責められているような気分になって
不機嫌になって喧嘩になってしまった。。

そうじゃないのにね。


今回の人災をきっかけとして
原発は縮小の方向に行くだろう。
だがそれでも、現在残っている原発を急に止めることは無理だ。
急に止めても崩壊熱はすぐに止めることもできない。
後始末をするための原子力研究を止めることはできないのだ。

だから危険だから嫌だ、ダメだといっても
現実は放棄なんてできない。
責任を果たさない放棄なんて
まるで自殺を促すようなものだ。

そこまであなたたちは考えてるのか?




マスコミがこのデモを一斉に取り上げ、
祭り上げられて、
あたかも自分たちが世間を動かしてると勘違いしているだろうが
心ある人たちは、すでに冷ややかな目を
あなたたちに向けている事実に早く気付くべきだ。

あなたたちは、今のままでは、
ハーメルンの笛吹きに踊らされているネズミだぞ。









■震災3か月、各地で原発反対デモやイベント
(読売新聞 - 06月11日 21:15)

 東日本大震災による東京電力福島第一原子力発電所の事故から3か月となった11日、原発に反対するデモやイベントが全国各地で行われた。

 東電柏崎刈羽原発がある新潟県では、市民団体などで構成する実行委員会がデモを企画。約200人の参加者は「柏崎刈羽原発を止めろ」などと声をあげながら行進した。東京・代々木公園では、地震発生の時間に合わせて黙とうした参加者が、渋谷、原宿駅周辺で、脱原発や自然エネルギーへの転換などを訴えてパレード。夜には新宿駅前で原発反対集会も開かれた。

オバマ大統領の記者会見中、慰安婦問題に触れた部分(原文)

2014年04月26日 21時08分25秒 | 日記
Twitterに載せられなかったので…
こちらに抜き出してみました。

全原文はこちら↓
http://www.whitehouse.gov/the-press-office/2014/04/25/press-conference-president-obama-and-president-park-republic-korea



Finally, with respect to the historical tensions between South Korea and Japan, I think that any of us who look back on the history of what happened to the comfort women here in South Korea, for example, have to recognize that this was a terrible, egregious violation of human rights. Those women were violated in ways that, even in the midst of war, was shocking. And they deserve to be heard; they deserve to be respected; and there should be an accurate and clear account of what happened.

I think Prime Minister Abe recognizes, and certainly the Japanese people recognize, that the past is something that has to be recognized honestly and fairly. But I also think that it is in the interest of both Japan and the Korean people to look forward as well as backwards and to find ways in which the heartache and the pain of the past can be resolved, because, as has been said before, the interests today of the Korean and Japanese people so clearly converge. They’re both democracies. You both have thriving free markets. Both are cornerstones of a booming economic region. Both are strong allies and friends of the United States. And so when you think about the young people of the Republic of Korea and Japan, my hope would be that we can honestly resolve some of these past tensions, but also keep our eye on the future and the possibilities of peace and prosperity for all people.

That’s one of the most important lessons I think from the horrors of war, is being able to look back and learn lessons that allow people to avoid war in the future.


(自動翻訳)
最後に、韓国と日本の間の歴史的な緊張に関連して、私は、ここに戻って韓国で慰安婦に何が起こったかの歴史を見て、私たちのいずれかが、例えば、これはひどいものだったことを認識しなければならないと思います人権の悪質な違反です。これらの女性であっても、戦争の真っ只中に、衝撃的だった、の方法で侵害された。そして、彼らは聞くことに値する。彼らは尊敬に値する。そして何が起こったかを正確かつ明確にアカウントがあるはずです。

過去は正直かつ公正に認識しなければならないものであることを、私は安倍首相が認識と思うし、確かに日本の人々は認識しています。しかし、私はまた、前にも言ったように、ので、それは、など後方にも楽しみにしていますし、心痛、過去の痛みを解消することができる方法を見つけるために、日本と韓国の人々の双方の利益になると思います韓国と日本の人々の利益今日はとてもはっきりと収束する。彼らは、両方の民主主義国家だ。もし両方が盛んな自由市場を持っている。どちらも、急成長経済圏の基礎である。どちらも、強力な同盟国と米国の友人です。あなたは韓国と日本の国の若者を考えるときにはそのように、私の希望は、我々は正直にこれらの過去の緊張のいくつかを解決するだけでなく、すべての人々の将来の平和と繁栄の可能性に私たちの目を保つことができるということでしょう。

それは、私は戦争の恐怖から考えて最も重要な教訓の一つだ振り返ると、人々が将来的に戦争を避けるためにできるようにレッスンを学ぶことができることです。



ピノコ&ポーラのほのぼのライフ