Twitterでも呟いてた電波体験ですが
過去日記があったので、某所より転載します。
2008年末の社員旅行から戻り、
2009年正月の一般参賀に参った時の日記です。
*****************
行ってきましたよ~、一般参賀。
朝一番の回に間に合うかな~と九時過ぎに到着。
恐ろしく後のほうだったので次の回になるかな?と思っていたら
何とか間に合って入れた。
いやあ凄い人出だった。
いかにも右な方や893な方もチラホラで
小心者の私はビビリまくりでしたが
もちろん普通の人が大半で、何故か外人さんも。
背が高くてうらやましい。。
でもとにかくたくさんの人。
何だかホッとした。
天皇陛下も愛されているな~。。と。
---------
今日出て行くときに、何で行くのかな~と思ってたら
ふっと、そうか、サイパンで何人かがついてきたのかもな~と気づいた。
確かに会いたかろう。
最期のその名を叫び、万歳と叫んで逝ったのだから…。
今上天皇は昭和天皇の息子さんですよ、と言いながら
彼らをつれていこうと私なりに決心した。
---------
サイパンは到着してすぐに胸が詰まった。
そして全てのところから何かがザワツキこちらを見ているという気配を感じた。
哀しい記憶が封じ込められた場所だと思った。
二日目、昼間に歩いたエメラルドグリーンの美しい砂浜は
「ランディング・ビーチ」といい、ガイドブックを見ていると
最初にアメリカ兵が上陸し、激しく闘ったところとある。
なるほどと思った。とにかくそこを歩いていたら、
何かを訴えられているな…と思わせるような出来事(些細なことだが)
を何度も感じたからだ。
こんなに美しい場所で、そんな凄惨な出来事があったとは…。
大きな貝殻を三つ拾い、その日は帰った。
その夜私は一人、部屋の明かりを消して、
ベランダのベンチに座っていた。
私が泊まったホテルはサイパンでも北部にあり、
進退窮まった日本人やその関連の人々が次々と玉砕した場所である。
当然ながら、その時、名も無き兵士や市民たちが、ここで人知れず
亡くなったり、海に流れていった可能性は高い。
彼らが何かを言おうとしているな…
怖くないといえばうそになるが、私はそれでも
その場に自分を置いていた。
空は雲が垂れ込め、星は見えなかった。
大きくうねる波が、暗闇の中でも見えていた。
波の音が響いていた。
しばらくボーッとしていただろうか。
雲がだんだん薄れてきて、星がひとつ、またひとつと見えてきた。
隠れていただけで、こんなに星があったんだ
そしてアッというまに、満天の星空になった。
めがねを外してもなお見える美しい星たち。
気がついたら、涙が出ていた。
名も無き兵士は、日本では良き夫、良き父、良き息子だったはずだ。
当時は天皇=日本の神様だったのだから
天皇陛下を敬愛していたのは真実だろうが
それと同等に、家族を、日本を、どんなに愛していただろう。
事切れる直前に、こうやって涙を流しながら
砕けた眼鏡の隙間からなお見える星を見ながら
日本を思い、そして思っただろう
綺麗だ
こんな最期のときに
こんなに綺麗な星空だなんて
今やっと気づいた
妻よ子よ 父よ母よ
たとえこの身は滅びようとも
魂は天に輝く星となり
祖国を家族を見守り続けよう
そうだった、そうだったんだ
日本人だけじゃない、あの戦争で亡くなった全ての魂が
ずっと世界を見守ってくれていたんだ
だからこんなに平和だったんだ
私は涙が止まらなかった。
その場で深くお辞儀をした。
自然と背筋を伸ばしてその場でしばらく立っていた
貴方たちの想い、しかと受け止めました。
貴方たちが、この世界を日本を守っていてくださったんですね。
本当にありがとうございました。
すると私の周りの空気が
一気に暖かく変わったのがわかった…。
---------
最後のほうだった割りに、一般参賀の会場の中央に来ることが出来た。
お言葉のあと、私の真後ろの男性が
激しく叫んだ。
「天皇陛下、バンザーイ!」
「すめらのみこと、いやさか!」
連呼する言葉に、私の横の金髪の外人さんは苦笑いしていた。
彼らには、その言葉の意味はわかるまい。
そして何故彼らがそう叫ぶのかも。
ああ、彼らが、一緒になって叫んでいるなと思った。
彼らにとっては天皇陛下とは日本そのものなんだ。
愛する家族が住んでいる日本そのものなんだ。
横の存在が、涙を流してお姿を目に焼き付けているのを
私は感じていてた。
今日は時間的に無理だったけど、
やはり靖国神社には行かないとなあ…。
*****************
(以下は当時のコメント返しより)
私は広島で生まれ、
子供の時から両親にも学校にも戦争は悪と当然のことと教えられ
平和憲法のことを誇りに思っていました。
そして日本は悪、周囲の国々に酷いことをしたのだと謝罪すべき、と。
正直に申し上げ、皇室に対しても
批判的な思いを抱いていた過去もございます。
しかし先入観を取り去り、先の戦争は何だったのかと振り返るごとに
自分の浅はかさに気づき、御霊に対してなんと失礼な国民だったのかと
身のよじる思いです。
天皇陛下に対する思いも大変変わりました。
正直に申し上げましてサイパン旅行が無ければ、
このまま無関心でいたのだと思います。
旅先のことを知ろうとさまざまな本を紐解き、
過去の哀しい出来事を知った程度の浅い知識ではございました。
しかし、実際にかの地へと出向き
彼らにじかに触れたことで、先入観を壊し
私の中に眠っていた「何か」を目覚めさせたような気がします。
あくまでも日記に書いたのは私の主観でしかないのですが
私のようなものでも、過去の御霊に少しでも思いを馳せ
忘れずに敬うこと、そしてさらに学び考え人々にお伝えすることが
少しなりとも救いになれれば…と考えております。
過去日記があったので、某所より転載します。
2008年末の社員旅行から戻り、
2009年正月の一般参賀に参った時の日記です。
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行ってきましたよ~、一般参賀。
朝一番の回に間に合うかな~と九時過ぎに到着。
恐ろしく後のほうだったので次の回になるかな?と思っていたら
何とか間に合って入れた。
いやあ凄い人出だった。
いかにも右な方や893な方もチラホラで
小心者の私はビビリまくりでしたが
もちろん普通の人が大半で、何故か外人さんも。
背が高くてうらやましい。。
でもとにかくたくさんの人。
何だかホッとした。
天皇陛下も愛されているな~。。と。
---------
今日出て行くときに、何で行くのかな~と思ってたら
ふっと、そうか、サイパンで何人かがついてきたのかもな~と気づいた。
確かに会いたかろう。
最期のその名を叫び、万歳と叫んで逝ったのだから…。
今上天皇は昭和天皇の息子さんですよ、と言いながら
彼らをつれていこうと私なりに決心した。
---------
サイパンは到着してすぐに胸が詰まった。
そして全てのところから何かがザワツキこちらを見ているという気配を感じた。
哀しい記憶が封じ込められた場所だと思った。
二日目、昼間に歩いたエメラルドグリーンの美しい砂浜は
「ランディング・ビーチ」といい、ガイドブックを見ていると
最初にアメリカ兵が上陸し、激しく闘ったところとある。
なるほどと思った。とにかくそこを歩いていたら、
何かを訴えられているな…と思わせるような出来事(些細なことだが)
を何度も感じたからだ。
こんなに美しい場所で、そんな凄惨な出来事があったとは…。
大きな貝殻を三つ拾い、その日は帰った。
その夜私は一人、部屋の明かりを消して、
ベランダのベンチに座っていた。
私が泊まったホテルはサイパンでも北部にあり、
進退窮まった日本人やその関連の人々が次々と玉砕した場所である。
当然ながら、その時、名も無き兵士や市民たちが、ここで人知れず
亡くなったり、海に流れていった可能性は高い。
彼らが何かを言おうとしているな…
怖くないといえばうそになるが、私はそれでも
その場に自分を置いていた。
空は雲が垂れ込め、星は見えなかった。
大きくうねる波が、暗闇の中でも見えていた。
波の音が響いていた。
しばらくボーッとしていただろうか。
雲がだんだん薄れてきて、星がひとつ、またひとつと見えてきた。
隠れていただけで、こんなに星があったんだ
そしてアッというまに、満天の星空になった。
めがねを外してもなお見える美しい星たち。
気がついたら、涙が出ていた。
名も無き兵士は、日本では良き夫、良き父、良き息子だったはずだ。
当時は天皇=日本の神様だったのだから
天皇陛下を敬愛していたのは真実だろうが
それと同等に、家族を、日本を、どんなに愛していただろう。
事切れる直前に、こうやって涙を流しながら
砕けた眼鏡の隙間からなお見える星を見ながら
日本を思い、そして思っただろう
綺麗だ
こんな最期のときに
こんなに綺麗な星空だなんて
今やっと気づいた
妻よ子よ 父よ母よ
たとえこの身は滅びようとも
魂は天に輝く星となり
祖国を家族を見守り続けよう
そうだった、そうだったんだ
日本人だけじゃない、あの戦争で亡くなった全ての魂が
ずっと世界を見守ってくれていたんだ
だからこんなに平和だったんだ
私は涙が止まらなかった。
その場で深くお辞儀をした。
自然と背筋を伸ばしてその場でしばらく立っていた
貴方たちの想い、しかと受け止めました。
貴方たちが、この世界を日本を守っていてくださったんですね。
本当にありがとうございました。
すると私の周りの空気が
一気に暖かく変わったのがわかった…。
---------
最後のほうだった割りに、一般参賀の会場の中央に来ることが出来た。
お言葉のあと、私の真後ろの男性が
激しく叫んだ。
「天皇陛下、バンザーイ!」
「すめらのみこと、いやさか!」
連呼する言葉に、私の横の金髪の外人さんは苦笑いしていた。
彼らには、その言葉の意味はわかるまい。
そして何故彼らがそう叫ぶのかも。
ああ、彼らが、一緒になって叫んでいるなと思った。
彼らにとっては天皇陛下とは日本そのものなんだ。
愛する家族が住んでいる日本そのものなんだ。
横の存在が、涙を流してお姿を目に焼き付けているのを
私は感じていてた。
今日は時間的に無理だったけど、
やはり靖国神社には行かないとなあ…。
*****************
(以下は当時のコメント返しより)
私は広島で生まれ、
子供の時から両親にも学校にも戦争は悪と当然のことと教えられ
平和憲法のことを誇りに思っていました。
そして日本は悪、周囲の国々に酷いことをしたのだと謝罪すべき、と。
正直に申し上げ、皇室に対しても
批判的な思いを抱いていた過去もございます。
しかし先入観を取り去り、先の戦争は何だったのかと振り返るごとに
自分の浅はかさに気づき、御霊に対してなんと失礼な国民だったのかと
身のよじる思いです。
天皇陛下に対する思いも大変変わりました。
正直に申し上げましてサイパン旅行が無ければ、
このまま無関心でいたのだと思います。
旅先のことを知ろうとさまざまな本を紐解き、
過去の哀しい出来事を知った程度の浅い知識ではございました。
しかし、実際にかの地へと出向き
彼らにじかに触れたことで、先入観を壊し
私の中に眠っていた「何か」を目覚めさせたような気がします。
あくまでも日記に書いたのは私の主観でしかないのですが
私のようなものでも、過去の御霊に少しでも思いを馳せ
忘れずに敬うこと、そしてさらに学び考え人々にお伝えすることが
少しなりとも救いになれれば…と考えております。