よう誤解されてるけどサバの刺身が喰えるのは「新鮮なサバかどうか」ではなく「年平均水温が高く寄生虫がいない海域かどうか」に依存する。その昔小倉の漁船が三陸沖に遠征しサバが大漁で地元漁師が止めるのも聞かず「東北人はうまいものを知らん」と刺身で食って翌朝全員腹痛で倒れたという伝承がある
しばき隊界隈とか見てると、学生運動時代のあれやこれやを、スゴイ勢いでトレースしてるんだなあって気持ちになるのはなんでだろ。
原理やら主張やらの純粋化を推し進めていくと、序列内での主導権争いと低位序列者の排除、上位序列者への阿り、序列の近い競合者の排除、穏健派と強硬派の衝突、強硬派同士の相互排除とかがサクサク進んで、その集団は内部から崩壊するっていうアレ。
「握り拳と握手はできない」って、いいセリフだよな。平和主義者ほど実は好戦的だし。
在特会による差別にも、左翼/カウンター/その他による差別にも反対することが、反差別です。これが基本的な立場です。
在特会は最悪の差別だが、安田浩一の『ネットと愛国』も、差別者による自称「カウンター」も最悪です。後者は反差別と言うよりも、むしろ差別に組みしています。後者は反差別と言うよりも、日本社会の差別の根深さを示しています。
安田浩一『ネットと愛国』と自称「カウンター」に共通するのは、「普通の日本人」の責任を問わないことです。とんでもない!在特会が生まれたのはまさしく「普通の日本人」が無責任だったからです。在特会は日本社会に既に存在する差別を濃縮したものであって、日本社会の異物ではありません。
「カウンター」参加者による「カウンターは楽しい」という発言がありましたが、それはそうでしょう。在特会を生んだ日本社会の一員としての責任を放棄して、在特会という異物を、罵倒していればいいからです。ですが、差別とは制度的なものです。差別の構造に乗っかるなら、差別を強化しているのです。
野間さんがやってきたことは、反原発にせよ反差別にせよ既にある運動をパクって、なおかつ運動の意義を台無しにした形で流通させることですね。
あの「カウンター」を肯定することは、彼らによる差別暴言を肯定することであり、男組/我道会によるデモ襲撃を肯定することでもある。
「差別主義者は潰す」と言っている人たちの方が差別主義丸出しということにどうして気がつかないのだろうか。気がつかないからこうなんだろうけど。
彼らの方がレイシズム丸出しだよ。
平和主義者が言うところの平和は「お前らがこちらの主張を受け入れて黙っていれば丸く収まる」だからなあ。少なくともこの国において平和主義を名乗る人はこういうタイプが多い。
いつから平和は「相手を屈服させ、黙らせること」になったんだろうねえ。そして相手を屈服させる思いが強いのは左側に目立つのはどういうことなのだろうか。本人たちがそれに気づいていないというのも。
@sis_sis 「敵が攻めてきたら降伏すれば良いんです」と主張している人を説き伏せようとすると、100%の割合で徹底抗戦を食らいますw
「自分たちの考える平和を実現するためならば武力闘争も許される」っていうのも一種の伝統だよなあ。武力闘争に至らせる(聞き入れない)方が悪い。だから正義の名の下にブッ潰す…みたいな。
殴り合いのケンカするにしても、それを実際にやったやつは「殴っても、殴られても痛い」ってことはわかっているし、何度もやってりゃ虚しさに気づくから積極性は無くなるのよね。ケンカしたことがない、痛みを知らない者ほど威勢よく騒ぐ。自分が勝つとしか思っていないし、負けることは考えない。
自分の経験からすると、「ブッ潰す」なんて威勢のいいやつはあまり怖くない。マジで怖いのは物腰の柔らかく、何事にも丁寧な人。こういう人の方が何気に百戦錬磨の経験を積んでいて、争いの虚しさも知っていることが多いので警戒する。慣れていなくて頭に血が上るやつより、冷静なやつの方がえげつない
世の中は、それ自体が存続するのであればいつの時代もまっとうな思考の人間によってなされる。ただ、その「まっとうな思考」とやらを代弁するのがマスコミでないというだけだ。いたって単純な構造だが、だからこそ見失われがちである
いつの時代も、まっとうに生きてる人間は己の実感を頼りにしている。当たり前に聞こえるかもしれないが、己の実感を頼りにするということに高度な技術を要するようになったのが「現代」という時代なのだ
戦後、たとえばドイツは近代それ自体を反省したが、日本は近代を反省するどころか「日本は近代市民主義が徹底していなかったから戦争を引き起こしたのだ。よって、市民主義をさらに徹底する必要がある」っつって、リベラル派は世界の趨勢とは真逆の方向に向かった。そこを考え直さないと何も始まらない
当時世界で最も民主主義的だった憲法の下でファシズム政権が誕生したドイツは、民主主義の危うさを認識して反省した。日本では戦後「民主主義が徹底していなかったからファシズムが生まれた」という考えが支配的になって民主主義を徹底させれば大丈夫という認識が定着した。
確かに真逆だね。
戦後日本の進歩的な知識人が唱えた「民主主義を徹底させれば戦争は起きない」という民主主義=平和の論理は日本ではずっと支配的だったが、他国では全く通用しない考え方だ。