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生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

iPS細胞を経ずに神経細胞を作る

2011-06-04 09:14:53 | 生物
 少し前になるが、米スタンフォード大学の研究者らが、人の体細胞からiPS細胞を経ずに神経細胞を作製した、とnature電子版に発表した。体細胞からES細胞、iPS細胞などの幹細胞(いくつもの細胞になれる能力を持つ細胞)を経ずに直接目的の細胞に変化させる「ディレクト・リプログラミング」と呼ばれる手法で、iPS細胞に傾きかけていた再生医療研究の方向性が変わるかもしれない。

 細胞に入っているDNAは、生物情報の設計図といわれる。ただ、DNAの全情報がいつも生かされているわけではないのである。たとえて言うと、レゴブロックのいろいろな作品の作り方マニュアルが集められた本のようなもの。生物の細胞内では、この大量のマニュアル原本から、必要な部分のみコピーを取ってつなぎ合わせる(転写と呼ばれる)。このコピーしたものが、mRNA。そして、コピーしたマニュアルに対応するようにブロックを集め、組み合わせて目的の作品を作っていく(翻訳と呼ばれる)。この時ブロックに相当するのがアミノ酸、作品に相当するのがタンパク質である。この一つの作品=タンパク質を作る情報の集まりを、遺伝子という。このようにしてDNAから転写・翻訳によってタンパク質のできるプロセスが、「遺伝子の発現」と呼ばれている。ブロックの種類が限られていてもいくらでも作品が作れるように、生物が使えるアミノ酸は20種類だが、そこからヒトでは何千ものタンパク質を作ることができる。



 ただ、生物の場合、マニュアルの原本であるDNA自体が、細胞の誕生から時を経るにつれていじくられる。目的の細胞に不要な作品のマニュアルは、ちょうどノリで本のページを貼って封をしたように(本の情報自体がなくなるのではない。これが大事)開けなくなってしまい、作られるタンパク質の種類が限られてくる。これが、エピジェネティックな発現調節と呼ばれるものである(エピとは「後」の意味で、ジーン=遺伝子に後付けで加わってくるもの、ということになる)。そして多くの場合、いったん開けなくなったマニュアルは二度と開くことができない。こうして細胞の運命が決まっていき、肝臓の細胞は肝臓に、筋肉の細胞は筋肉に適応したタンパク質のみが発現し、形も機能も特化していく。これが「分化」と呼ばれる。

 iPS細胞は、このようにして運命の決まってしまった細胞(特に皮膚の細胞)に4つの特殊な遺伝子(たとえるなら魔法の本)を入れることで、原本マニュアルのノリがはがされ、初期のものに戻ってしまったものである。つまり、ここからどんな細胞にも分化できることになる。これは本当に大発明。ただ問題点として、4つの遺伝子のうちの1つが、がん遺伝子、簡単に言うと今述べた遺伝子の発言や、細胞分裂のリズムをめちゃくちゃにしてしまう遺伝子であることがあげられる。がんについてはまたの機会に。s序のため、世界中でこのがん遺伝子を使わずにiPS細胞を作る試みがなされている。

 ところが今回の発表は、iPS細胞をいう初期化状態を経ずに、一気に別の細胞にしてしまっている。先ほどからのたとえを使い、「原本マニュアルのどこに封をし、どこを開いたままにするか」という点からみると、iPS細胞はいったんすべてのノリをはがしてしまうのに対し、今回の研究は新たな糊付け箇所まですべていっぺんにやってしまう。直接情報を再編成するという意味で、「ディレクト・リプログラミング」と呼ばれるのである。

 論文を読んでみると、研究者らはヒトの繊維芽細胞(皮膚の深いところや、筋肉周辺などの結合組織に存在する細胞で、もともと幹細胞の性質をある程度持ってはいる)に4つの遺伝子を入れたところ、神経細胞への分化が見られた。しっかり電気信号も発生し、さらにマウスの神経ネットワークに入れても正常に払いているという。

 今回の手法で入れた遺伝子ががんを起こすかどうかは未知数だし、またDNAが元の状態に戻ってしまう「先祖がえり」の懸念もされている。しかし、iPS細胞を経ずに目的の細胞を作るこの手法がほかの種類の細胞でも広まっていけば、iPS細胞の優位は揺らぐことになるだろう。それにしても、今回の論文でもアジア系(おそらく中国系)の名前が入っているように、最近の生物学の論文ではアジア勢の台頭が本当に著しい。日本人はあまり見ないなあ。興味を持った人は、natureホームページで「direct reprogramming」と検索すると、論文の要約の身であれば無料で閲覧可能です。

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