BioDoxology

生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

映画6 「男たちの挽歌」

2011-07-28 11:51:13 | 映画
 以前「野獣死すべし」を取り上げたとき、B級映画には俗にいう名作にはない生々しさや力強さがある、といった。傑作B級映画のもう一つの魅力は、どう考えてもありえなかったり、破綻したりしているストーリーであっても観客をしらけさせず、勢いとパワーで駆け抜けてしまう熱さと爽快感である。その最たる作品の一つが「男たちの挽歌」(1986)だ。GWに六本木の映画館でリバイバル上映を観て、えらく感動してしまった。

 (以下、ネタバレを含みます)

 香港で暗躍するマフィアのリーダー格、ホー(ティ・ロン)とマーク(チョウ・ユンファ)が、逮捕や負傷によってマフィア社会から蹴落とされて没落し、さらにはホーを恨む弟のキット(レスリー・チャン)とも対立しながら、再起を図るアクション映画である。当時無名だったジョン・ウー監督(「M:I-2」や「レッドクリフ」)の出世作で、ブルース・リーやジャッキー・チェンの時代以降カンフー映画ブームの衰退しつつあった香港に「香港ノワール」という新たなジャンルを築きあげた。そしてチョウ・ユンファはこの映画を機に、世界レベルのスターにまで成長した。

 この時代の香港映画は、まず見た目がとても悪い。昔の日本のドラマのように画面がざらざらしていて、映像の陰影にも乏しく、個々のカットやシーンのつなぎも雑である。タイトルやオープニングの文字も当時はやりの太いゴシック体で安っぽさ全開であるし、音楽も時代遅れの中途半端なテクノポップやチープなハーモニカが中心である。ストーリーや演出も突っ込みどころ満載で、もうアラを挙げればきりがない。

 しかし、ふつうなら欠点になってしまうこれらすべてが、「ダサかっこよさ」というB級映画の醍醐味に化けてしまっているのが本作のすごさだ。ダサい演出にダサい映像、いかにもな人情話にチープな音楽と、しらけて当然にもかかわらず、盛り上がり感動してしまうのはもはや奇跡といっていい。そんな奇跡を可能にしたのは、とことん自分の好みを追求したジョン・ウーの思い切りの良い過剰な演出と、ありえない話を暑苦しいほどくそまじめに演じた俳優陣だろう。

 ティ・ロンや駆け出しのころのレスリー・チャンは若干胡散臭い感じの雰囲気だがそれもB級映画の醍醐味である。また、ホーとマークを蹴落として手下から新たなボスとなるシンを演じたレイ・チーホンが素晴らしい。初めてボスの姿で現れたときの雰囲気の変わりようには驚いた。

 そして最高に輝いているのはやはりチョウ・ユンファだ。こいつのダサかっこよさは空前絶後のレベルに達している。でかいサングラスをかけてタバコで偽札を燃やしたり、外を歩くときに爪楊枝をくわえていたりと、ダサいに決まっているのに絵になってしまう。「マトリックス」など近年のアクション映画で基本となっている拳銃両手撃ちも本作の彼が元祖である。変にかっこをつけて動き回ることはせず、ひたすら容赦なく銃弾を放ち続ける男臭さがいい。右足を負傷して没落した後(この右足につけられた補助器具の安っぽさも最高)、シンに逆らえずにとぼとぼと歩く背中の情けなさも天下一品。クライマックスでホーとキットを助けるために両手でマシンガンをぶっ放しながら駆けつけた時の勇姿は、神々しさすら感じるほどにかっこよすぎる。右足が悪いのになぜ走ってるんだ、という突っ込みなど、彼の前ではもはや無用だ。そして彼は劇団ひとりに驚くほどそっくりである(笑)。特に泣き顔はほとんど区別がつかない。

 このように、数々の奇跡によって作られた伝説的B級映画が「男たちの挽歌」である。続編も作られているが、「男たちの挽歌Ⅱ」は娯楽色が強すぎ、「男たちの挽歌Ⅲ」は男たちの話に女を入れたために観てもいられない駄作となり(しかし、ある同級生はこれがお気に入りである)、ジョン・ウー最高傑作といわれる「狼・男たちの挽歌 最終章」も洗練されすぎて熱さが足りない。やはり第一作は奇跡だったのだ。ぜひご鑑賞あれ。劇団ひとりへの見方も変わるはず。

個人的評価:☆☆☆☆☆

大阪の君が代条例

2011-07-25 22:57:50 | 政治
 試験がほぼ一段落して暇になるかと思っていたが、来週のマレーシア旅行の計画が予想以上に難儀していることもあり、なんだか忙しいままである。更新が滞るのもよくないので、以前新聞に投稿してボツになった記事を若干整えて掲載します(笑)。なかなか採用されないものなんだよね…。

 もうタイムリーでなくなっている感があるが、橋本大阪府知事率いる「大阪維新の会」の大阪義団が制定した、教員に君が代の起立斉唱を義務付ける条例が議論を呼んだ。大学で履修している教職科目でも取り上げられ、公務員なら国歌斉唱和当たり前か、それとも思想強制や職権濫用かという点が議論の中心だが、自分は別の点でこの条例に違和感を覚える。

 知事は起立斉唱を「思想良心の自由でなく組織マネジメントの問題」と主張するが、これは国歌である君が代を会社の社歌や学校の校歌と同じ位置づけにおくことになる。教員が「歌いたくないけど、ルールらしいし仕方ないか」という心理で国歌を受け止めるような状況を知事らが望んでいるのか。知事の狙いが、単なる規律の厳格化にあるのならまだいいとして、安倍元首相らが意図したような愛国心の復活にあるのだとすれば、これは逆効果な気がしてならない。

 正直なところ、若い世代には、自分を含め、君が代を耳にしても、愛国心がわく、あるいは国家主義的な違和感を受ける、といった感情を特に抱かない人も多い気がする。この状況は問題があると思っているし、関心を持たずに生きてきた自分にも落ち度はあると思う。愛国心がどうあるべきか、戦争や天皇賛美といった危険とどう向き合うかを考える上で、君が代の議論も重要だ。その過程で、「公務員が国に敬意を表するのは憲法の条文からしても当然であり、それを軍国主義だといって拒むような人間は教員になるべきではない」という意見が出ること自体には反対しない。

 彼らの議論に見られるような、戦後日本国民の「自虐史観」と言われるものは、全くなかったとは否定できない。秋田喜代美・佐藤学『新しい時代の教職入門』(有斐閣アルマ)という本に書かれた、日本の教師像の変化がよい示唆を与えてくれる。明治時代に森有礼が中心となって定めた教育制度により、教師は聖職者のようなイメージを与えられ、天皇の意思を媒介し子どもたちに伝えるという役割を担い、加えてのちに、国民教育の理想を実現するという側面も持つようになったとされる。さらに戦時中、丸山眞男「日本ファシズムの思想と運動」(『現代政治の思想と行動 上巻』(未来社)の一編)が指摘するように、教師は小地主・工場長・僧侶などとともに、日本ファシズムの発展に大きく寄与した「疑似インテリ層」の一部となって、天皇を頂点とする家族国家観と臣民教育を浸透させていったといわれる。朝ドラの「おひさま」でも、学校に奉安殿があったり、兵隊をたたえる歌を低学年から歌ったりと、当時の学校の風景が学べた。

 これが敗戦によって転換し、GHQによる教育民主化の方針もあって、戦後の教師は皇国の道を探求する聖職者としての側面を弱めた一方、民主主義の実現を目指すという新たな使命感を抱くようになったとされる。それが(少なくとも一部の人びとにとっては)過剰な権力中立主義や、天皇制への忌避感につながっているといってよいだろう。一方で教師の専門家としての側面をみると、専門家共同体には行政権からの中立が認められる、という基本的な性質がある。公務員としての側面と専門家としての側面どちらを重視するかによってこの問題への見方は変わる。自分でもはっきりした答えが出せていないのが苦しい。

 今回大阪で出た条例は、こうした国のあり方全体に関わる君が代を、組織の単なる一規律に矮小化するものである。君が代をコメディ映画「川の底からこんにちは」の木村水産の社歌と同じレベルにされてはさすがに困る(ものすごく極端な言い方だけど)。自分自身、そこまで確固たる愛国心を持っていると胸を張っては言えない身だが、この条例は、思想強制以前に、端的に言えば国歌への無礼である気がする。

 今までこういう安易に触れづらい問題は避けてきましたが、やはり一度は自分の立場(と呼べるようなものでもないが)を言うべきだとも思い、取りあげました。強く憤りを感じられる方も多いと思いますが、ご批判はできれば建設的にお願いします。なるべく炎上しないように…。

自炊バトルロワイヤル(後編)

2011-07-21 23:59:37 | 雑記
 連休も月曜で最終日、残す料理もあと2回である。しかし、ここでまさかの悲劇が発生する。

 5回戦:月曜の昼食
 父親が日中外出していたので1人分しか作らない。こういう時は冒険するに限る。M氏からのリクエストは「かき揚げうどん」。とんかつがピカタになって揚げずに済んでしまったので、ついに揚げ物に挑戦となる。具材は小林ケンタロウの本を参考に、長葱・人参・牛蒡・雑魚・ハムにしてみた。フライパンに初めて油を満たして点火。衣を何度もたらして温度確認をし、ちょうど良い中温(衣が油の中ほどまで沈んで浮かび上がる)になったところで具を木べらに乗せてそっと入れる。こうすればまとまった形で上がってくれるはずだが、案外木べらでまとめるのが難しく手間取る。そして緊張の一瞬。1個目のかき揚げの具が油に入る。その直後…

 ジャーーーーーーーーーーッ!!

 まとまるはずの具材が一気にバラバラになって油の中で盛大に踊りだす。油が一気に沸き立ち、フライパンの縁すれすれまでせりあがってくる。まずい。頭の中で「火災」の二文字が浮かぶ。急いでガスの火を止める。油がはねて腕に飛んでくる。熱い!万一に備えて鎮火用にクッションを手に取る(正しい選択だったのか…?)。5秒、10秒…油は無事おさまった。具材も案外普通に上がっている。無理やり菜箸でまとめて油から出した。一気に油の温度を下げたので表面がジトジトになってしまっている。その後再び火をつけて油を温めたものの、あまりの恐怖から低温で揚げることしかできず、何とか揚がったかき揚げたちはみなヘナヘナのベトベト、ひどい有様になった。予想の倍以上の時間がかかってしまったため、初めに茹でて冷やしておいた稲庭うどんはガチガチに固まり、もう失意のどん底である。これはこれで思い出なので撮影した。これで見る限り上手くいってそうに見えるのだが。



 具が散って油が一気に沸いてしまった原因は、
・油を適温にしてから具を木べらでまとめるのに手間取っている間に高温になりすぎた
・衣が少なく具材がまとまらなかった
の2つだろう。食後の油の濾過といい洗い物といい面倒くさすぎる。油がそこらじゅうにはねてしまってキッチンの掃除が大変になったことは言うまでもない。1時半に作り始めて片付けまで終わったのは4時近く。疲れたあまり、作り始める前より腹が減った。

 6回戦:月曜の夕食
 F氏のリクエストは「餃子」。またしても手間がかかる。かき揚げでここまで疲れているのに。ところが、夜まで帰ってこないと思っていた母親が夕方には帰るという。助かった。しかし勝手に夕食の食材を買ってしまった。どうしようか。母親の答えは
 「じゃあ餃子作って!」
殺す気か(笑)。しかし結局、下ごしらえから包み、ゆで上げ(今回は水餃子)、大部分母親に手伝ってもらった。副菜の棒棒鶏も、自分がやったのはささみをレンジで加熱するだけ。最後の戦いはあっけなく終わってしまった。当たり前だが母親には出来も速さもかなわない。

 こうして3日間にわたる一人料理バトルが終了した。成績は3勝2敗、最後は棄権といったところか。しかし本当にかき揚げがショックである。中3の時、、祖父母の家に泊まりに行ったのだが、その日の夜に祖母が作ったかき揚げや天ぷらがおいしかった記憶がある。いつか自分も作れるようになりたいと思っていて、今回がいいチャンスだと思ったのだが…まあ、料理歴でいえば50年以上も先輩の祖母のレベルを目指そうとすること自体無謀だ。もう当分かき揚げは作る気になれない。揚げ物自体、する気が起きない。「ひとりでできるもん」の本には「あげものは必ずお母さんといっしょに作りましょう」と書いてあったがその通り。いまだにまいちゃんレベルか…。

自炊バトルロワイヤル(前編)

2011-07-21 01:11:53 | 雑記
 先週末の3連休、母親が用事で家にいなかったので、自分が料理・洗濯・掃除を一手に引き受けることになった。過去にも同じ経験を2度していたので慣れてきてはいる。ただ3日分の料理ともなると、朝食は我が家の定番のものを作ればいいとして、昼食や夕食のネタが思いつかない。そこで、知り合いに好きな料理や今食べたい料理をメールで聞き、返信されてきた料理を作るという戦略をとってみた。いつも自分が作ろうと思わないものも作れて楽しいだろうと思ったのだ。

 1回戦:土曜の昼食
 この時だけは、自分の定番であるトマトとエシャロットの冷製パスタを久々に作った。何度も作っているので手早く終わる。キャベツとニンジンが余っていたので野菜スープにした。コンソメに加え、チリパウダーを入れたのが自分流である。チリパウダーはいつも頼りにしている調味料で、これを加えるだけで中南米風の深い味わいになる。肉のソテーにも、スープにも、はては目玉焼きにも合う。皆さんもぜひ一度使ってみてほしい。

 2回戦:土曜の夕食
 ここから知り合いのリクエストに従う。Y氏のリクエストは「とんかつ」。いきなりハードルが高い。揚げ物は未経験である。イオンで初めて豚ヒレ肉を買い、いざ作り始めたところで重大なミスが発覚。我が家にはパン粉がない!「塩こしょう→小麦粉→卵液→パン粉」という手順の卵液で止まってしまった。ということで、ピカタになった(笑)。小麦粉や卵液をつけること自体初めてだったのでかなり手間取ったが、無事成功。副菜には夏野菜のかれー煮込みと、大根とハムのサラダを作った。みな初めて作ったものばかりなのにやけに上手くできてしまった。テンションが上がったので記念撮影。



 3回戦:日曜の昼食
 S氏のリクエストは「冷しゃぶ」。これは簡単。豚の薄切り肉と青梗菜をひたすらゆでるだけ。冷蔵庫に賞味期限切れの刺身こんにゃくがあったのでこいつを副菜に。所要時間わずか15分。味も失敗しようがないので助かった。さしたる料理でもないのだが、初の自作しゃぶしゃぶということで記念撮影。



 4回戦:日曜の夕食
 前日とは別のY氏のリクエストは「親子丼」。今回は鳥もも肉を使ってみた。いつも母親が使っているレシピに沿って作ったのだが…味が薄い。煮込み時間が足りなかったか。もも肉は味が染みにくいことを考慮すべきだった。卵も半熟にしたかったのだが固まってしまった。失敗とまではいかないが出来が悪い。父親の微妙な反応(要は無言)からもしくじった感じである。小松菜とシイタケの味噌汁はうまくいったのだが。若干気落ちしたので写真はなし。

 しかしこれでけでは終わらなかった。M氏のリクエストが恐るべき悲劇をもたらすことなど、このときは知らなかった。

映画5 「バットマン ビギンズ」

2011-07-18 10:42:56 | 映画
 実は「ダークナイト」を観たときには前作である「バットマン ビギンズ」を観ていなかったので、続編鑑賞後に観るというのも変な話だが、スターウォーズを観るような感覚で楽しめた。

 (以下、ネタバレを含みます)

 幼いころ両親を殺害され、復讐心にとらわれていた大富豪の息子ブルース・ウェイン(クリスチャン・ベール)修業を積むにつれて正義に目覚め、故郷であるゴッサムに戻り、生涯使える執事アルフレッド(マイケル・ケイン)に助けられながら、闇の戦士バットマンとなって犯罪撲滅に身を投じていく過程を描いている。

 「ダークナイト」が重苦しい雰囲気なのに対し、「ビギンズ」はシリアスではありつつも温かみのあるドラマがみられる。アクションシーンもテンポよく進み、凄まじいというよりはかっこいいキレのあるシーンが中心なのでとても見やすい。特に、水蒸気に覆われた空をバットマンが飛行するシーンは素晴らしかった。アメリカのヒーロー映画の王道を行く感じである。主人公の位置づけも、もともと超人というわけではない、善悪の違いに悩む、彼女ができない(笑)といった21世紀型アメコミ映画(最たる例がスパイダーマン)のヒーローのイメージに沿ったものになっている。

 「ダークナイト」ではバットマンが半ば脇役にまわってしまっていたが、「ビギンズ」ではブルースがバットマンになる過程がとても念入りに描かれているので、クリスチャン・ベールの演技を堪能できる。やはり彼はうまい。復讐にとらわれた大学生時代の演技は、もちろんメイクの助けもあるのだろうが、精神の不安定な若者の空気がとてもよく出ていて、ゴッサムに戻ってからとはまるでキャラクターが違う。さすがオスカー俳優、ただのイケメンではない。

 一方、悪役の存在感は「ダークナイト」のジョーカーやトゥーフェイスに比べるとかなり薄い。今作では、ブルースに修行を貸す師でありながら、のちにゴッサムで敵対する「影の同盟」の首領ラーズ・アル・グール(リーアム・ニーソン)や、精神科医で厳格ガスを使用して市民を狂わせるスケアクロウ(キリアン・マーフィ)が登場する。しかし両社とも、何のために犯罪を行っているのかあいまいで、「ダークナイト」にみられた重みを感じない。ついでに「影の同盟」はただの忍者のコスプレにしか見えず笑ってしまう。偽のラーズ・アル・グールを渡辺謙が演じているが、この扱いはひどい(笑)。ベテランのニーソンは安定感抜群、マーフィはマイケル・ジャクソンのようなどこか不気味な表情が印象的だっただけに、もったいなかった。

 また、「ダークナイト」では物語中盤であっけなく爆殺されたレイチェルが今作では大きなウェイトを占めている。まず演じている役者が違う。「ダークナイト」ではオスカーにもノミネートされた経験を持つマギー・ギレンホールだったが、「ビギンズ」ではトム・クルーズの奥さんであるケイティー・ホームズ(最近NHKのBSで放送されたドラマ「ケネディ家の人びと」に出ていた)。似てなくはないが目の大きさが3倍くらい違う(笑)。別にどうでもいいが。

 このレイチェルとブルースの関係について文句が。ブルースはアルフレッドにも感づかれるほどレイチェルに気があるようで、女と遊んでいるところでレイチェルと鉢合わせすると取り乱し、真顔で「心の中ではもっと誠実だ」という。これは事実で、大富豪のブルースが夜に出歩かず、バットマンとして活動するだけでは行動が怪しまれる、というアルフレッドのアドバイスに従って遊んでいるだけなのである。しかしレイチェルが理解してくれるはずもなく、“It's not who you are underneath. It's what you do that defines you.”(字幕では「大切なのは心の思いを行動で示すこと」と訳された。名訳!)と言われてしまう。ちゃんと行動してるのに…。その後バットマンとなって、敵に襲われかけたレイチェルを救出した際、「本当の名前を教えてくれ」と言われたブルースは、“It's not who I am underneath, but what I do that defines me.”と言い返し、あっさり正体をばらしてしまう(日本のウルトラマンとはえらい違い)。レイチェルの気を引こうとする魂胆が見え見えである。

 後日、レイチェルもブルースのことを理解してくれたのか、「あなたが帰ってきてから私とあなたのことを考えていた」と言ってめでたくキスまでたどり着く。しかし、直後に「あなたの本当の姿は悪人を震え上がらせる」「私が愛したあなたはもういない」「ゴッサムがバットマンを必要としなくなったらそのあなたにまた会えるかもしれない」と面倒な理屈をこねて、ブルースを振ってしまう。振るつもりならキスなどするな。詐欺だろ。でも振られた直後のブルースの「…まじかよ」といった不満顔が秀逸なので許す(笑)。さすがベール。ところが次のカットで2人は手をつないでいる。もう理解不能だ。男女の世界は自分にはわかりません。

 個人的評価:☆☆☆☆