BioDoxology

生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

韓流ブームと韓国批判

2011-09-22 22:28:19 | 政治
 突然ですがチャン・グンソクってみなさん好きですか?個人的にはチョン・ウソンやイ・ビョンホンほどかっこいいと思えず、日本で野すさまじい人気ぶりはあまりわからない。しかし、同級生(男子)いわく「美男ですね」を観れば間違いなくファンになるのだという。彼は昨今の日本の若手俳優と比べて結構マッチョらしく、そこも人気の理由だ、と語っていた。なるほど。

 などということを考えていたら、ネットの掲示板で「チャン・グンソク来日時のファンはサクラ」という書き込みを多数発見した。何でも、日当2000円やら5000円やらで雇われており、サクラ募集のチラシの現物という画像も掲載されている。そしてそうした掲示板に軒並み書かれているのが、強烈な韓国批判だ。例えば、

・今の韓流ブーム(K-POPや韓流ドラマ)なるものは、フジサンケイグループなどのメディアが作り出した幻想にすぎず、それに国民が洗脳され、既成事実としてブームだと思い込まされている
・韓国政府が国策として韓国の芸能を日本に売り込んでおり、パチンコ業界を通じて在日韓国人と癒着した日本のメディアが加担している
・統一協会が日本での信者を増やすために韓流スターの興行を利用している

などなど。こうした意見の背景には昔から続く日本と韓国・北朝鮮との間の問題があると思われる。教科書やマスメディアでよく取り上げられるのは、戦前の植民地化、戦時中の強制連行、従軍慰安婦、竹島、拉致といったものだが、これらほど大々的に扱われなくても根深く続いているのが、統一協会とパチンコ産業だ。統一協会は北朝鮮の教祖が創始したとされる新興宗教団体で、合同結婚式などで有名。日本では特に大学生への強い勧誘が問題とされている。パチンコ産業は朝日新聞によると経営者の約5割が韓国籍、約1割が北朝鮮籍とされる。ネット上の韓国批判も特にパチンコ産業に関するものが多い。正直、大学生になるまで在日韓国・朝鮮人とパチンコのかかわりについては全く知らなかった。

 確かに、パチンコ産業はその経済規模の大きさ(一説に20兆円とも30兆円とも言われる)からか政治家との結びつきが強く、民主党には海江田万里氏などが所属する「民主党娯楽産業健全育成連盟」、自民党には平沢勝栄氏などが所属する「自民党遊技業振興議員連盟」といったグループがある。そしてパチンコそのものが、玉を景品に交換し、景品を換金するといった仕組みになっていて法律上は賭博とされていないなど、グレーな部分が多い。こうした、教科書やマスメディアであまり公に語られない問題が、日本と韓国の間の溝を大きくし、ここにきて韓流ブームと激しく衝突してきている。俳優・高岡蒼甫のツイートと、その後の所属事務所解雇問題が決定的な火をつけ、「フジテレビが圧力をかけた」という反発が相次ぎ先月にはフジテレビ前で大規模なデモも起こった。そしてテレビ各社でのデモの報道ぶりはかなり小さかったように思える。彼らいわく、こうした問題を報じないマスメディアもグルである、とのこと。昨年の尖閣諸島問題を巡って渋谷で起きた大規模デモが大きく報じられなかった時と重なる。

 こうした話を知ると、身の回りで沸き立つ韓国歓迎ムードも素直に信じられなくなってしまう。彼らの主張がどこまで本当かはわからない。そして、新聞やテレビといったマスメディアに対する恐怖も覚えてくる。高校生のころまでは、戦時中はともかく今の新聞やテレビは正しいことを言うのだろう、と思っていたが、実際には各社によって主張はかなり異なり、どれを信じるか結局は自分の判断にゆだねられてくる。その次に目に飛び込んでくるのは週刊誌で、テレビや新聞では報じないような「スクープ」「独占取材」といった強烈な主張が多い。さらに最近頭角を現してきたネットが加わる。マスメディアや週刊誌にも載らないような毒気の強い主張、特に「陰謀」や「弾圧」といった言説がたくさん出てきて、自分のきかされてきたことはすべて嘘、と感じてしまうような衝撃を受けることも少なくない。月並みな言い方になってしまうが、本当にこれかの時代、氾濫する情報から何が正しいのかを見極めるのは大変だ。

 ただ、あえてネット上の情報に関して一つ問題を挙げると、自分の考え方に近い情報を検索によっていくらでもえられてしまうことは危険なように思える。今回の例でいえば、「韓流 スター 来日」と検索すれば華々しいスター来日・韓国大歓迎映像などが出てくるが、そこに「サクラ」と加えるだけで、先ほど見たようなまるで正反対の意見に遭遇する。類は友を呼ぶの状態で、検索を通じて共感する者同士が無秩序に集まり、意見の過激化がノンストップに進みかねない気がする。冒頭のチャン・グンソク問題でも、紙媒体でこの問題を報じたのは自分が知る限り日刊サイゾーくらい。ネット上で反韓の人びとの間に異様な速さで浸透していったような感じを受ける。ネットを信用しないわけではないし、ふつうに暮らしていては出会えない人々や団体を見つけられる利点ももちろんあるが、こと世論形成となると、まだまだ克服すべき点も多い気がする。極端なことを言えば、皆が情報を見つけるのに頼りにする検索エンジンが検索結果の表示に手を加えてしまったら(一部の国では政府によるネット検閲もある)、それこそ人々は洗脳に近い状態になってしまうわけで。大変な時代になってしまったものだ、まったく。

胎児への母親の飲酒の影響

2011-09-18 22:05:46 | 生物
 前回のDNAに関する話に引き続き、本題の飲酒と胎児の関係について述べる。

 ファンコーニ貧血の原因となるのはDNAの二本鎖間の架橋反応(英語ではinterstrand crosslinking)である。DNAの二本の鎖では、AがT、GがCと必ず貼りついて並んでいるが、まれに離れた位置にあるAとT、あるいはGとCがくっついてしまうことがある。文字暗号の書かれた文書のたとえで言えば、2枚の紙がぴったりくっついているのではなく、ギョーザのひだのように歪んでくっついてしまっているようなものである。こんな状態では、書かれた情報を正確にコピーすることができず、もともとDNAに書かれていた正しい設計図に沿ってアミノ酸を作ることができない。これにより、最終的に作られるタンパク質がおかしくなってうまく働かず、患者は乳児期の発達に障害が起きたり、不妊体質になったり、骨髄の機能が低下したりしてしまう。

 健常者でこうした二本鎖間の架橋反応による影響が表れないのは、一般的に生物がこの反応を修正するたんぱく質の遺伝子を持っているからだ。ただし、その遺伝子をもたない個体もおり、ファンコーニ貧血にかかりやすくなる。一方、この反応を助長する物質もある。その一つがアセトアルデヒドで、今回natureに投稿されたLangevin氏らの論文でクローズアップされている。アセトアルデヒドといえば、アルコールが分解された後に生じ、酔いの原因となる物質として名高いが、実は普段の生活でも体内で一定量発生している。そして、このアセトアルデヒドを分解し無毒化するタンパク質をどれくらい作れるかも、やはり遺伝子で決まっている。俗にいう「酒の強さ」はこの遺伝子によるものだ。

 二本鎖間の架橋反応を修正するタンパク質の遺伝子、アセトアルデヒドを分解するたんぱく質の遺伝子、ともに複数種類があるが、今回の論文では、前者ではFancd2、後者ではAldh2という遺伝子に注目した。Fancd2もAldh2も持たない人は大変、ということになる。アセトアルデヒドの蓄積による二本鎖間の架橋反応を止められず、ファンコーニ貧血を発病するリスクが非常に高くなってしまう。肝硬変や肝臓がん以外にも、アセトアルデヒドは危険な側面を持つのである。

 もっとも危ないのは妊娠中の女性だ。女性本人がAldh2とFancd2両方を持っていたとしても、夫の遺伝子のタイプなどの条件によっては、子が一方の遺伝子を持たない、あるいはどちらの遺伝子も持たない可能性がある。そのような子を妊娠した状態で飲酒するとどうなるか。まず、母親の血液にアルコールやアセトアルデヒドが入ってくる。すぐにすべてが分解されるわけではないので、分解前のアセトアルデヒドも含まれる。そしてその血液が胎盤に達する。胎盤は、胎児と母親をつないでいる機関で、母親の血液と、へその緒を通じてやってきた胎児の血液が接近する。血液同士が混ざるわけではない。しかし、接近した血管の間を伝って、胎児由来の二酸化炭素や老廃物が母親の血液に、母親由来の酸素や栄養が胎児にわたる。この時にアセトアルデヒドも胎児の血管にわたってしまうことがある。胎児にAldh2がないと、二本鎖間の架橋反応が大量に起きてしまい、ファンコーニ貧血の危険性が高まる。さらにFancd2も持っていなかったら大変である。

 この論文ではマウスで実験が行われ、Aldh2とFancd両方を持つ母親が、Aldh2もFancd2も持たない胎児を妊娠した時、胎児は母親がアルコールを摂取しなくても目に障害を持つ個体が発生したが、アルコールを摂取するとその比率はさらに上昇した。さらに、Aldh2のみ持った胎児を妊娠した場合は、母親がアルコールを摂取しない場合は目の障害が起きなかったのに対し、アルコールを摂取すると目に障害を持つ個体が現れた。また、脳ヘルニアという病気に対しては、Aldh2のみ持つ胎児、Aldh2もFancd2も持たない胎児どちらでも、母親がアルコールを摂取しない場合は発病する個体はなかったが、アルコールを摂取すると発病する個体が現れた。

このように、妊娠中の女性自身が酒に強くファンコーニ貧血を発病していないとしても、胎児の遺伝子のタイプが異なっている場合もあるのであって、自分が大丈夫だからと言って酒をあおるのは絶対に駄目である。女性の方々はくれぐれもご注意を。だからといって、男性は配偶者と子どもをしり目に酒を飲み放題、などと言っているわけではない。大学生の分際でなんだか説教くさい話になってしまった。

 追伸:先日、生物学を専攻する学科への進学が決まりました。文系から勝手に変な道に進もうとしたくせに、「狭き門で大変だ」などと愚痴をこぼしていてご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。支えになってくださった方々、本当にありがとうございます。

DNAの仕組み―胎児への母親の飲酒の影響を説明するために

2011-09-14 00:17:56 | 生物
 ついに生物ネタ更新!めでたい。7月7日付のnatureに投稿された、ファンコーニ貧血という病気とアセトアルデヒドの関係についての論文が興味深かった。

 ファンコーニ貧血とは、いくつかの遺伝子の変異が原因で起きる病気で、患者は不妊や骨髄の機能障害を起こし、がんの危険性が高まるなどの症状がみられる。患者の細胞の中のDNAでは、二本鎖間の架橋反応(英語ではinterstrand crosslinking)という反応が起き、DNA複製が阻害されて異常が起きている。

 なんのこっちゃ、という話なので、今回はまずDNAの仕組みの説明をする。大昔の記事で、DNAとは生物の体を作るための、レゴブロックのいろいろな作品の作り方マニュアルが集められた本のようなものだとたとえた。ここでさらに厳密な言い方をすると、本は本でも、細長い紙に文字が1列並んだモールス信号文のようなものに近い。そしてブロック作品であるタンパク質は、一つ一つのブロックが文字の順番通りに数珠のようにつながったものである。

 ところで、文を書くためには文字が不可欠である。DNAで使われている文字は、A・T・G・Cの4種類しかない。それに対して、生物の体を作る一つ一つのブロック、つまりアミノ酸は20種類ある。4種類の文字で、20種類のアミノ酸をどうやってあらわすのか。ずばり、何文字かをつなげてセットにし、「単語」で表すのである。

 例えば、「か」と「き」という2種類の文字を使って2文字の言葉を作るとすると、「かか」「かき」「きか」「きき」という4種類の言葉ができる。このように、2種類の文字を使うとき、2文字の言葉は2×2=4種類できることになる。では、3文字の言葉ならどうなるか。「かかか」「かかき」「かきか」「かきき」「きかか」「きかき」「ききか」「ききき」の8種類になる。これは2×2×2という計算である。

 では、DNAの文字であるA・T・G・Cを考えてみると、2文字の言葉は、4×4=16種類できる。しかしこれでは、アミノ酸20種類を表しきれない。3文字の言葉はどうか。4×4×4=64種類できる。これならアミノ酸20種類を表すことができるが、逆に文字の種類が多すぎることになる。そこで、「違う文字からできた言葉でも同じアミノ酸を表す」という方法がとられている。例えば、CCA・CCT・CCG・CCCという4種類の言葉は、すべてプロリンというアミノ酸を表す。なんだか無駄の多い表し方だが、仕方ないのである。

 このようにして、20種類のアミノ酸を表すために、3文字セットとなったA・T・G・Cという文字が並んだものが、DNAなのである。AACGTCGAGTTAというDNAがあったら、3文字セットで読むと|AAC|GTC|GAG|TTA|となる。これは順に、アスパラギン・バリン・グルタミン酸・ロイシンというアミノ酸を表す。各セットは連結されるので、このAACGTCGAGTTAというDNAは、「アスパラギン-バリン-グルタミン酸-ロイシン」という、4つのアミノ酸からなる数珠のようなタンパク質を表す。DNAのA・T・G・Cとは、こうした役割を持ったものなのである。


 そして、このような文字が書かれたDNAの形であるが、単に文字を紙に書き続けたモールス暗号の文書のようなものとは違う。紙に書かれた文字が消えてしまわないように、保護しなければならない。この保護の仕方がすごく独特なのである。もう1本の暗号文書を貼り付けるのである。ただし、貼り付け方には規則がある。Aという文字はTという文字と、Gという文字はCという文字と貼りつきあわなければならない。こうして、DNAは2つの暗号文書が貼り付きあった形をとる。しかもこのペアになった文書がねじれる。これこそが、二重らせんと呼ばれる形なのである。らせんの両側の線が、信号を書いた紙に、らせんの中にある線が、書かれた文字に相当する。


 ちまたで「DNA=二重らせん、AとTとGとC」と、まるで暗記させるように連呼されているが、その仕組みはこんなに複雑なもの。しかし逆に言えば、この程度の暗号文書があれば、我々の体はすべて設計できてしまうのである。むしろ単純といえるだろう。次回はこれを踏まえて、ファンコーニ貧血の原因となるDNAの異常について述べる。

不条理(2)

2011-09-09 00:35:32 | 雑記
 報告会前に大急ぎでルポ記事を仕上げなければ。文章の練り方が弱くなりますがご容赦を。

 8月24日に石巻市でショックを受けてから2日後、26日には岩沼市を訪れた。そこで活動していた「がんばろう!!岩沼」というボランティア団体の方から伺った話が興味深かった。

――岩沼市は、市の東部は津波で壊滅的な被害を受けたが、中部と西部は比較的軽い被害で済んだ。そこで、中部と西部に住む人々が積極的に東部へ物資を提供し、ボランティアは人手の少なさを補ってくれるものとしてきてもらい、物資支援はなるべく市内で完結させる形にするよう努めた。今は物資支援を断り、「がんばろう!!岩沼」としての活動は終えている。理由は、外部からの支援に頼っていてはいつまでも自立が始まらないから。震災から何か月か経って、市民の間に「物資をもらって当たり前」という空気が芽生え始めたのを感じ、すぐさま物資支援ストップに移行した。復興と自立は市民が行うものでなくてはならない。ボランティアは、あくまでその手助けをする存在であり、市民の生活がボランティアに依存するべきではない。

 一つの地域の中で被害状況の異なる人々が混在する、という状況は、前回述べた石巻市泊浜地区と似ている。しかし、そこからいかに連携体制をとり、復興へ向けてスタートするかという点において、両者は決定的に違う。かたや住民間の助け合いが機能し、かたや助け合いがいがみ合いとなっている。その違いはどこから来るのか伺った。

――それは、おそらく行政の動き、仮設住宅の建設、そして義捐金の配布の迅速さの違いによるのではないか。まずは支援が行き届かなければうまくいかない。自治体の規模の大きさもある。岩沼市は比較的小さいが、石巻市は大きい。大きな市では支援が行き届かないところも出てくるだろう。

 首都圏に住んでいると、復興に向けた計画として中央政府の政策レベルの話が中心になりがちである。もちろんそれも極めて重要だが、実は地方行政や地域住民の町内会など、地域レベルの小さな組織の動きも、復興に向けて大きなカギを握っているのである。これは自分が大きく見落としていた点だった。

 団体がもともと活動していた倉庫には、市外から送られてきて余っているであろう物資が山のようにあった。シャツ、幼児用品、寝具もあっただろうか。しかしこれらはすべて処分してしまうという。倉庫の衛生環境がよくないため、湿気で虫食いに遭ったり、カビが生えてしまったりするものが多く、被災者に配るわけにもいかないのだそうだ。なんだかもったいない気もするが、どうしようもない。

――これからボランティアの助けを借りるとすれば、まずは就労支援。次に、仮設住宅を中心とした地域のコミュニティづくり。知らない人同士が住む仮設住宅で孤独死などを防ぐためである。住民の間では、サロンのような人の集まれる施設を作ってコミュニケーションの場とし、さらに経済活動にも貢献できれば、と考えている。

 これと似たようなことが他の自治体でも言われた。「復旧から復興」という言葉に象徴されるように、とにかく人海戦術でがれき撤去や泥かき、家屋の片づけをする段階から、仮設住宅というセンシティブな環境で長期的な街づくりをはじめていく段階に入っているところは散見される。七ヶ浜町、女川町でもそうした声が聞かれた。女川町は、津波で壊滅的な被害を受けた地区であっただけに、「まだがれき処理や泥かきが必要ではないのか」と思えるのだが、津波で根こそぎ町が流されてしまったため、ある程度がれきを撤去すると、もはや手を加える場所も、必要性もないのだという。そのため、がれきや泥の処理が大変だというわけでは、必ずしもないのである。

 そして、地域再生・コミュニティづくりを行っていく際に求められるのが、「長期的・継続的な支援」である。地域の住民と顔なじみになり、現場の状況に通じたリーダーとなって連携体制を作っていけるような人材が求められる、という。女川町で活動するボランティア「REAL eYE」の話を聞いた。ここは、自身も被災された女川町に住む夫妻が個人的に活動する、という形で動いており、仮設住宅の訪問を精力的に行って住民支援に尽力している。

――仮設住宅に住む住民の人びとに心を開いてもらうまで3か月かかった。東北では自分の頼みを言わないことが美徳とされるので、支援を求める声を聴けるようになるまで非常に時間がかかる。地域再生は生半可な気持ちでできることではない。ボランティアにきている人が1人いるが、その方は広島から住み込みで活動し続けている。もし我々とともに活動したいのならば、一生ここの人びとと関わり、女川に移住するくらいの覚悟できてほしい。

 確かに、言うとおりだろう。数日単位で入れ替わってやってくるボランティアと打ち解けて地域再生しろと言っても、酷な話だ。しかしここまで来ると、もはや首都圏を含め全国の人びとが支援できる問題ではなくなってくる。人生をかけるような熱意で来てくれる人も確かにいないわけではない。だがみんながそれをできるかといえば、そうでもない。「何かしたい、でも自分が役にたてるのかどうかわからない」と二の足を踏んでいる方もゼロではないはずだが、そうした人々の前でハードルを上げてしまっては、結局「私たちには出来ることなどないんですね、地元で何とかしてください」という話になりかねない。失礼を承知でいえば、地域再生という色合いが強くなるほど、外部からの支援に対して閉鎖的になってきている可能性がある。

 もちろん、ボランティアや復興は外から手助けをしたがっている人々のために行うのではなく、被災地のために行うものだ。「よそ者に何がわかる」という心理は当然尊重しなければならない。だとしても、「来るなら本気でこい」というハードルができて、この災害からの復興が被災地で完結するようなことになると、被災者と我々の間の「断絶」ともいえる意識の差はますます広がるばかりではないか。「自分には関係ない、何もしなくて良い」と決め込むことのできない人々はいるわけで、そうした人々の思いが生かされずに終わってしまうのは、これもまた不条理ではないだろうか。果してこれから、どういった形の支援が行われるべきで、我々はどうかかわっていけばよいのか。結局ボランティアインフォの間でもまだ結論は出ていない。

 総じて今回のボランティア参加、あまりに重苦しいものだった。まず、現地に足を運んで各種団体をアポを取り、話を聞いて回るという作業は、企業での外回りに近く、大学で研究めいた学習をしていただけの自分にはその社会的スキルが全くなかった。ある団体へ電話でアポを取ろうとしたときは、自分の説明のまずさのせいで断られ、チーム全体に多大な迷惑をかけることとなり、申し訳ない限りである。そして繰り返すが、自分は被災地の現状に対してあまりに無知であった。自分の考えていた復興へのイメージがいかに薄っぺらなものか思い知らされた。5日にわたる活動期間、終始自己嫌悪に陥り、帰ってからも悩みは増すばかりである。

 これもいつしっかり投稿できるかわからないが、自分はもともと特に災害時のボランティア活動を毛嫌いしていた。特に「ボランティア活動を経て自分も成長できる、よい経験になる」という言説が許しがたかった。今回の例でいえば、被災者は苦しみを一生背負わなければならない。それを一回の経験に矮小化するような振る舞いはばかげていると思っていたのである。今回参加してもその気持ちは変わらないが、首都圏にいてはわからない現実を知ったことはどう考えればよいのか。よい経験といいたくなる自分がいる。一方で、そう感じる自分がまさに、かつて批判していたボランティアの連中と同じ類の人間になっているのではないかという恐怖感がある。もはや自分のしていることが正しいのかどうか、全く分からなくなってきた。こんなダーク状態になっていたので、更新も遅れた、ということにしてください。

プロジェクト報告会の告知

2011-09-08 01:10:56 | 雑記
 最近まったく更新できておらず、申し訳ありません。言い訳すると、今回告知する報告会の準備で忙しかったのです。

 先月参加してきた情報ボランティア団体「ボランティアインフォ」の現地活動プロジェクト「もっとボランティアを!プロジェクト」の活動報告会「被災地にもっとボランティアを!~ボランティア団体とボランティアを繋いだ学生からの報告~」が、明日開催される。被災地は、「もう十分支援は来ている」というわけでもなければ、「とにかくボランティアが足りない」というわけでもなく、状況は複雑である。「復旧から復興」といわれているように、地域再生に向けてどのような形の支援が求められ、首都圏の我々に何ができるのか、参加した学生の視点から伝える。

◆日時:2011年9月9日(金)19時開始(18時半開場)
◆場所:日本財団ビル2階大会議室
◆最寄り駅:虎ノ門駅3番出口より徒歩5分、溜池山王駅9番出口より徒歩5分
◆参加料:無料
◆定員:100名
参加申し込みは申し込みフォームhttp://volunteerinfo.jp/event20110909entryよりお願いします。

 本当なら自分のルポ記事の後にしたかったのだが…あいにく前日になってしまった。怠けて行進しなかったせいで閲覧数も下降気味なので告知としての効果があるのか…自責の念に駆られるばかり。いろいろな方に申し訳ないです。