BioDoxology

生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

急なお知らせですが

2012-02-24 23:25:11 | 雑記
 個人的に色々と面倒な問題が発生し、しばらく多忙な日々が続くかと思いますので、当分更新ができなくなります。無念。生物、映画、政治、書きたいことはいろいろあるのですが。世の中はうまくいかないものです。いつか再開できることを祈ります。

映画(15) 「八仙飯店之人肉饅頭」

2012-01-14 00:21:12 | 雑記
 まことに遅ればせながら、あけましておめでとうございます。開設当初に比べ、案の定すっかり更新が滞りがちになってしまった当ブログですが、たとえゾンビといわれようとも続けます。よろしくお願いします。

 昨年中に報告できなかった、12月28・29日にかけて自宅で開催された第二回最低映画祭。高校の同級生を1日目には2人、2日目には4人招待し、集まったメンバーも作品も素晴らしく不毛、非常に意義のある催しとなった。

 1日3本駄作映画を鑑賞すると立ち直れなくなる、という第一回の反省を踏まえ、今回は駄作2本のあとに傑作1本、という組み立てて行った。上映作品は、
1日目:「シベリア超特急」「千年の恋 ひかる源氏物語」(以上駄作)「八仙台飯店之人肉饅頭」(傑作)
2日目:「アタック・オブ・ザ・キラートマト」「さよならジュピター」(以上駄作)「シャイニング」(傑作)
である。1日目の傑作「八仙台飯店之人肉饅頭」は見た目や評判からして、2日目へのつなぎ役にふさわしいB級傑作、2日目の傑作「シャイニング」は鬼才キューブリック監督、評判もとてもよいアブノーマルA級傑作という位置づけとしていた。

 で、実際に鑑賞を終えての印象だが、駄作枠で素晴らしかったのは「アタック・オブ・ザ・キラートマト」。いや、もう批評しようがない。ひたすら、おまぬけギャグのオンパレード。確信犯的なくだらない作風といい、突如ミュージカルのごとく挿入される歌といい、ことごとくツボにはまる素晴らしい駄作だった。表現が矛盾しているとお感じになる方は、一度ご鑑賞あれ。この言葉の意味が分かるかと存じます。この作品を進めてくださった大学の同級生のお父様に感謝。

 しかしこのトマトをもはるかに上回る衝撃だったのが、最後の「シャイニング」、ではなく、意外にもつなぎ役の予定だった「八仙台飯店之人肉饅頭」。そこで今回はこれをピックアップだ。

 (以下、ネタバレを含みます)

 マカオの海岸で切断された人の手足が発見された。捜査を進める警察の前に浮上したのは中華料理店「八仙台飯店」の店主、ウォン。警察の聞き込みにあいまいな答えを続け、自慢の肉まんを手土産に半ば追い返すように警察をあしらったウォンの正体は、自らのいかさま麻雀を見抜いた人間を殺害し、バラバラにしてその肉を店の肉まんに混ぜ込む殺人鬼だった。

 本作を語るのには、今までのような長ったらしい批評は必ずしも必要ない。要約すれば、とにかくこの一言に尽きる。

 すげえ。

 まあこれだけだとなんのレビューにもならないので多少付け足すと(笑)、この映画は「ただすごいだけの映画」なのだ。これまで見てきたバイオレンス映画といえば、「女囚さそり」「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」のように、キャラ設定やセリフでうならせ、演出でも押しの強いものが主流で、いわば「すごくてひねくれた映画」。ところがこの「八仙台飯店之人肉饅頭」は、それらとは一線を画す。ことグロ方面に関して言えば、奇をてらったキャラも演出も極めて少ない。殺人鬼ウォンは、「冷たい熱帯魚」の殺人鬼村田のような威勢のいいセリフも履かなければ茶目っ気たっぷりな動きもしない。巧妙な隠ぺい工作もトリックも使わず、頭脳バトルもくり広げない。きわめて一般的な、ある意味「雑」な殺人犯として描かれる。彼の行動パターンはただただ普通、いや普通よりも頭が悪いかもしれない。動機も突発的なものばかりで、二時間ドラマレベルかもしれない。しかしただ一つ、行動の中身がとてつもなくぶっ飛んでいる。こいつの殺人のやり方はやばい。やばすぎる。予想をことごとく裏切る攻撃方法だ。特に湯呑と割りばしの使い方。何だあれは?誰がこんな方法を考えたんだ?衝撃的すぎる。

 そしてクライマックスの殺人は、そうした予想外の方法すら使わず、ただ直球勝負の殺人。これがものすごく怖い。いかれた人格をほとんど見せない分、とにかく生々しくて、リアルだ。その恐ろしい動きと、暴力的なきらいはあるが見るからに狂人という雰囲気ではないウォンのキャラクターの微妙なギャップが、ほかの映画には見られない、不快感ともカタルシスとも言えてしまうような摩訶不思議な気持ち悪さを与える。

 殺人シーン以外にも、警察に逮捕され、理不尽という言葉ではすまされないような拷問を受け、証拠もないのに刑務所にぶち込まれ、さらに囚人にリンチされるという、日本では絶対に思いもつかない一連のシークエンスにも絶句する。そしてそこから何とか抜け出そうとするウォンの行動がまたすごすぎる。言われてみれば合理的ではあるが、「そんなことしないだろ?」としか思えないことを次々やってのけるのだ。この脚本を書いた人は、天才か?

 さらに言えば、本作の警察も極めてやばい。警察はとことん、しょうもないギャグを繰り返す輩として描かれており、そこだけ見れば「アタック・オブ・ザ・キラートマト」と似たようなものだ。しかしその警察が、お茶らけたテンションのままで、見るに堪えない拷問を繰り返す。しまいには看護師までにこにこ笑いながら拷問に加担する。おかしい、おかしいだろ。性格と行動のギャップが激しすぎる。ここでもまた、ギャップが妙な気持ち悪さをもたらす。

 従来のバイオレンス映画とは全く違う本作のキャラ設定は、我々が知らぬ間に「グロ映画といえばこうだろう」と前提してしまっていた枠組み―かっこつけていえばパラダイム―をぶち壊す。これだ。こういうのを、革命的な映画というのだ。やられた。感服した。クライマックスであまりの恐ろしさに涙した。「時計じかけのオレンジ」以来2度目だ。でもこちらのほうがもっと凄まじい。とんでもない映画に出会ってしまった。近所のローカルレンタル店で、レンタルすら終了して買い取るしかなかった本作のVHS。たったの200円で、これほどの衝撃を見ることができるとは。こういう時には、このセリフを。

 いやあ、映画って、本当にいいもんですねー。

 「シベリア超特急」の監督・脚本・主演を務められた名評論家、水野晴男さんに捧ぐ。

 個人的評価:☆☆☆☆☆

横浜マラソン

2011-12-26 00:35:58 | 雑記
 課題に追われる怒涛の12月が終了、やっと時間ができたのでここから一気に更新していきます。

 もう3週間も前だが、12月4日の第31回横浜マラソン10kmの部に出場してきた。自分の姿を見知っている方々ならおわかりだろうが、このわたくしおよそ運動、特に運動神経とは無縁である。参考までに述べておくとBMI指数は17前後である。にもかかわらず、なぜこんな無謀な試みに出たのか?もともとのきっかけは、今年1月に朝日新聞に掲載された「1年かけてフルマラソン完走を目指す」という記事であった。運動と無縁とはいえ、体型も幸いして長距離走にはそこまで苦手意識がなかったため、挑戦するのも面白いではないかと、記事をスクラップしておいた。しかしいつもながら、学校が始まればそんな練習に割ける時間もなく、10km走るのがせいぜいといったところで夏休みに。そんなときに見かけたのがこの横浜マラソンのチラシで、10kmの部ならこなせるだろうと思い、同じマンションに住んでいることが発覚した大学の同級生(笑)を誘ってエントリーしてしまった。ところが休みが明けるとますます練習時間が減り、11月に入って焦って練習を再開した程度である。

 かたや、誘った同級生は夏から週2回練習を積んで10km完走できるようにしてきたという。見た目ががっしりしていた人だったのでスポーツも得意だろうと思っていたのだが、意外にも高校時代以降は運動をしておらず、初めは2kmで疲れてしまっていたところからトレーニングし続けたとのこと。誘った本人よりよほど熱意がある。本番1週間前に2人で近所の公園で10km走ってみたところ、かろうじて自分が先にゴールできたのでよかったが、エントリーした時に妄想していた50分以内には遠く及ばず、54分かかってしまった。

 そして本番。緊張したせいで前日は午前3時まで眠れず、3時間睡眠という最悪のコンディションで出発だ。相棒は全く緊張せずに6時間以上眠れたらしいが、「眠い眠い」とのんきにぼやいている。こいつめ。しかも会場の山下公園に向かう途中で「腹が痛い」と言い出し、高級ホテルに入っていった。しばらく待つこと数分、出てきた彼は「みんな同じ事考えてたみたいだ」と、ランナーとしか思えない格好の男性たちがホテルのトイレに並ぶ謎の光景を解説してくれた。まあ、めったに見られないものではあるが。山下公園はとにかく人だらけ。更衣室としてテントが張ってあったのだが、テントの中もひどい混雑で、座ることすらままならない。やけに時間がかかりながらも着替え、荷物を預けてスタートまで待つ。50分もある。周りでは本気度の高そうなランナーたちがウォーミングアップに励んでジョギングをしているが、そこまでの熱意もない我々2人はぶらぶらと公園を散歩し、ストレッチをするくらい。途中公園内のトイレを見つけたが、目を疑うような行列ができていた。ホテルのトイレに入って正解なわけだ。

 いよいよスタートが近くなり、スタート位置に並ぶ。イチョウ並木のきれいな車道を思いっきり占拠して走れるのがこのレースの魅力だ。予想タイムによって並ぶ位置が決まっており、自分たちを含め予想タイム45~60分の人たちは最後方である。スターターゲストには我らが林文子横浜市長(相棒は名前すら知らなかった)と、何と横浜Fマリノスの中村俊輔。当然ながら声援は俊輔にのみ向く(笑)。そしてついにスタート。しかしこの人の多さである。まず、開始30秒は動かない。その後徐々に歩き始め、合計2分間は完全なお散歩状態。一応54分での完走を目指していたのでかなり焦り、人がばらけてくる矢田港をしまくってペースアップ。気がつくと相棒はいなかった(笑)。1km通過時点で6分30秒。遅すぎる!自分は前半と後半でペースが変わらないので、1km5分半くらいで走らなければならない。急いでペースを上げようにも人が多すぎて無理である。しかも1km通過直後に道が狭くなり、またしてもお散歩を強いられる。そのうえ、道幅が広く周りの人たちがみな走っているので、自分のいつものペースが全くつかめない。

 おそらく3~4km進んだかというところで、すでに折り返してゴールへ向かう1番手とすれ違う。どんな速さだ?その後、5km折り返し地点に到達。タイムは手元の時計で29分59秒。なんということだ。あまりに遅いではないか。54分でゴールするには残り5kmを24分で走らなければならない。ここでちっぽけなエンジンが全開モードになった。そろそろ人ごみもかなり解消されてきたので、蛇行しながら懸命に周りを抜いて走り続ける。他人を抜くにはかなりペースを上げなければならず、そのうえ蛇行で走る距離が増えるので、どんどん疲労が蓄積していく。6kmほどの地点で給水があったが、何とここも混雑していて行列ができてしまっていたので、水を受け取らずにパスする。一度やってみたかったのだがお預けだ。当然ながら路面に水が散乱していて、水たまりを踏んだ。そんなことに構う余裕もなくひたすら走り続ける。

 あと3kmの表示が見えた。手元の時計で40分ほど。まずい。間に合わない。前半でペースダウンを強いられた狭い道に差し掛かる前にどうにかして順位を上げなければ。ここでゆるい上り坂が来た。苦しすぎる。例の狭い道に入る。ところがすでに人がばらけていてペースが落ちない。いや、落とすことはできるのだが、さっきまで抜いて行った人たちにぬき返されるのが悔しいので勝手にペースを維持。そんな中、15分ほど前にスタートしたハーフマラソンの部の1番手にぬき去られた。だから、どんな速さだ?坂が下りになった。沿道でおびただしい数の人が声援を送ってくる。その声も耳に入らないくらいに必死で走る。しかしいつまでたってもスタート地点の銀杏並木に入らない。そろそろ限界だ。

 すると、何やら前方に青いゲートのようなものがある。何だあれは?なぜかタイムカウンターがついている。その上のほうにFINISHと書いてある。ゴールだ!ゲート30m手前でやっとその事実に気付く。残った道をラストスパートしてついにゴール。手元の時計で、54分51秒。54分を切ることはできなかったが、初めにスタートラインまで到達するまで2分かかっていることを考えれば、目標達成だ。今までの練習とは比較しようもない疲労感と足の痛さ。ふらふらしながら参加賞のアクエリアスとTシャツをもらい、荷物を受け取ってテントへ。しばらくしてからあの同級生にも再会。彼も無事1時間1分ほどでゴールしたとのことで、「マイペースで楽しく走ったわー。いやあ楽だった!これで就活の自己アピール欄が埋まるわ!もう2度とやらねえ!」とへらへらしている。事前の熱意と本番のやる気で順位が逆転している我らであった。

 あまりの疲労でもはや着替えるのも面倒になったので、Tシャツに行きの上着を羽織り、下はジャージのままで帰宅。これだけ疲れればよく眠れるだろう、と思っていたのだが、体が痛すぎて眠れなかった(笑)。翌日、授業が1限からあり、しかも午後は脳科学のシンポジウムに出るという超過密スケジュール。シンポジウムの途中で寝落ちたのは言うまでもない。だが出場したことに悔いはない。本番のレースは練習と全く違うつらさがあり、今回はそれを思い知ったが、同時に達成感も大きい。来年はハーフか?まあ、そういっておきながら結局練習せずに10kmで妥協していそうだが。

 さらに後日談。実はレース時にランナー全員がタイムの計測器を身に着けており、後日詳しいタイムや順位がわかる仕組みになっていた。送付されてきた結果を見ると、初めにスタートするまでの時間ロスを加味した正味のタイムは52分41秒。軽く自己ベストだ。順位はなんと3717人中1553位。20歳代男性の中でも473人中221位。この自分が、半分より上でゴールだと?意外と皆さんレベルが低い。特に20歳代男性、もっと頑張れ(笑)。最も驚いたのは5km折り返し地点での順位で、3717人中1834位。これでゴールした時に1553位ということは…後半5kmで281人抜きをしていたことになる。そりゃあ、つらかったのも当然だ。ということで、ちょっと自慢できてしまう体験であった。

映画(9) 「デビルマン」

2011-10-20 22:26:22 | 雑記
 2週間に及ぶ多忙と過労から復活!まったく更新できず申し訳ありませんでした。政治の動きがのろのろ気味なことに助けられた気も(笑)。

 さて、今回は前から温めていたものの、記事を書く暇がなくお蔵入りになっていたもの。9月のある日、友人2人とともに「最低映画祭」を開催した。世間で駄作といわれる「北京原人Who are you?」「中国超人インフラマン」「デビルマン」の3作を一気に上映、不毛さを味わって満足という妙な一日となった。3作それぞれ独特の珍品ぶりがあったが、最も強烈だったのは「デビルマン」。2000年代最大の駄作となじられまくり、友人の1人のブログでも「これはひどい」の一言で片づけられている本作をまじめに語ってみようではないか。

 高校生の不動明(伊崎央登)は幼いころに両親を亡くし、同級生の牧村美樹(酒井彩名)の家の世話になっていた。ある日晃は、親友だが異常に凶暴な同級生・飛鳥了(伊崎右典)に自宅へ呼び出され、研究者である了の父(本田博太郎)がデーモンという未知の生物に感染した様子を見せられ、了自身も感染していると告げられる。そしてついには明も了の父から飛び出したデーモンに感染するが、明は一般的なデーモン感染者と異なり、人間としての理性でデーモンの凶暴性を抑え込むことのできる生物、デビルマンとなっていた。明はデーモンの破壊活動を阻止するべく、デビルマンとしてデーモンと戦う道を選ぶ。しかし、デーモンの感染やデーモンによる殺人事件は日増しに増加し、日本中で周りの人間がデーモン感染者ではないかという疑心暗鬼が広がりだし、魔女狩りのような襲撃事件が横行する。明の同級生・川本巳依子(渋谷飛鳥)もデーモンに感染し、彼女をかくまった明と牧村一家が町民から疑われ始め、ついには明が感染していることも明らかになってしまう。

 なんだかまとめるのも大変なくらいに内容は多い。そして、こうまとめてみればそこまで駄作となる余地もなさそうに思える。この映画、もともとはマジンガーZやキューティーハニーなどを手掛けた永井豪の同名漫画が原作で、原作は人間の心の闇を描いたSF大作として評価も高い。そしてWikipediaを見る限りだが、映画版と漫画版ではそこまでストーリーの違いがあるわけでもなさそうだ。しかし現にこれはひどい(笑えない)。なぜこんなことになったのか?自分が思うに最大の原因はストーリーラインの組み立て方だろう。

 原作漫画は全部で53話もあり、すべての内容を2時間の映画に詰め込もうとしても無理があるので、(原作のイメージを尊重するなら)取捨選択をして可能な限り分かりやすさと原作イメージの保持を両立させるよう、脚本で努力しなければならない。本作はこれに失敗したとみて間違いなく、スケールの大きな漫画のストーリー全体から部分部分を切り取って張り合わせたような印象を受ける。説明区長のセリフが多いうえ、せりふでも補えないような唐突な展開が多すぎて、何がどうなっているのかわからない。原作を読んでいない場合は特に、全く置いてきぼりを食らうような流れである。次から次へと新しい人物やキャラクターが登場してはすぐにいなくなっていき、結局最後までストーリーとのかかわりもなく消化不良になっている点などは、漫画から個々のエピソードをつぎはぎしてきたとしか思えない。連載漫画では何話かで一つの区切りをつけ、新しいエピソードを展開させることもよくあるが、映画で、まして短時間でそれは難しいのである。

 そのせいで、観客を置き去りにしてやたらとスケールの大きな話が支離滅裂に展開し、全く乗り切れなくなっている。町が廃墟となり、クライマックス(?)の明と了の戦いでは地球にひびが入り、あれよあれよという間に全人類が滅亡してしまうなど、もはや呆然とするしかない展開だ。そのうえ説明区長のセリフに感情をこめようと演出しているので陳腐に見えてしまう。「戦国自衛隊1549」や「となりまち戦争」と似た失敗である。つまり脚本に加えて監督の責任も重い。「俺、デーモンになっちまった…」って、そんなストレートすぎて軽すぎる言い方があるか(笑)。

 そして、脚本と監督の悪さを考えたうえでも、役者陣がうまいとは言い難い。明・了を演じた伊崎兄弟(双子である)はともに映画初出演なためか棒読みのオンパレードで、明がデーモンであるとばれたときの「ああー」というセリフは心情の推測が不可能。美樹の父親役の宇崎竜童が、「ゴジラ モスラ キングギドラ 大怪獣総攻撃」では主演の新山千春よりもはるかに劣る大根ぶりだったのに、本作ではなかなかうまく見えるのは、周りのレベルが低いからか?それとも本人の演技力が向上したからか?(笑)

 ただ、ひたすらこき下ろすのもなんなので、よいと思われる点を挙げるとすれば、人間たちが魔女狩りならぬデーモン狩りに躍起になる一連の場面である。脚本でもこのエピソードを重視したのか、展開が他と比べても突出してゆっくりで、流れについていくことができた。退屈もしたが(笑)。性格が不思議なだけでデーモン感染者とのうわさを立てられて逮捕されたり、デーモンだとばれた巳依子の家が落書きまみれにされたり。実際に、民族や思想の対立などでこれに近い状況に陥った国や地域もあるわけで、今の日本でも過剰な福島忌避現象が起きていることもあり、これは他人事ではないな、とゾクゾクした。

 もう一つ、よいといえるかどうかわからないが、退屈か呆然としているかが大半の本作の中で一番刺激の強かったのは、デーモンとばれていったん警察に連行された明が逃亡して牧村家に戻ってきたとき、一家全員がすでに住民に殺された後だったと分かるシーン。美樹の両親は横たわっているだけだからまだいい。美樹はなんと、生首がさらされていたのである。しかもその首がものすごくリアル。「犬神家の一族」や「羊たちの沈黙」に登場する首は作りものだと分かるが、本作の首はまるで演じた酒井彩名そのもので、唐突なグロテスクシーンの登場と相まって、友人ともども背筋が凍ってしまった。あれは作り物か?それとも境の映像を合成したのか?あのシーンだけは詳しく知りたい。

 そしてもう一つ。本作で、親から虐待を受けていたが巳依子に助け出された少年ススムのを演じ、奇妙な老成ぶりで印象に残っていたのは、なんと先日ベネチア国際映画祭で「ヒミズ」の演技により最優秀新人賞を受賞した染谷将太である。最低映画から時を経て最優秀新人賞へ。あっぱれ。

 うん、ほめるのもこれが限界だ(笑)。観終わって頭を整理したからそれなりにきちんとまとめられているが、観ている間は何がなんだかよくわからないままに時間が過ぎ、「まだあと30分以上あるのか、しかしどう収束するんだ?」と思っていたらカメラが引き始めて「ここで終わるのか?」と困惑するなど、まあこれほど理解に苦しんだ映画もそうない。「北京原人Who are you?」は駄作ではあるものの突っ込みを入れる楽しさがあったが、この映画は突っ込むことすらも許されない。そう、真の駄作を前にすると「ひどいなこれ!」ということすらも許されないのである!参った参った。予想を上回る不毛度でした。全作品鑑賞後、3人そろって意気消沈してしまい、このままでは家に帰るのもままならない、ということで「ダークナイト」をダイジェスト鑑賞した時に感じたクオリティの差といったら、同じ映画芸術とは思えなかった(笑)。やはりフィクション映画のヒーローは、変身してもデビルマンのような意味不明な中腰ポーズは撮らず、インフラマンのように不必要に飛ぶこともしないほうがよいし、一般市民も北京原人に熱く共感した緒方直人のように「うぱー」といわずしっかり助けを求めたほうがいいぞ。

個人的評価:☆

美女とバンデット

2011-10-04 12:46:22 | 雑記
 長い長い夏休み、今年はマレーシアや東北など数々の強烈な体験をしてきたが、昨日最後にして最大、メガトン級の衝撃体験に遭遇する羽目になってしまった。

 もともと、昨日は大学の同級生たちとのバーベキューで、京王多摩川駅の近くの公園で集まって楽しんでいた。そこでいつからか遊園地の話になり、ディズニーランドや絶叫マシンの話で盛り上がっていた。そして思わず
「ジェットコースターとか乗ったこともないなあ」
と聞かれてもいないことを口走ってしまった。自分はあの手のものが大嫌いで、今までひたすら食わず嫌いを続けてきていた。思えばこれが悲劇の始まりであった。

 こんな愚か者を観て黙っていないのが、何かとお世話になっている同級生の美女2人組である。2人とも絶叫マシンが大好きらしく、うまいカモが来たといわんばかりに
「だったらこの後よみうりランド(京王多摩川から電車で2駅)に行って一緒にジェットコースター乗ろうよ!」
「一回も乗らないで嫌いって言ってたらだめじゃん」
「意外と好きかもしれないでしょ」
「生物の研究して教養人になる前に人生経験積んで常識人になろうよ」
とじゅうたん爆撃にあってしまった。この2人、絵にかいたような才色兼備で人間的にも自分が全く及ばない偉大な方々なのだが、頃自分をもてあそぶことに関しては邪神のごとき恐ろしさであり、自分をいじめるのが大好きだと公言なさるほどである(自分もそれをまんざらでもなく楽しんでいるなどとは言えない)。この2人に詰め寄られたら最後、断ることなど不可能に等しい。
「別にいやならいかなくてもいいんだよ」
と麗しき満面の笑みでいわれた時点で勝負ありである。政治学の講義で学んだルークスの二次元的権力観―賛成か反対かという争点の顕在化自体を妨げてしまう権力―の好例といえる。

 そこに、絶叫マシンは嫌いだが自分の無様な姿は見てみたいというおっさんルックの男子まで加わって圧力をかけてきた。「乗れ乗れ!僕は見てるだけだけどな」などとほざいているが、彼のパワーなどたかが知れている。どうせ乗る羽目になるなら彼を道連れにするほかない。ここは美女2人と協力して巻き込むに限る。

 というわけで、バーベキュー終了後本当によみうりランドに行ってしまった。思えば遊園地に行くこと自体10年ブリくらいである。よみうりランドは丘陵地帯を切り開いて作られたようなリッチで、駅からゴンドラに乗り、緑に包まれた広大な敷地上空を通過して入園する。外の風景の写真を撮ってテンションの上がった美女2人とは対照的に、自分と、結局乗る羽目にされた哀れなおっさんはジャングルの戦場に向かう兵士のような悲痛な心である。そしてゴンドラの前に化けもののような鉄骨がぬっと姿を現した。当園名物コースター、バンデットである。コース最上部はゴンドラより高い。どうかしてるだろ、これ。ほかにもホワイトキャニオン、モモンガという2種類のコースターがあり、美女2人は3種類全制覇しようと意気込んでいる。

 ついに入園。この時午後4時近くで、5時に閉園なのであまり時間はない。一直線にバンデットへ。バンデットとは英語で「山賊」を表すbanditで、広大な山々を見下ろしながら進むコースには悔しいながらピッタリである。列に並ぶ頃になると、恐怖が限界値を超えて肝が据わってしまい、テンションが上がってきた。以前に乗りまわされて懲りたというおっさんよりもはるかに乗り気である。なんと馬鹿な真似をしていたのだろう、この時は。そして乗車。方にハーネスをつけられ、「GO!GO!バンデット!」というスタッフの掛け声とともに巻き上げに入る。周りにならってスタッフとハイタッチ。巻き上げ中に下をのぞくと、もはや即死確定の高さ。怖すぎて高笑いの境地に入ってしまった。後ろ手は美女2人が早くも楽しく叫んでいて、隣ではおっさんが「いやだいやだー」とわめいている。最高点に達したところで恐怖が第2の限界値を超えた。もはや笑うこともできない。座席の前のバーを握る手はすでに汗でびっしょりである。まずい。落ちる。待て。待て―。

 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!かつて経験したことのない衝撃と風圧と恐怖が戦国騎馬軍団のように全身に襲いかかってきた。落下するにつれて心臓が握りつぶされたように痛くなってくる。これは典型的な心筋梗塞の症状じゃないか。死ぬのか?死ぬのか?痛みが最高点に達したところで落下がストップ。これほど死を意識した瞬間はない。と思いきや強烈なカーブ。なんだ、この体が下向きに飛ばされる感じは?生物として対応できないぞこんな環境は。殺す気か?ああまた落下だ。心臓が痛い。やめろ、ぐるぐるカーブするな。体がハーネスから抜けそうだ。やめてくれ。隣ではおっさんが「うわー」「ギャー」と叫んでいるが自分は叫ぶことすらできない。あまりにも詩を意識しすぎて声も出ない。さながら「リング」の真田広之状態。バーを必死につかんで前方を見つめながら、生き延びたい一心で意識を保ち続ける。まだ死なんぞ。ここで心臓が止まってたまるか―。

 どれくらいそうしていたのかわからない。気が付くとスタート地点に戻って停止していた。茫然自失。ハーネスが上がるが、立てない。美女とおっさんが一斉に「大丈夫か?」と寄ってくる。手すりにつかまりながら降車し、列に並んだ客の前を無様に通り過ぎて階段を降りる。恥ずかしいなどといってもいられない。これは本当に無理だ。笑いものになること必至の形相を美女2人にカメラで撮影されまくったがどうでもよい。何を口走っていたのかも記憶にない。確かなのは、自分の状態が3人の予想よりはるかに深刻だったということである。3人が本気で心配顔になってきている。あなたたちは悪魔か?死神か?冥界王か?

 結局、あまりに見ていられない状態になってので、その後何のアトラクションに乗ることもなく、4人で園内を閉園時間までぶらぶら歩いて出てしまった。歩いている最中でも、あの忌まわしき「GO!GO!バンデット!」の掛け声と、処刑台に連れて行くかのような巻き上げ音が耳に入り吐き気を催した。その後の落下風景を見るとそれだけで心臓が痛くなる。どうやらとんでもないトラウマを背負ってしまったらしい。

 めいいっぱい楽しんで満足げの美女2人からは
「みなよ、あれを乗り越えたんだよ!すごいじゃん!これで成長したよ!」
「バンデットは日本で乗るコースターの中でもトップクラスだからもう何でも乗れるよ!」
などと慰めの言葉をいただいたが、何を言われようと二度と乗る気など起きない。絶対に健康に悪い。あの時心臓はどうなっていたんだろうか?1人が「ああいう物理的に飛ばされたり落ちたりするのは全然怖くないし気持ちいい!」とのたまっていたので、率直に言った。
「馬鹿じゃないの!?」
こんな口のきき方をしたのは初めてだし、普段なら絶対にしないが、もう言わずにはいられなかった。そういえばおっさんはなんだかんだ言ってへっちゃらのようだ。この野郎。結局自分だけ笑いものじゃないか。帰りのゴンドラが揺れるだけでもあの恐ろしい体験がよみがえり、一人うめいてしまった。情けなさすぎる…。

 しかし、自分のせいで2人がほかのコースターに乗れなくなってしまったのは非常に申し訳ない。2人には普段足を運ぶことのない世界にしばしば連れて行ってもらっており、社会経験を積ませてもらっているので本当に感謝である。今回は代償が大きすぎたが…。ところが先ほど馬鹿呼ばわりしてしまった美女は、心理的恐怖は大の苦手で、お化け屋敷は全くだめだという。最高じゃないか。心理的恐怖はえぐい映画で相当な耐性ができている。お化け屋敷への恐怖感は自分にはない。今度はこちらがやり返す番だ。