BioDoxology

生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

急なお知らせですが

2012-02-24 23:25:11 | 雑記
 個人的に色々と面倒な問題が発生し、しばらく多忙な日々が続くかと思いますので、当分更新ができなくなります。無念。生物、映画、政治、書きたいことはいろいろあるのですが。世の中はうまくいかないものです。いつか再開できることを祈ります。

近親結婚、ダメ。ゼッタイ。(2)

2012-02-16 23:58:21 | 生物
 ついに2週間以上更新しなくなってしまった当ブログ。明らかに意志が弱くなっていると感じますが、これからこそはもう少し更新頻度を上げます。全開に引き続き、近親結婚がもたらす恐ろしさについて。今回は、実際に起きてしまった歴史上の悲劇、ハプスブルク家の断絶を取り上げる。もとになった論文は、
The Role of Inbeeding in the Extinction of a European Royal Dynasty
Gonzalo Alvarez, Francisco C. Ceballos, Celsa Quinteiro. PLoS One. 2009;4(4):e5174. Epub 2009 Apr 15.
である。

 そもそもハプスブルク家とは何か?そのためには、中世ヨーロッパに生まれた神聖ローマ帝国なる国の説明が必要である。神聖ローマ帝国は、962年に現在のドイツ・オーストリア・オランダ・ベルギー一帯に成立した国で、ハンガリー人を撃退したオットー1世という将軍がローマ教皇から皇帝に任命されて成立した。これは、天皇に征夷大将軍に任命されて成立した鎌倉・室町・江戸幕府と似た仕組みである。この神聖ローマ帝国は、11世紀以降皇帝の支配力が衰え、江戸幕府でいう藩のような「領邦」と呼ばれるの地域の自治が進んだ。この地方はこの殿様一家が支配する、という感じで、分裂していったのである。室町幕府の力がなくなって各地に殿様が乱立して勢力を争った戦国時代のようなもの。そしてこの神聖ローマ帝国の特徴は、皇帝が有力な領邦の君主の間から選挙で選ばれたという点。一家代々世襲で皇帝や王が選ばれた国とは異なっている。しかし、15世紀以降、現在のオーストリアを支配していたハプスブルク家が一貫して皇帝に選ばれていき、実質的に世襲化していく。ハプスブルク家はもともと、一地方の名門に過ぎなかった。

 このハプスブルク家は、15世紀以降領土を拡大していくのだが、その方法は戦争で土地を奪うのではなく、結婚して支配権をとるというものだった。マクシミリアン1世はブルゴーニュとネーデルラント(現在のオランダ・ベルギー)、その息子フィリップ1世はスペインを、各国の女王と結婚することによって獲得。その息子カルロス1世の時代に、ハプスブルク家はオーストリア(オーストリア=ハプスブルク家)とそれ以外(スペイン=ハプスブルク家)に分裂してしまうのだが、カルロス1世の息子フェリペ2世の時代には、スペイン=ハプスブルク家はポルトガルも獲得して巨大な国に成長した。

 しかし、このハプスブルク家に問題が起き始めた。後継ぎがあまり生まれてこなくなったのである。フェリペ2世ははじめポルトガル女王マリアと結婚したが、マリアは息子ドン・カルロスを出産後4日で死亡、ドン・カルロスも若くして死亡した。次にイギリス女王メアリ1世と結婚したが、子に恵まれないままメアリ1世が死亡。その次はフランス王女エリザベートと結婚したが息子には恵まれなかった。最終的に、フェリペは姪にあたるオーストリア=ハプスブルク家のアンナと結婚し、息子フェリペ3世を設けた。それよりずいぶん後の王であるフェリペ4世も、初めの妻との間にできた息子が若くして死んだため、その後姪と結婚して息子のカルロス2世を設けた。叔父と姪は、かなりの近親関係である。

 普通今の常識からいえば、子どもができないからと言って姪と結婚することなどあり得ない。しかし、ハプスブルク家では近親結婚が頻繁に行われていた。一つには自らの神聖な血統の保持のあため、もう一つには同じ社会的地位のカトリック教徒でないと結婚できないという制約のため、必然的に近親結婚が増えていったのである。

 ここに、近親関係を表す図がある。①は叔父と姪、あるいは叔母と甥。②はいとこ、英語だとfirst cousin。③はややこしくて、片方のいとこと、もう片方のいとこの子供という関係で、日本語では「いとこ半」「いとこ違い」といい、英語ではfirst cousin once removedという。④はいとこの子供同士ではとこ、英語ではsecond cousin。⑤は凄まじくて、いとこ同士の結婚が2つできて、その2つの結婚で生まれた子供同士。日本語では呼び名がないが、英語ではdouble first cousinという。



 こんな関係での結婚が、ハプスブルク家にはわんさか存在した。こうした結婚を何度も繰り返していたら、失敗作のマニュアルを2つ持ってしまう子供が生まれてくる。つまり、病気の子供が増える。実際に、ハプスブルク家では身体と精神に障害を持つ王が生まれてしまった。それが、フェリペ2世の息子で若くして死んだドン・カルロスと、フェリペ4世の息子で後継ぎを残せぬまま死んだカルロス2世だ。下に示したのが、ハプスブルク家の代々の家系図である。書いてくださった大学の同級生に感謝。



 ところが、アジアのいくつかの地域では、近親結婚は今でも行われている。ハプスブルク家が特別とんでもない近親結婚をしたというわけではないらしい。では、なぜ今のアジアでは子孫が病気になる問題が起きていなくて、昔のハプスブルク家では2人も病気で早死にするような子供が生まれてしまったのか?それを科学的に検証したのがこの論文。ある子供の両親の血縁の近さを表す、計算可能な「近交係数」という指標を使って、16世代にわたるハプスブルク家の家系図からドン・カルロスやカルロス2世の近交係数を計算した。近交係数は0から1までの間の数字で表され、大きいほど近親関係が強い。

 すると、ドン・カルロスやカルロス2世は近交係数が0.2を超えていた。ドン・カルロスは両親がdouble first cousin、カルロス2世は両親が叔父・姪だったのだが、ふつうのdouble first cousinや叔父・姪の結婚では、子供の近交係数は0.125という数字になる。では、なぜ数値が高くなったのか。理由は、ドン・カルロスやカルロス2世よりもずっと前の代から、近親結婚がずっと行われてきたからだという。近交係数の計算をするために使う系図の範囲を狭めると、彼らの近交係数の計算値は一気に下がるのである。つまり、彼らの近交係数が異様に高くてしかも病気になってしまったのは、単に親が近親結婚をしていた(アジアのように)だけではなくて、先祖代々近親結婚が行われていたからなのである。

 そして、ドン・カルロスの父親であるフェリペ2世や、カルロス2世の父親であるフェリペ4世が初めの妻との間に息子をもうけられなかったことも大きい。この2人のはじめの妻は、ほとんど近親関係になかったので、子供をもうければその子の近交係数はぐっと下がるはずだった。ところが、偶然初めの妻との間に子供ができず、父親は姪と結婚することになってしまった。このせいで、ますます一家の近親結婚が加速されたのである。

 そして、この論文ではカルロス2世の病気が近親結婚のせいかどうかを検証している。彼の症状は、
・頭が大きく胸が弱々しかった
・4歳まで話せず8歳まで歩けなかった
・背が低く痩せていた
・無気力で周囲の者に関心を示さなかった
・第1王妃マリア・ルイサいわく「射精がpremature」、第2王妃マリア・アンナいわく「impotency」
・突発的な血尿と、吐き気・嘔吐に苦しんだ
・30歳で老人のような見た目、足と腹と顔に水腫(むくみ)
・晩年には幻覚と痙攣に苦しみ、39歳で死亡
というなかなかひどいものだった。こうした症状は、2つの病気が重なったせいだと推理された。つまり、マニュアルに2か所まずい個所があった。2つの病気は、「複合型下垂体ホルモン欠損症」というホルモンの病気と「遠位尿細管性アシドーシス」という腎臓病だそうである。この2つの病気が重なることなどほとんどありえないのだが、近親結婚のオンパレードで生まれたカルロス2世ではありえてしまったのだろう、というのが、論文の推理するところだ。論文はここで終わっているのだが、ドン・カルロスおよびカルロス2世には、論文にも書かれていない恐るべき伝説が数多く残っている。それらを紹介して終わりにしよう。

 まず、ドン・カルロスは特に精神を病んでいたらしい。ずらっと症状を並べると、
・背中が湾曲し、右足が左足より短かった
・5歳になるまで話せず、口腔異常のためかLとRを発音し分けることができなかった
・乳幼児期からサディスティックで、乳母の乳房に強く噛みつきすぎて3人も殺しかけた
・9歳で幼い少女や召使を拷問、13歳で小動物(特に野ウサギ)を棒で串刺しにし生きたまま火あぶりにして楽しんだ
・大学在学中、転倒(落馬とも言われる)して東部に深い裂傷を負い、傷が化膿して頭が膨れ一時的に失明。名医が丸のこぎりで頭蓋骨を切り開く手術を行い一命を取り留めるも、その後凶暴さを増す
・アルバ侯爵にナイフを突きつけて脅すもナイフを取り上げられた
・あつらえた靴が気に入らず、その靴を切り刻んで靴職人に食べさせた
・聴罪師に「ある男を殺したい」と告白。その男は父フェリペ2世
・反逆罪で幽閉され、容体が急変し高熱、嘔吐。熱を下げるため、氷をまいた床の上に衣服をはぎ取られて寝かされた。何日も果物以外の食物を受け付けなかった。ある日焼き菓子を所望し、巨大なスパイスケーキを食べ、さらに水を10リットル以上飲んだ直後に体調を崩し、23歳で死去

 おお、なんと恐ろしい。これらの伝説は
ブレンダ・ライフ・ルイス著、中村佐千江訳(2010)『ダークヒストリー2 図説ヨーロッパ王室史』原書房、333p.
を参照いたしました。続いてカルロス2世。彼はどちらかというと体がまずかった。一気に並べると、
・カルロス1世、フェリペ2世にもみられたようなしゃくれた顎「ハプスブルクの唇」が極端で、上下の歯を噛み合わせることができず、咀嚼もままならなかった。そのため食物丸飲み
・舌が異常に大きく口から突き出たため、言葉を明瞭に話すことができず、始終よだれを垂らしていた
・自身の心身のおかしさは自覚しており、結婚時の14時間に及ぶ儀式にも耐えられた。El Hechizado(「魔法をかけられた者」)というあだ名がついた。
・性欲は盛んだったらしく、マリア・ルイサいわく「あまりに旺盛」。しかし、「自分はもう処女ではないが、子宝に恵まれるとは思えない」
・39歳で死を悟り遺書を作成、負担が大きく腸チフスを併発。恐るべき下痢で19日間に250回の便通。しかし回復し、遺書に補足条項を付記させると力尽き再び倒れた。(中略)殺したばかりの温かいハトを頭に置き、殺したばかりの新しい動物の内臓で胸を覆うも効果なし。「生命の水」と呼ばれる治癒剤を大量に入れた湯で洗うと4時間にわたって発汗し、再び話せるようになったが、3日後に死亡

 ひどいですね。こちらは先ほど紹介した本にも加え、
アンドリュー・ウィートクロフツ著、瀬原義生訳(2009)『ハプスブルク家の皇帝たち―帝国の体現者―』文理閣、410p.
も参照いたしました。というわけで結論は、近親結婚を特に一家代々やるのは絶対に駄目だということ。日本ではいとこまでなら結婚できることに法律上なっていますが、間違ってもいとこの結婚を続けないように。まあ、そんなことをあえてする方々もあまりいないでしょうが…。

 ほかにも参照した文献として、
山川出版社編(2004)『改訂新版 山川世界史小辞典』山川出版社、1063p.
山川出版社編(2004)『新課程用 世界史B用語集』山川出版社、423p.
旺文社編(2004)『百科事典マイペディア 電子辞書版』旺文社
河北稔・桃木至朗監修、帝国書院編(2006)『最新世界史図説タペストリー 四訂版』帝国書院、320p.
Kinship chart | Cousin Marriage Resources http://www.cousincouples.com/?page=relation 2011.12.31閲覧.
を挙げておきます。


近親結婚、ダメ。ゼッタイ。(1)

2012-01-27 23:23:10 | 生物
 超久々の生物記事。課題で専門的な論文を読まざるを得ず、ここで紹介したいような派手さのあるものが読めていないためである。そんな中、課題に近親結婚に関する論文が出た。とても面白いので、2回にわたり、近親結婚はなぜいけないのか書いてみる。

 「近親結婚は血が濃くなるから危ない」とよく言われるが、「血が濃くなる」とはどういうことか?これにもDNAがかかわっている。DNAは遠い昔に述べたように、生物を形作るブロックのようなアミノ酸の組み立てマニュアルのようなもの。このマニュアルが、生物の細胞1個1個の中に入っているわけだが、実は細胞1個につき、2冊のマニュアルが入っている。1冊は父親由来、もう1冊は母親由来だ。

 …昔、こんな風に突然「父親由来・母親由来」と言われて混乱したものだが、自分が書くほうに回るとやっぱり使ってしまい悲しい(笑)。ここでいったん横道にそれて、この言葉の意味から考えていく。生物は莫大な数の細胞からできているが、元はたった1個の細胞から始まっている。最初の細胞は、父の精子と母の卵子が合体してできた受精卵と呼ばれるものだ。精子と卵子はそれぞれマニュアルを1冊ずつ持っていて、合体したことで受精卵は2冊のマニュアルを持つ。で、ここから受精卵が分裂し続けて数を増やし、必要に応じてマニュアルを開き、指示に従ってアミノ酸を集めてタンパク質という作品を作り、生物の形になっていく。



 大事なのは、分裂するときには2冊のマニュアルを完全コピーして、分裂語の2個の細胞どちらにも、元通り精子からのマニュアルと卵子からのマニュアルが入る、という性質である。この完全コピー(「複製」という)は、タンパク質を作るときにマニュアルであるDNAの必要ページをコピーして現場用メモのようなmRNAを作る過程(「転写」という)とは違う。前頁、隅から隅までしっかりコピーして、しっかり糊付けして冊子の形にする。

 こうして、生物の細胞には必ず2冊のマニュアルがあるのだが、子供を作るときは話が違ってくる。雄なら精子を、雌なら卵子を作るのだが、どちらにも2冊のうち1冊しか入っていない。大まかにいうと、2冊入った細胞がマニュアルの完全コピーをしないまま分裂することで、1個の細胞に1冊のマニュアルしか入れないで作ったものが精子や乱視なのである。そして、精子と卵子が合体し、マニュアル2冊を持った受精卵ができると、初めと同じことを繰り返して、生物になる。こうして子孫ができていく。



 しかし、どうしてわざわざ2冊マニュアルを作り、父と母から1冊ずつ渡すなどという面倒なことをするのか?ズバリ2冊あると便利だからである。マニュアルことDNAは基本的によくできているのだが、たまに誤字・脱字、乱丁・落丁のようなミスがある。そうすると、誤字のせいで支持を間違って変なタンパク質ができてしまったり、落丁のせいでそもそも図面がないためタンパク質を作れなかったりしてしまう。そのせいで、生物の体をまともに作ることができず、病気になってしまう。でもこの時、もう1冊マニュアルを持っていて、そこではページに間違いがなければ安心。そちらを読んで、まともなたんぱく質を作れる。2冊のマニュアルはお互いのミスを補うことで、生物の体を正しく保っているのだ。逆に言えば、全く同じマニュアルを持った細胞は、ミスが補えず、病気になりやすくなる。



 それを起こしかねない原因こそ近親結婚なのである。例えば、兄弟で結婚することを考えよう。父がAとB、母がCとDというマニュアルを持っていたとする。すると、父はAを持つ精子とBを持つ精子がるくれ、母はCを持つ卵子とDを持つ卵子を作れる。この時、合体してできる受精卵、将来の子供の2冊のマニュアルの組み合わせは、AとC、AとD、BとC、BとDの4通りだ。いま、長男がAとC、長女がAとDを持つ受精卵からできていたとする。この男女が子供を作ろうとすると、長男の精子のマニュアルはAかC、長女の卵子のマニュアルはAかD。で、受精卵のマニュアルの組み合わせは、AとA、AとD、CとA、CとDの4通り。出ました、AとA。全く同じマニュアルを持った受精卵ができてしまった。



 こんなことはいとこが結婚しても起きる。話を簡単にするために、父の持つマニュアルAだけを考えよう。兄弟が生まれたとすると、どちらも父からはA化Bのマニュアルを受け継ぐから、2人両方がAを受け継いでいる可能性もある。この兄弟がどちらも結婚して子供が生まれたとすると、子供は父親である兄弟の持つマニュアルのうち片方を受け継ぐ。だから、子供2人が両方ともAを受け継いでいる可能性もある。そしてこの2人はいとこだ。この2人が結婚すれば、その子供がどちらからもAを受け継ぐかもしれない。やっぱりAとAを持つ可能性がある。



 というわけで、同じ親から生まれた子どもたち、あるいはその子孫たちは、同じマニュアルを受け継いでいる可能性があり、子孫同士が結婚して子供を作ると、子供には同じマニュアルが2冊受け継がれかねないのだ。近親結婚の危なさである。これが「血が濃くなる」の意味するところ。同じDNAのセットを持ち合わせてしまうことが危ないのである。そんな危なさを思いっきり示してくれたのが、中世から近世にかけて活躍したヨーロッパの名門一家、ハプスブルク家。彼らの身に起きた悲劇を、次回解説。

映画(15) 「八仙飯店之人肉饅頭」

2012-01-14 00:21:12 | 雑記
 まことに遅ればせながら、あけましておめでとうございます。開設当初に比べ、案の定すっかり更新が滞りがちになってしまった当ブログですが、たとえゾンビといわれようとも続けます。よろしくお願いします。

 昨年中に報告できなかった、12月28・29日にかけて自宅で開催された第二回最低映画祭。高校の同級生を1日目には2人、2日目には4人招待し、集まったメンバーも作品も素晴らしく不毛、非常に意義のある催しとなった。

 1日3本駄作映画を鑑賞すると立ち直れなくなる、という第一回の反省を踏まえ、今回は駄作2本のあとに傑作1本、という組み立てて行った。上映作品は、
1日目:「シベリア超特急」「千年の恋 ひかる源氏物語」(以上駄作)「八仙台飯店之人肉饅頭」(傑作)
2日目:「アタック・オブ・ザ・キラートマト」「さよならジュピター」(以上駄作)「シャイニング」(傑作)
である。1日目の傑作「八仙台飯店之人肉饅頭」は見た目や評判からして、2日目へのつなぎ役にふさわしいB級傑作、2日目の傑作「シャイニング」は鬼才キューブリック監督、評判もとてもよいアブノーマルA級傑作という位置づけとしていた。

 で、実際に鑑賞を終えての印象だが、駄作枠で素晴らしかったのは「アタック・オブ・ザ・キラートマト」。いや、もう批評しようがない。ひたすら、おまぬけギャグのオンパレード。確信犯的なくだらない作風といい、突如ミュージカルのごとく挿入される歌といい、ことごとくツボにはまる素晴らしい駄作だった。表現が矛盾しているとお感じになる方は、一度ご鑑賞あれ。この言葉の意味が分かるかと存じます。この作品を進めてくださった大学の同級生のお父様に感謝。

 しかしこのトマトをもはるかに上回る衝撃だったのが、最後の「シャイニング」、ではなく、意外にもつなぎ役の予定だった「八仙台飯店之人肉饅頭」。そこで今回はこれをピックアップだ。

 (以下、ネタバレを含みます)

 マカオの海岸で切断された人の手足が発見された。捜査を進める警察の前に浮上したのは中華料理店「八仙台飯店」の店主、ウォン。警察の聞き込みにあいまいな答えを続け、自慢の肉まんを手土産に半ば追い返すように警察をあしらったウォンの正体は、自らのいかさま麻雀を見抜いた人間を殺害し、バラバラにしてその肉を店の肉まんに混ぜ込む殺人鬼だった。

 本作を語るのには、今までのような長ったらしい批評は必ずしも必要ない。要約すれば、とにかくこの一言に尽きる。

 すげえ。

 まあこれだけだとなんのレビューにもならないので多少付け足すと(笑)、この映画は「ただすごいだけの映画」なのだ。これまで見てきたバイオレンス映画といえば、「女囚さそり」「愛のむきだし」「冷たい熱帯魚」のように、キャラ設定やセリフでうならせ、演出でも押しの強いものが主流で、いわば「すごくてひねくれた映画」。ところがこの「八仙台飯店之人肉饅頭」は、それらとは一線を画す。ことグロ方面に関して言えば、奇をてらったキャラも演出も極めて少ない。殺人鬼ウォンは、「冷たい熱帯魚」の殺人鬼村田のような威勢のいいセリフも履かなければ茶目っ気たっぷりな動きもしない。巧妙な隠ぺい工作もトリックも使わず、頭脳バトルもくり広げない。きわめて一般的な、ある意味「雑」な殺人犯として描かれる。彼の行動パターンはただただ普通、いや普通よりも頭が悪いかもしれない。動機も突発的なものばかりで、二時間ドラマレベルかもしれない。しかしただ一つ、行動の中身がとてつもなくぶっ飛んでいる。こいつの殺人のやり方はやばい。やばすぎる。予想をことごとく裏切る攻撃方法だ。特に湯呑と割りばしの使い方。何だあれは?誰がこんな方法を考えたんだ?衝撃的すぎる。

 そしてクライマックスの殺人は、そうした予想外の方法すら使わず、ただ直球勝負の殺人。これがものすごく怖い。いかれた人格をほとんど見せない分、とにかく生々しくて、リアルだ。その恐ろしい動きと、暴力的なきらいはあるが見るからに狂人という雰囲気ではないウォンのキャラクターの微妙なギャップが、ほかの映画には見られない、不快感ともカタルシスとも言えてしまうような摩訶不思議な気持ち悪さを与える。

 殺人シーン以外にも、警察に逮捕され、理不尽という言葉ではすまされないような拷問を受け、証拠もないのに刑務所にぶち込まれ、さらに囚人にリンチされるという、日本では絶対に思いもつかない一連のシークエンスにも絶句する。そしてそこから何とか抜け出そうとするウォンの行動がまたすごすぎる。言われてみれば合理的ではあるが、「そんなことしないだろ?」としか思えないことを次々やってのけるのだ。この脚本を書いた人は、天才か?

 さらに言えば、本作の警察も極めてやばい。警察はとことん、しょうもないギャグを繰り返す輩として描かれており、そこだけ見れば「アタック・オブ・ザ・キラートマト」と似たようなものだ。しかしその警察が、お茶らけたテンションのままで、見るに堪えない拷問を繰り返す。しまいには看護師までにこにこ笑いながら拷問に加担する。おかしい、おかしいだろ。性格と行動のギャップが激しすぎる。ここでもまた、ギャップが妙な気持ち悪さをもたらす。

 従来のバイオレンス映画とは全く違う本作のキャラ設定は、我々が知らぬ間に「グロ映画といえばこうだろう」と前提してしまっていた枠組み―かっこつけていえばパラダイム―をぶち壊す。これだ。こういうのを、革命的な映画というのだ。やられた。感服した。クライマックスであまりの恐ろしさに涙した。「時計じかけのオレンジ」以来2度目だ。でもこちらのほうがもっと凄まじい。とんでもない映画に出会ってしまった。近所のローカルレンタル店で、レンタルすら終了して買い取るしかなかった本作のVHS。たったの200円で、これほどの衝撃を見ることができるとは。こういう時には、このセリフを。

 いやあ、映画って、本当にいいもんですねー。

 「シベリア超特急」の監督・脚本・主演を務められた名評論家、水野晴男さんに捧ぐ。

 個人的評価:☆☆☆☆☆

クズ男、年末の遠吠え

2011-12-31 11:23:26 | 政治
 気分的には28・29日と開催した第二回最低映画祭の記事を書きたいところだが、ここ何か月もひそめていた政治の小言、今年の政治への文句は年内に年内にぶちまけておかねばフェアではないだろう、ということで、ざっくばらんに申し上げたい。

 先日出来上がった2012年度予算案。名目上の歳出を90兆円に抑えて胸を張る安住財務大臣。しかしその内実はと言えば、震災復興費を特別会計に入れたり、年金財源の不足分を赤字国債には計上されない「交付国債」(このワードは初めて聞いた)に付け替えたりといった帳尻合わせでしかなく、実質的には過去最大規模。特に年金財源を交付国債で賄うなどもはや粉飾決算、いや粉飾予算。だって、かかることはまぬかれないお金を、もはや借金の形でしか見えないようにしているんだろ?もっとも、失言以外にはおとなしいマスコミにもあっさり暴露されて叩かれていますが。

 八ツ場ダム、東京外環道路をはじめ公共事業も軒並み復活の動き。選挙を見据えて地元に利益を誘導しているとか、国土交通省の官僚が震災復興を理由にブイブイ言わせているとか。民主党が政権交代前にさんざん批判していた政治形態を見事に復活させているではないか。いや、復興の名目がついただけたちが悪いか。

 マニフェストに書いていない消費税の増税に反発して離党者続出。無駄の削減もしないままに増税など公約違反、けしからんと小沢さんが言っている(もっともこの人は公判中だし、選挙で不利になるからと現時点での離党は進めていない。理念<政局)。実現しようもない八方美人のマニフェストで国民を半ばだまして成立した政権がやっとこさ現実に気付き、公約を放棄して増税する気音には異論があるのも当然、そして選挙で信を問えという声があるのももっともな話。しかし少なくともこれだけは言える。公約違反だといって離党した先生方は2年前の公約実現に向けて努力しましたか?あるいは「これは非現実的だ」といさめたりしましたか?あれだけ政治と金の問題を批判しておいて、そして無駄削減を訴えておいて、年始に申請手続きの始まる政党交付金目当てに、急いで年末に新党結成をもくろんでいるのはどういう精神?しかも金脈問題で収監された宗雄さんが受け皿になると来た。原発推進のために電気料金に上乗せされる電源開発促進税は批判するのに、国民1人当たり250円を強制的に払わせる政党交付金は思う存分利用するわけですか。以下、離党した内山晃氏の弁。
「『政党交付金目当て』という表現は非常に悪い言葉だ。国民の豊かな生活を目指す政治のために交付金を活用するのは、当然の権利だ」(朝日新聞12月29日付)
爆笑。「値上げは事業者の義務であり権利である」と発言した東京電力西沢社長よりはるかに悪質。こういう発言を政治面の端っこでなく、せめて2面くらいで取り上げたほうがいいぞ。なんだか、給料削減がとりあえずは取りざたされてる公務員が気の毒にもなってくる。国会議員は歳費も元に戻ってるしなあ。

 ついでに増税に反対する有識者の方々にも一言。「GDPを1%上げたほうがはるかに税収が伸びる」「財務省が自分の取り分を増やしたいだけ」などなど、要は経済を活性化できない官僚と政治家を馬鹿にしているわけだが、人口が減って高齢者が増えるというのにどうやってGDPをサクサク上げるんでしょうか?おまけに超円高で輸出が伸び悩んでいて、ますます内需に頼るしかないのに。そもそも、この10年近く税収がどんどん落ちてた中で、ずっと経済の回復・発展が先だといってきたからこんな借金財政になったわけで。同じ議論を続けていても仕方ないんじゃないの?

 借金財政。サラリーマンに例えるなら収入の49%がカードローン。当然支出の少なからざる部分がローン返済に消える。借りた分だけ返済額は将来増える。さらに社会保障日は年1兆円ずつ増える。自由に使える金がなくなるので震災復興にも回せなくなった。もう無駄削減で済まないのは明らか。しかし高齢者と団塊世代が有権者の多くを占めるから、政治家は社会保障の削減に踏み出せない。1400兆円ある国内の資産のうち1000兆円が国債に充てられ、国債発行額は年40兆円のペースで増えるのだから残り時間は最大であと10年。「海外の投資家がそれほど買わないうちはギリシャのようにならない」というが、欧州危機の特に後半で分かったのは、実際に国債が買われているという事実よりも、たった数社による格付けのせいで国中の投資家が資金を引き揚げて経済危機を起こすという人間心理の恐ろしさだ。本当に、本当に、どうするんだ?参政権のない子供たち、何もできないまま。こうして年金の世代間格差も広がっていく。「もう自分たちはもらえないだろうから」と保険料を納めなくなる若者に対して、厚生労働省は「将来の安心のためです」という。年金は積立方式でなく賦課方式。現役世代が受給世代のために払ってるんです。体のいいごまかしはやめてください。このままいくと、財政規律を守るための高齢者排斥集団とか、過激な若者の間で宗教団体の形で結成されるんじゃないのか?老人介護施設焼き討ちなんて起きてからでは遅いぞ。今年オウムがよく取り上げられただけあって、冗談抜きに怖いんですけど。

 原発事故と放射能問題。東電をゾンビのように生かしておいて、「値上げは事業者の権利」発言をたたく枝野経済産業大臣。社長の発言も強気すぎるが、そのような変な事業者にとどまらせた責任を国は感じていないのか?除染費用は30兆円とも100兆円とも言われ(100兆円あれば世界中の飢餓が救えるそうです)、食品は1キロあたり1ベクレルでも放射性物質が検出されれば買ってもらえない風潮。そして検出されなくても売れない福島の農産物。「食べて応援」フェアを開催してほかの産地のものと変わらない値段で売っている大手流通は、実は仕入れの段階で農家から安く買い叩いている。よって、ぼろもうけ。民間の意識も問いたいところです。

 文句ばかり言っていても仕方ない。ちっぽけな脳みそで考え付いた対策も言わなければ。消費税は、もう増税は仕方ないだろう。法人税はグローバル化時代の企業誘致合戦で、上げるのは困難だが、活路がある。宗教法人と学校法人の収益事業への課税だ。宗教、学校ともに公益性があるとされているので宗教法人と学校法人は非課税なわけだが、有名な創価学会や幸福の科学、統一協会などは営利事業もバリバリである。学校法人の中で意外と知られていないのが予備校。あれは明らかに受験「産業」である。サービス業である。これらに課税すれば、兆単位で税収が伸びる。しかし、これだけでは逆進性が強すぎてたまったものではない。所得税の最高税率をかつての70%まで、と行きたいところだが、今の世の中租税回避もあっという間で、自営業者の所得捕捉の難しさも毎度壁になる。そこで相続税に目をつける。資産をたっぷりともっている上の世代からいただくしかない。税をとられたくなければ、孫へのプレゼントなどでの散財を進めるのも手だ。高齢者の方々は、自分が金を使う、あるいは子供に金を使うよりも、孫に金を使うことをはるかに喜ぶことが多い(鳩山のお母さんはよくわかりませんが)。というわけで一家に1人は子供がいるといい。有形資産なら所得よりも補足と国内での処理がしやすく、税収を伸ばすか経済を回すか出来そうである。もう一つ、かつて与謝野元経済財政担当大臣が提案していたことなのだが、臨時復興の財源として携帯電話料金への月額100円程度の上乗せはどうだろうか。はやりのスマホなら200円くらいか。日本の携帯電話契約者数は1億人に達しているはずだから、月額100億円、年間1200億円くらいはとれる。でも小さいなあ(笑)。

 そして政党交付金の廃止。政治家の皆さんも、これからは会食するならたまにはファミレスか、食べ放題飲み放題2時間3000円の居酒屋でいかがでしょうか。回転ずしもいいですね。夢と享楽にあふれた学生時代に立ち返れるし、国民との距離も縮むと思います。たまにテーブル越しに酔ったおじさんが絡んできて、「あ、あんた大臣に似てるね!」なんて、自分は最高だと思うのですが。お世話になってる新橋の料亭は、海外からの観光客をどんどん呼び込もう。ブータン国王夫妻のような国賓も大歓迎。もちろん身内のパーティーより優先で。政治家さんは身内はつつましく、外には盛大にもてなす姿勢でやっていただければ、国内外から受けもよくなるのではないのでしょうか。

 で、料亭の皆さんは国際化が求められるので、学校での英語教育の強化が必要。ただし、これは時間がかかる。今の小学6年生に課す週1コマの授業では、教師側も準備不足が深刻だ。教える人材を鍛え上げてから、実行に移してほしい。できれば英語だけでなく、第二外国語もさわりだけでも学べるといいだろう。英語を公用語として用いているアジアの人たちは、現地語であいさつしてもらうだけでもすごく喜ぶ。震災と原発事故で地に落ちた日本の国際的信用を、政治面だけでなく国民レベルで持ち直さなければ。

 内需はどうか。戦後日本の内需を引っ張ってきたのは自動車、家電とくにテレビ、そしてマイホーム。これらの価値が近年特に若者の間で減少してきているといわれる。そこで新たな火付け役として提案したいのが、賃貸住宅。核家族化と所得低下が進んだ今になってもマイホーム思考を維持するのは非現実的である。日本は海外に比べて賃金の質が低い。そこで中高級の賃貸住宅を、住いの新たな軸にしたらどうだろうか。思いローンにしり込みしたり、長々と住宅減税やローン援助を国で負担したり、といったことをなくしてしまえばよい(といいつつマイホームに住んでいる自分が情けない)。もう一つはスポーツカーの復活。燃費や環境性能ももちろん大事だが、純粋に「かっこいい」車がまた注目を集めるようにならないか。若い世代でもグランツーリスモなどで燃えている人がいるので、潜在能力はありそうである。最近の自動車って、どうも機能性重視の似たり寄ったりで面白みがないのが不人気の原因になっていないか?東京モーターショーでトヨタが久々に発表したスポーツカー、86(ハチロク)が先頭に立ってほしい。

 今年震災が起きてまとまるかと思った日本社会は、むしろ政局と放射能汚染でますます分裂してしまったような気がする。今年の漢字が「絆」だったが、本当にそうか?特に首都圏の人たちは、そんなに絆を意識しているのか?それは自分たちの責任を個々の地域に転嫁する口実ではないのか?自分自身、3月の言い表しようもない緊迫感がどんどん薄れてきている。正直なところ、自分の意識を何とか被災地に向けさせているのは夏以来活動に携わっている「ボランティアインフォ」くらいだ。なんだか書いていて気分が沈んできてしまった。紅白歌合戦でAKB48とともに登場する、インドネシアのジャカルタで結成されたJKT48でも見て、気を取り直そうか。