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生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

クズ男、年末の遠吠え

2011-12-31 11:23:26 | 政治
 気分的には28・29日と開催した第二回最低映画祭の記事を書きたいところだが、ここ何か月もひそめていた政治の小言、今年の政治への文句は年内に年内にぶちまけておかねばフェアではないだろう、ということで、ざっくばらんに申し上げたい。

 先日出来上がった2012年度予算案。名目上の歳出を90兆円に抑えて胸を張る安住財務大臣。しかしその内実はと言えば、震災復興費を特別会計に入れたり、年金財源の不足分を赤字国債には計上されない「交付国債」(このワードは初めて聞いた)に付け替えたりといった帳尻合わせでしかなく、実質的には過去最大規模。特に年金財源を交付国債で賄うなどもはや粉飾決算、いや粉飾予算。だって、かかることはまぬかれないお金を、もはや借金の形でしか見えないようにしているんだろ?もっとも、失言以外にはおとなしいマスコミにもあっさり暴露されて叩かれていますが。

 八ツ場ダム、東京外環道路をはじめ公共事業も軒並み復活の動き。選挙を見据えて地元に利益を誘導しているとか、国土交通省の官僚が震災復興を理由にブイブイ言わせているとか。民主党が政権交代前にさんざん批判していた政治形態を見事に復活させているではないか。いや、復興の名目がついただけたちが悪いか。

 マニフェストに書いていない消費税の増税に反発して離党者続出。無駄の削減もしないままに増税など公約違反、けしからんと小沢さんが言っている(もっともこの人は公判中だし、選挙で不利になるからと現時点での離党は進めていない。理念<政局)。実現しようもない八方美人のマニフェストで国民を半ばだまして成立した政権がやっとこさ現実に気付き、公約を放棄して増税する気音には異論があるのも当然、そして選挙で信を問えという声があるのももっともな話。しかし少なくともこれだけは言える。公約違反だといって離党した先生方は2年前の公約実現に向けて努力しましたか?あるいは「これは非現実的だ」といさめたりしましたか?あれだけ政治と金の問題を批判しておいて、そして無駄削減を訴えておいて、年始に申請手続きの始まる政党交付金目当てに、急いで年末に新党結成をもくろんでいるのはどういう精神?しかも金脈問題で収監された宗雄さんが受け皿になると来た。原発推進のために電気料金に上乗せされる電源開発促進税は批判するのに、国民1人当たり250円を強制的に払わせる政党交付金は思う存分利用するわけですか。以下、離党した内山晃氏の弁。
「『政党交付金目当て』という表現は非常に悪い言葉だ。国民の豊かな生活を目指す政治のために交付金を活用するのは、当然の権利だ」(朝日新聞12月29日付)
爆笑。「値上げは事業者の義務であり権利である」と発言した東京電力西沢社長よりはるかに悪質。こういう発言を政治面の端っこでなく、せめて2面くらいで取り上げたほうがいいぞ。なんだか、給料削減がとりあえずは取りざたされてる公務員が気の毒にもなってくる。国会議員は歳費も元に戻ってるしなあ。

 ついでに増税に反対する有識者の方々にも一言。「GDPを1%上げたほうがはるかに税収が伸びる」「財務省が自分の取り分を増やしたいだけ」などなど、要は経済を活性化できない官僚と政治家を馬鹿にしているわけだが、人口が減って高齢者が増えるというのにどうやってGDPをサクサク上げるんでしょうか?おまけに超円高で輸出が伸び悩んでいて、ますます内需に頼るしかないのに。そもそも、この10年近く税収がどんどん落ちてた中で、ずっと経済の回復・発展が先だといってきたからこんな借金財政になったわけで。同じ議論を続けていても仕方ないんじゃないの?

 借金財政。サラリーマンに例えるなら収入の49%がカードローン。当然支出の少なからざる部分がローン返済に消える。借りた分だけ返済額は将来増える。さらに社会保障日は年1兆円ずつ増える。自由に使える金がなくなるので震災復興にも回せなくなった。もう無駄削減で済まないのは明らか。しかし高齢者と団塊世代が有権者の多くを占めるから、政治家は社会保障の削減に踏み出せない。1400兆円ある国内の資産のうち1000兆円が国債に充てられ、国債発行額は年40兆円のペースで増えるのだから残り時間は最大であと10年。「海外の投資家がそれほど買わないうちはギリシャのようにならない」というが、欧州危機の特に後半で分かったのは、実際に国債が買われているという事実よりも、たった数社による格付けのせいで国中の投資家が資金を引き揚げて経済危機を起こすという人間心理の恐ろしさだ。本当に、本当に、どうするんだ?参政権のない子供たち、何もできないまま。こうして年金の世代間格差も広がっていく。「もう自分たちはもらえないだろうから」と保険料を納めなくなる若者に対して、厚生労働省は「将来の安心のためです」という。年金は積立方式でなく賦課方式。現役世代が受給世代のために払ってるんです。体のいいごまかしはやめてください。このままいくと、財政規律を守るための高齢者排斥集団とか、過激な若者の間で宗教団体の形で結成されるんじゃないのか?老人介護施設焼き討ちなんて起きてからでは遅いぞ。今年オウムがよく取り上げられただけあって、冗談抜きに怖いんですけど。

 原発事故と放射能問題。東電をゾンビのように生かしておいて、「値上げは事業者の権利」発言をたたく枝野経済産業大臣。社長の発言も強気すぎるが、そのような変な事業者にとどまらせた責任を国は感じていないのか?除染費用は30兆円とも100兆円とも言われ(100兆円あれば世界中の飢餓が救えるそうです)、食品は1キロあたり1ベクレルでも放射性物質が検出されれば買ってもらえない風潮。そして検出されなくても売れない福島の農産物。「食べて応援」フェアを開催してほかの産地のものと変わらない値段で売っている大手流通は、実は仕入れの段階で農家から安く買い叩いている。よって、ぼろもうけ。民間の意識も問いたいところです。

 文句ばかり言っていても仕方ない。ちっぽけな脳みそで考え付いた対策も言わなければ。消費税は、もう増税は仕方ないだろう。法人税はグローバル化時代の企業誘致合戦で、上げるのは困難だが、活路がある。宗教法人と学校法人の収益事業への課税だ。宗教、学校ともに公益性があるとされているので宗教法人と学校法人は非課税なわけだが、有名な創価学会や幸福の科学、統一協会などは営利事業もバリバリである。学校法人の中で意外と知られていないのが予備校。あれは明らかに受験「産業」である。サービス業である。これらに課税すれば、兆単位で税収が伸びる。しかし、これだけでは逆進性が強すぎてたまったものではない。所得税の最高税率をかつての70%まで、と行きたいところだが、今の世の中租税回避もあっという間で、自営業者の所得捕捉の難しさも毎度壁になる。そこで相続税に目をつける。資産をたっぷりともっている上の世代からいただくしかない。税をとられたくなければ、孫へのプレゼントなどでの散財を進めるのも手だ。高齢者の方々は、自分が金を使う、あるいは子供に金を使うよりも、孫に金を使うことをはるかに喜ぶことが多い(鳩山のお母さんはよくわかりませんが)。というわけで一家に1人は子供がいるといい。有形資産なら所得よりも補足と国内での処理がしやすく、税収を伸ばすか経済を回すか出来そうである。もう一つ、かつて与謝野元経済財政担当大臣が提案していたことなのだが、臨時復興の財源として携帯電話料金への月額100円程度の上乗せはどうだろうか。はやりのスマホなら200円くらいか。日本の携帯電話契約者数は1億人に達しているはずだから、月額100億円、年間1200億円くらいはとれる。でも小さいなあ(笑)。

 そして政党交付金の廃止。政治家の皆さんも、これからは会食するならたまにはファミレスか、食べ放題飲み放題2時間3000円の居酒屋でいかがでしょうか。回転ずしもいいですね。夢と享楽にあふれた学生時代に立ち返れるし、国民との距離も縮むと思います。たまにテーブル越しに酔ったおじさんが絡んできて、「あ、あんた大臣に似てるね!」なんて、自分は最高だと思うのですが。お世話になってる新橋の料亭は、海外からの観光客をどんどん呼び込もう。ブータン国王夫妻のような国賓も大歓迎。もちろん身内のパーティーより優先で。政治家さんは身内はつつましく、外には盛大にもてなす姿勢でやっていただければ、国内外から受けもよくなるのではないのでしょうか。

 で、料亭の皆さんは国際化が求められるので、学校での英語教育の強化が必要。ただし、これは時間がかかる。今の小学6年生に課す週1コマの授業では、教師側も準備不足が深刻だ。教える人材を鍛え上げてから、実行に移してほしい。できれば英語だけでなく、第二外国語もさわりだけでも学べるといいだろう。英語を公用語として用いているアジアの人たちは、現地語であいさつしてもらうだけでもすごく喜ぶ。震災と原発事故で地に落ちた日本の国際的信用を、政治面だけでなく国民レベルで持ち直さなければ。

 内需はどうか。戦後日本の内需を引っ張ってきたのは自動車、家電とくにテレビ、そしてマイホーム。これらの価値が近年特に若者の間で減少してきているといわれる。そこで新たな火付け役として提案したいのが、賃貸住宅。核家族化と所得低下が進んだ今になってもマイホーム思考を維持するのは非現実的である。日本は海外に比べて賃金の質が低い。そこで中高級の賃貸住宅を、住いの新たな軸にしたらどうだろうか。思いローンにしり込みしたり、長々と住宅減税やローン援助を国で負担したり、といったことをなくしてしまえばよい(といいつつマイホームに住んでいる自分が情けない)。もう一つはスポーツカーの復活。燃費や環境性能ももちろん大事だが、純粋に「かっこいい」車がまた注目を集めるようにならないか。若い世代でもグランツーリスモなどで燃えている人がいるので、潜在能力はありそうである。最近の自動車って、どうも機能性重視の似たり寄ったりで面白みがないのが不人気の原因になっていないか?東京モーターショーでトヨタが久々に発表したスポーツカー、86(ハチロク)が先頭に立ってほしい。

 今年震災が起きてまとまるかと思った日本社会は、むしろ政局と放射能汚染でますます分裂してしまったような気がする。今年の漢字が「絆」だったが、本当にそうか?特に首都圏の人たちは、そんなに絆を意識しているのか?それは自分たちの責任を個々の地域に転嫁する口実ではないのか?自分自身、3月の言い表しようもない緊迫感がどんどん薄れてきている。正直なところ、自分の意識を何とか被災地に向けさせているのは夏以来活動に携わっている「ボランティアインフォ」くらいだ。なんだか書いていて気分が沈んできてしまった。紅白歌合戦でAKB48とともに登場する、インドネシアのジャカルタで結成されたJKT48でも見て、気を取り直そうか。

TPPのこと

2011-11-10 08:58:46 | 政治
 野田首相によるTPP参加をめぐる決断とAPECでの意思表明がすぐそこに近づいてきた。ここはやはり、その前に自分の意見を述べておくべきだろうと思い、1週間考え続けた結果、結論を出した。参加すべきだ。

 これから人口が減少し経済規模がどんどん縮小していく可能性の高い日本が経済国として存続するには、やはり外需拡大が必要である。そのためには自由貿易を促進するのが一番だろう。EU、ASEAN諸国や中韓との貿易自由化を進めるのに加え、今回のTPPでアメリカおよび太平洋地域との貿易を一気に進めるべきだ。

 ではまず、農業をどうすればよいのか。TPP賛成派の論者からは、「以前関税が引き下げられたサクランボは、結局国産人気を衰えさせはしなかった。コメに関しても、700%以上の関税が撤廃されても、日本人の味の好みがある以上国産米への需要はそこまで落ちない」といわれもするが、たとえばコンニャクイモ(関税率1300%以上)などになると味の良しあしがそこまで明確にならず、この論法も通用しない。コメにしたって、粉にして和菓子の原料の一部に使う、なんて使い道であればどう考えても安いものが使われるはずだ。正直なところ、打撃なしではすむはずがないだろう。賛成派の唱える、民間企業参入による大規模化にも限度がある。北海道のように日本で最も広大な地域を使ったところでアメリカやオーストラリアには遠く及ばない。価格面での対抗は無理に近いと考えるのが道理だ。

 と、ネガティブなことしか書いていないが、それでも賛成する理由は何かというと、「農業を産物で世界と競い合うべき産業と考えない」という発想にある。生産物による経済競争を前提にするから意見が対立するのであって、生産物だけを考えるのをやめればよい。わけのわからないことを言っている感じだが、要は農業を「技術産業」ととらえるのである。まず、農地だけを持っていて農業による収入が実質的にほとんどないに兼業農家も対象とするような戸別所得補償は速やかにやめ、民間企業の参入を促し、農地を集約して可能な限り経営の大規模化を進める。この時伝統的な作付のノウハウを身につけている農家を雇用し、技術の伝承と更なるイノベーションを進める。そして、これまで零細農家のものだった日本の農業技術を、企業水準・グローバル水準のものに高めていく。日本が世界に通用させていくべきはこの技術である。近年新興国で盛んになっていくインフラ輸出の一つとしてこれを使えばよい。アジアに太平洋地域、およびアメリカの一部には日本に近い気候の地帯もある。それに外国の農地は莫大である。そこに農業技術を投資し、大規模に利益を上げていく。これが日本の農業の目指す形の一つではないだろうか。

 だったら国内では外国産のものがあふれかえってよいのか。もちろんそんなことはなく、まずTPPの交渉の場で、ごねまくってでも可能な限りの作物について、関税の例外規定を何とか取り付ける。そしていざ外国産農作物の輸入が増え、国内の(すでに大規模化を進めた)農業が海外での利益と合わせても苦境に陥るようなら、そこに補助金を出し、元農家をはじめとした従業員にも支給する。生産性の低い個々の農家にちょこちょこ補助を出すより、大きな塊でドン、と渡して(ただし、そのすべてが経営者の懐に収まるようなことがないよう従業員への直接補助も義務付けて)、経営の改善をしてもらうほうが効率的なのは明らかだ。

 国内の農作物の輸出という選択肢はどうだろうか。価格面での勝負が厳しいなら、味と安全性を備えたブランドとして中国などの富裕層向けに輸出するという戦略はよく言われる。確かに潜在的な需要はこれからも増えるだろうし希望はある。ただしそこで注意すべきは日本の農作物の安全基準だ。これはあまり知られていないことだが、日本の安全基準はアメリカよりははるかに厳しいが、実はEUのほうがもっと厳しい。安全性を売りにしようとしても、今の日本は必ずしもトップクラスではないのだ。ここは支給改善を急がなければならない。そのためにも大規模化による速やかな対策が必要になるのである。

 農業については以上。更なる問題はほかの分野での自由化、特に医療だ。国家的な医療保険制度のもとで医療産業が成り立っている日本に対し、アメリカは自由診療が基本。仮にアメリカの医療産業(病院や製薬会社)が日本に参入してくると、保険の適用される治療と適用されない治療が混ざってくる、いわゆる混合診療の問題が今にもまして発生する。最近の裁判でも話題になったが、混合診療をすると、保険適用分の治療まで自由診療になる。これは大問題である。以前は医療分野が対象外だと説明してきた野田政権だが、ここにきてTPPにより医療部門の自由化も迫られうることが露呈してきた。「利点だけを強調した情報操作」との批判は受けて当然。その後浮上した事前協議問題と合わせて、政権の姿勢は詐欺に近い。

 ではなぜ自分は反対に回らないのかというと、農作物ならまだしも病院などでアメリカ式のものが幅を利かせるとはあまり思えないからだ。サクランボの例を農業面で取り上げたが、人々の生活に密着すればするほど、そして目に見えれば見えるほど、特に日本では今まで長く付き合ってきた国内のものへの信用が強まる。農作物以外でも、例えば以前の日米構造協議の結果、大規模小売店舗法廃止でシャッター商店街が増えたといわれているが、シャッター化を招いたのは結局日本のスーパーであって、ウォルマートなどアメリカのチェーン店が成功したとは言い難い。医療分野でも、結局は従来型の国内の病院への信用が残り、危惧されているほどの事態(日本が大量の壊滅と、米映画「シッコ」でいわれているような医療の格差拡大)は起きないのではないか。

 もうひとつ、「環太平洋といってもGDPの比で見れば日米が9割超、実質的に日米FTAでありアメリカの言いなりになる」という批判について。GDPで見ればそうかもしれないが、実際に交渉に参加するのはオーストラリアやベトナム、ニュージーランドを含め9か国になる。そして、GDP比で低い国が黙って日米の交渉を見ているはずがない。GDP比が低ければそれだけ不利になるからだ。それらの国も必ず自国の産業保護のために手を打って交渉してくるはずであり、その面で日本は協力し、アメリカに抵抗することができるはずである。特にオーストラリアはアメリカとの交渉で、アメリカ側がオーストラリアからの砂糖の関税を維持するという「貸し」を作らせている。日本にとっても砂糖の問題は相当厄介だが、逆にその厄介な相手と一部で手を結び、ボスであるアメリカと渡り合うことは可能なはずだ。日米二国間でFTAを結ぶほうが、よほどアメリカからの攻勢に耐えなければならない。それとも、多国間で連携するなんて交渉力は日本にないから無理だ、とでも言いたいのだろうか。残念ながら真正面から否定できないが(笑)、それならなおさら日米FTAが怖い。交渉面でのリスクはTPPのほうが低いと考えるのが妥当だろう。それにGDP比でいっても、これからベトナム、チリなどの新興国はどんどん伸びる。日米FTAのような体裁に今はなったとしても、近いうちに必ず多国間の協定としての意味合いを持つように修正されていくだろう。

 以上の理由で、自分は日本のTPP参加に賛成する。この記事、炎上覚悟で出している。首相が党内融和に務め、また政治家全般がメディアによる「たたき」を恐れるあまり自分の意見を出せないような状況が生まれているのなら、一国民が意見を出す番との思いもあって、出すと面倒になると思っていたテーマにも切り込むことにした。忌憚なきご意見を、伺いたい。

韓流ブームと韓国批判

2011-09-22 22:28:19 | 政治
 突然ですがチャン・グンソクってみなさん好きですか?個人的にはチョン・ウソンやイ・ビョンホンほどかっこいいと思えず、日本で野すさまじい人気ぶりはあまりわからない。しかし、同級生(男子)いわく「美男ですね」を観れば間違いなくファンになるのだという。彼は昨今の日本の若手俳優と比べて結構マッチョらしく、そこも人気の理由だ、と語っていた。なるほど。

 などということを考えていたら、ネットの掲示板で「チャン・グンソク来日時のファンはサクラ」という書き込みを多数発見した。何でも、日当2000円やら5000円やらで雇われており、サクラ募集のチラシの現物という画像も掲載されている。そしてそうした掲示板に軒並み書かれているのが、強烈な韓国批判だ。例えば、

・今の韓流ブーム(K-POPや韓流ドラマ)なるものは、フジサンケイグループなどのメディアが作り出した幻想にすぎず、それに国民が洗脳され、既成事実としてブームだと思い込まされている
・韓国政府が国策として韓国の芸能を日本に売り込んでおり、パチンコ業界を通じて在日韓国人と癒着した日本のメディアが加担している
・統一協会が日本での信者を増やすために韓流スターの興行を利用している

などなど。こうした意見の背景には昔から続く日本と韓国・北朝鮮との間の問題があると思われる。教科書やマスメディアでよく取り上げられるのは、戦前の植民地化、戦時中の強制連行、従軍慰安婦、竹島、拉致といったものだが、これらほど大々的に扱われなくても根深く続いているのが、統一協会とパチンコ産業だ。統一協会は北朝鮮の教祖が創始したとされる新興宗教団体で、合同結婚式などで有名。日本では特に大学生への強い勧誘が問題とされている。パチンコ産業は朝日新聞によると経営者の約5割が韓国籍、約1割が北朝鮮籍とされる。ネット上の韓国批判も特にパチンコ産業に関するものが多い。正直、大学生になるまで在日韓国・朝鮮人とパチンコのかかわりについては全く知らなかった。

 確かに、パチンコ産業はその経済規模の大きさ(一説に20兆円とも30兆円とも言われる)からか政治家との結びつきが強く、民主党には海江田万里氏などが所属する「民主党娯楽産業健全育成連盟」、自民党には平沢勝栄氏などが所属する「自民党遊技業振興議員連盟」といったグループがある。そしてパチンコそのものが、玉を景品に交換し、景品を換金するといった仕組みになっていて法律上は賭博とされていないなど、グレーな部分が多い。こうした、教科書やマスメディアであまり公に語られない問題が、日本と韓国の間の溝を大きくし、ここにきて韓流ブームと激しく衝突してきている。俳優・高岡蒼甫のツイートと、その後の所属事務所解雇問題が決定的な火をつけ、「フジテレビが圧力をかけた」という反発が相次ぎ先月にはフジテレビ前で大規模なデモも起こった。そしてテレビ各社でのデモの報道ぶりはかなり小さかったように思える。彼らいわく、こうした問題を報じないマスメディアもグルである、とのこと。昨年の尖閣諸島問題を巡って渋谷で起きた大規模デモが大きく報じられなかった時と重なる。

 こうした話を知ると、身の回りで沸き立つ韓国歓迎ムードも素直に信じられなくなってしまう。彼らの主張がどこまで本当かはわからない。そして、新聞やテレビといったマスメディアに対する恐怖も覚えてくる。高校生のころまでは、戦時中はともかく今の新聞やテレビは正しいことを言うのだろう、と思っていたが、実際には各社によって主張はかなり異なり、どれを信じるか結局は自分の判断にゆだねられてくる。その次に目に飛び込んでくるのは週刊誌で、テレビや新聞では報じないような「スクープ」「独占取材」といった強烈な主張が多い。さらに最近頭角を現してきたネットが加わる。マスメディアや週刊誌にも載らないような毒気の強い主張、特に「陰謀」や「弾圧」といった言説がたくさん出てきて、自分のきかされてきたことはすべて嘘、と感じてしまうような衝撃を受けることも少なくない。月並みな言い方になってしまうが、本当にこれかの時代、氾濫する情報から何が正しいのかを見極めるのは大変だ。

 ただ、あえてネット上の情報に関して一つ問題を挙げると、自分の考え方に近い情報を検索によっていくらでもえられてしまうことは危険なように思える。今回の例でいえば、「韓流 スター 来日」と検索すれば華々しいスター来日・韓国大歓迎映像などが出てくるが、そこに「サクラ」と加えるだけで、先ほど見たようなまるで正反対の意見に遭遇する。類は友を呼ぶの状態で、検索を通じて共感する者同士が無秩序に集まり、意見の過激化がノンストップに進みかねない気がする。冒頭のチャン・グンソク問題でも、紙媒体でこの問題を報じたのは自分が知る限り日刊サイゾーくらい。ネット上で反韓の人びとの間に異様な速さで浸透していったような感じを受ける。ネットを信用しないわけではないし、ふつうに暮らしていては出会えない人々や団体を見つけられる利点ももちろんあるが、こと世論形成となると、まだまだ克服すべき点も多い気がする。極端なことを言えば、皆が情報を見つけるのに頼りにする検索エンジンが検索結果の表示に手を加えてしまったら(一部の国では政府によるネット検閲もある)、それこそ人々は洗脳に近い状態になってしまうわけで。大変な時代になってしまったものだ、まったく。

大阪の君が代条例

2011-07-25 22:57:50 | 政治
 試験がほぼ一段落して暇になるかと思っていたが、来週のマレーシア旅行の計画が予想以上に難儀していることもあり、なんだか忙しいままである。更新が滞るのもよくないので、以前新聞に投稿してボツになった記事を若干整えて掲載します(笑)。なかなか採用されないものなんだよね…。

 もうタイムリーでなくなっている感があるが、橋本大阪府知事率いる「大阪維新の会」の大阪義団が制定した、教員に君が代の起立斉唱を義務付ける条例が議論を呼んだ。大学で履修している教職科目でも取り上げられ、公務員なら国歌斉唱和当たり前か、それとも思想強制や職権濫用かという点が議論の中心だが、自分は別の点でこの条例に違和感を覚える。

 知事は起立斉唱を「思想良心の自由でなく組織マネジメントの問題」と主張するが、これは国歌である君が代を会社の社歌や学校の校歌と同じ位置づけにおくことになる。教員が「歌いたくないけど、ルールらしいし仕方ないか」という心理で国歌を受け止めるような状況を知事らが望んでいるのか。知事の狙いが、単なる規律の厳格化にあるのならまだいいとして、安倍元首相らが意図したような愛国心の復活にあるのだとすれば、これは逆効果な気がしてならない。

 正直なところ、若い世代には、自分を含め、君が代を耳にしても、愛国心がわく、あるいは国家主義的な違和感を受ける、といった感情を特に抱かない人も多い気がする。この状況は問題があると思っているし、関心を持たずに生きてきた自分にも落ち度はあると思う。愛国心がどうあるべきか、戦争や天皇賛美といった危険とどう向き合うかを考える上で、君が代の議論も重要だ。その過程で、「公務員が国に敬意を表するのは憲法の条文からしても当然であり、それを軍国主義だといって拒むような人間は教員になるべきではない」という意見が出ること自体には反対しない。

 彼らの議論に見られるような、戦後日本国民の「自虐史観」と言われるものは、全くなかったとは否定できない。秋田喜代美・佐藤学『新しい時代の教職入門』(有斐閣アルマ)という本に書かれた、日本の教師像の変化がよい示唆を与えてくれる。明治時代に森有礼が中心となって定めた教育制度により、教師は聖職者のようなイメージを与えられ、天皇の意思を媒介し子どもたちに伝えるという役割を担い、加えてのちに、国民教育の理想を実現するという側面も持つようになったとされる。さらに戦時中、丸山眞男「日本ファシズムの思想と運動」(『現代政治の思想と行動 上巻』(未来社)の一編)が指摘するように、教師は小地主・工場長・僧侶などとともに、日本ファシズムの発展に大きく寄与した「疑似インテリ層」の一部となって、天皇を頂点とする家族国家観と臣民教育を浸透させていったといわれる。朝ドラの「おひさま」でも、学校に奉安殿があったり、兵隊をたたえる歌を低学年から歌ったりと、当時の学校の風景が学べた。

 これが敗戦によって転換し、GHQによる教育民主化の方針もあって、戦後の教師は皇国の道を探求する聖職者としての側面を弱めた一方、民主主義の実現を目指すという新たな使命感を抱くようになったとされる。それが(少なくとも一部の人びとにとっては)過剰な権力中立主義や、天皇制への忌避感につながっているといってよいだろう。一方で教師の専門家としての側面をみると、専門家共同体には行政権からの中立が認められる、という基本的な性質がある。公務員としての側面と専門家としての側面どちらを重視するかによってこの問題への見方は変わる。自分でもはっきりした答えが出せていないのが苦しい。

 今回大阪で出た条例は、こうした国のあり方全体に関わる君が代を、組織の単なる一規律に矮小化するものである。君が代をコメディ映画「川の底からこんにちは」の木村水産の社歌と同じレベルにされてはさすがに困る(ものすごく極端な言い方だけど)。自分自身、そこまで確固たる愛国心を持っていると胸を張っては言えない身だが、この条例は、思想強制以前に、端的に言えば国歌への無礼である気がする。

 今までこういう安易に触れづらい問題は避けてきましたが、やはり一度は自分の立場(と呼べるようなものでもないが)を言うべきだとも思い、取りあげました。強く憤りを感じられる方も多いと思いますが、ご批判はできれば建設的にお願いします。なるべく炎上しないように…。

孫正義の思惑やいかに

2011-07-15 11:34:31 | 政治
 お久しぶりです。試験はまだ残っていますが、ある程度一段落したのでぼちぼち再開いたします。

 震災後から菅首相と会食を重ね、関係を深めてきているソフトバンクの孫正義社長が、日本の耕作放棄地と休耕田計54万ヘクタールにメガソーラー発電所を建設する「田電プロジェクト」を提唱、35の都道府県知事が駆けつけている。100億円寄付といい今回のプロジェクトといい、孫社長の行動の速さと影響力の強さには恐ろしささえ感じる。社長の決断でソフトバンク全体の方針も相当変わっているわけで、社員の少なくとも一部には「振り回されている」という反感を覚える人もいるだろう。もちろん政府よりは意思の疎通もしっかりしているだろうが、それでも彼のやり方はほとんど菅首相と同じにしか見えないの。なぜ孫社長には「無責任」「やりたい放題」という批判が少ないのだろうか。

 週刊ポストに「あんぽん 孫正義伝」を連載しているノンフィクション作家の佐野眞一氏がテレビ朝日「やじうまテレビ!」で語った孫社長の話が興味深い。佐野氏いわく、孫社長は「空気を読むのがすごく上手い」。今回のメガソーラーも、脱原発に傾きだした世論の空気をいち早く読み、すぐさま行動に移したことが(少なくとも一般国民からの)批判の少なさにつながっているのだろう。慎重を期すというか、だらだら争いや利益確保に追われる故にビジョンの発表が遅れる政府との違いはここにある。また、「在日として差別を受けた経験からハングリー精神が強い」「震災直後に『自分がどんなに非力なことか』と人前で涙を流した。とにかく器が大きい」など、生粋のアグレッシブさが人々をひきつけているが、これは週刊誌でもたびたび槍玉にあげられる「強腕・残酷」という手腕と表裏の関係であり、ともすれば煽動家になりうる危険性がある。

 それが強く見られたのが、先月官邸で行われ、自然エネルギーの普及について論じられた「総理・有識者懇親会」。菅首相が満面の笑顔で「私の顔を観たくないのなら、この法案(自然エネルギーの全量固定価格買取制度を定める法案)を通せ」というと、孫社長が「もう10年くらい続けてほしい。この土俵際で粘って、この法案だけは通してほしい」と盛り上げ、喝さいを浴びた。菅首相が孫社長に手玉に取られているようにしか見えないのは自分だけでしょうか(笑)。日本全体のことを考えているのなら、自然エネルギー法案よりもまずは2次・3次補正予算や特例公債法案の成立を求めるべきである。自然エネルギー法案だけは通せ、という意見は明らかに的外れだ。結局自身のビジネスのことしか考えていないのではないか、と言われても仕方がない。新聞・週刊誌を見る限りで、批判は首相に比べても明らかに少ない理由がわからない。これに対する佐野氏の「彼は大欲なんです。大欲だと、無欲に見えてしまう」という指摘には説得力を感じたけれども。

 そして、孫社長の独断により、ソフトバンク1社だけで日本中の知事を味方につけたことに対し、経団連からは「ほかの民間企業の参入を妨害する」と苦言が呈された。一方で、大規模な経済改革には強力な「政商」が必要だとの意見もある。この状況、ソ連崩壊直後のロシアと驚くほど似ているのである。エリツィン政権時代、鉄鋼・石油・石炭などの基幹産業は国有企業が握っており、旧ソ連の共産党メンバーであった“Red Directors”といわれる実力者の支配下にあった。対して、新生ロシアの新興企業家たちが結束して、これら基幹産業の民営化を求めて争いだした。彼らはRed Directorsの牙城を崩すために、支持率低下にあえぐエリツィン政権と手を結び、彼らが大統領選挙でエリツィンを支持する代わりに、国有産業を低価格で払い下げてもらう、という密約を交わした。その不透明さから”The theft of the century(世紀の盗み)”と批判され、新興財閥となった企業家たちは「オリガルヒ(英語のoligarch、寡頭政治の独裁者)」と称された。しかしエリツィン政権からすれば、これは共産党勢力を追い出して経済改革を進めるうえで払うべきコストだった。

 今回の孫社長の動きも構図はほとんど同じだ。支持率低迷にあえぐ菅政権を手助けする代わりに、自然エネルギー産業への支援を取り付け、独占に近い形で太陽光発電事業に参入する。彼の場合は「寡頭」のoligarchより、「専制」のautocratに近いかもしれない。これも電力会社により固く閉ざされてきた自然エネルギー産業の開拓のためには仕方ないことなのか。

 今や資産は6千億円を超えて日本一の大金持ちとなり、一企業の社長という枠に収まらない影響力を持つ孫社長の動きはこれからも注目、かつ注意しなければならない。自分としては、メガソーラーの建設には賛成したい。何か行動を起こして失敗するより、何もせず放置するほうが無意味だと思うので、行動力の強さは特に今では重宝すべきだ。ただし、本当に休耕田や耕作放棄地をすべて発電所にしていいのか。震災前のTPPをめぐる議論では、こうした土地への民間企業の参入による新しい形の農業が提案されていた。しかしそれも今ではどこ吹く風で、エネルギーのことにしか目が向いていないのは、あまりに世論の盛り上がりに同調しすぎな気もする(先ほどの、空気を読む能力の副作用か)。ここで働くべきなのが政治の力だ。何が真の公共の利益になるかを見極め、時に意見の調整、時に新たな方針の形成を行っていくのが政治の基本の姿だと思っている。…佐々木毅や内山融に影響されすぎな気もするが。