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生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

映画(12) 「冷たい熱帯魚」

2011-11-26 22:28:10 | 映画
 最近少しだけ時間ができたので、ハイペースで連続投稿。先日友人とともに園子温監督作品「恋の罪」を鑑賞してきた。これについてのレビューを書きたいのだが、そのためにはやはり前作「冷たい熱帯魚」に触れておかなければならない。ということで、8か月前に観た「冷たい熱帯魚」のレビューから入る。

 (以下、ネタバレを含みます)

 後妻と娘を持ち熱帯魚店を営む社本(吹越満)は、娘の万引きをきっかけに気さくな同業者の村田(でんでん)と知り合う。ビジネスに協力してくれと頼まれて村田の店へ出向いた社本がみたのは、ビジネスに反対する投資家・吉田(諏訪太朗)を殺害する村田とその妻・愛子(黒沢あすか)だった。社本は成り行きで吉田の死体処理に協力させられ、村田の本性を知ると同時に、彼から逃れられなくなっていく。

 盛大な血祭&エロ祭映画で、批評家たちの間にも絶賛の声は少なくない。しかし、自分はあまり乗れなかった。おそらくその理由は、世界観のちぐはぐさである。

 今作は、監督も述べるとおり実録犯罪映画のような色彩を持ち、手持ちカメラによる撮影が多く、またドライで引き締まった画面になっている。これの前作にあたる「愛のむきだし」の徹底したチープかつ漫画チックな世界観とは対照的だ。だが、登場人物の言動はなかなかぶっ飛んでいて非現実的である。特にでんでんと黒沢のぶっ飛び方は生半可なものではない。でんでんは過剰なほど気さくなおじちゃんの側面と、それ以上に過剰な殺し屋の側面画すさまじい振れ幅で現れ、黒沢は終始極道の妻のようなどすの利いた口調で立ち回る。二人ともなかなか素晴らしい怪演なのだが、この過剰な演技がどうも、リアル思考を持った実録調の世界観にそぐわず、違和感を覚えてしまう。そのため、実際の事件をもとにしたというプロットも、話自体はかなり事件に忠実らしいが、リアルな恐ろしさを感じない。画面の向こうから園監督が「ほら見ろ、グロテスクだろ、汚いだろ!」と一人でわめいているようにしか思えず、説得力がないのだ。観客を作品の世界に引き込もうという意思が感じられないのだ。

 また世界観自体にも妙な点がある。最たる例は村田が死体処理を行う別荘だ。「愛のむきだし」よろしくマリア像や十字架といったキリスト教要素がやたらと強調されているが、何の説明もない。また愛子がガスバーナーをぶっ放してともす大量のろうそくも謎。村田夫妻の猟奇的な性格を見せているという解釈にも無理がある。ドライな映像の中で、この建物だけが漫画チックで浮いているのである。また、終盤で突如登場するデジタル時間表示も意味不明。何のために時間を見せる必要があるのか全く分からない。監督は実録風の昭和映画「復讐するは我にあり」を参考にした、と述べているが、それにしては作り上げた世界が粗雑である。自身の得意な漫画的ぶっ飛びをもう少し抑えて、もっと冷たい「冷たい熱帯魚」にするべきではなかったか。これではまだ生ぬるい。冒頭の冷凍食品が次々レンジに放り込まれる描写や、滝のようというか滝そのものと言っていい(笑)くらいの土砂降りの雨程度の過剰演出で、十分通用するはずだ。

 その意味でいえば、でんでん・黒沢より、大した器でもない男が凶悪犯罪に巻き込まれ、深みにはまっていくさまを演じた吹越のほうが、より世界観に合った演技をしているように見えた。常に怯えと不快感を見せながら、ついには自分がぶっ飛んでしまうまでの過程は、でんでんや黒沢のような派手さはないものの、天下一品の演技だろう。村田と手を組む悪徳弁護士・筒井役の渡辺哲も、なかなかいいヤクザっぷりであった。

 一方いまいちだった出演者は社本の妻・妙子役の神楽坂恵(なんとのち園監督と結婚)と娘・美津子役の梶原ひかり。二人とも演技の経験が浅いせいか、芸達者な中年組に比べると不安定さやセリフのつたなさが目立って仕方ない。プラネタリウムで家族3人で話しているシーンは特にひどい。ところが、梶原は最後の最後で大化けする。このラストのすさまじい絶望感はこの映画の救いであり、しかも2回目に見ると(見てしまった)、素晴らしい快感、カタルシスを生む。このシーンで評価を持ち直した。

 以上、いいところと悪いところがどちらも顕著で、個人的にはあまり好きではない。こういう「汚い世界」系の映画は手あたりしだい暴力的に作ればいいというものでもないのだと学んだ。「時計仕掛けのオレンジ」がいかにバランスを考えて作られたものだったかが逆によくわかる。なんだかこき下ろしているような書き方になってしまったが、それなりに面白かったよ。筒井にかけられたタオルなど(笑)。

 個人的評価:☆☆☆

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