BioDoxology

生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

不条理(1)

2011-08-30 15:20:54 | 雑記
 ずいぶんとお待たせしてしまいました。23日から27日まで、仙台市を拠点に活動するボランティア団体「ボランティアインフォ」の活動「もっとボランティアを!プロジェクト」(通称「もとボラPJ」)第3期に参加してきた。

 「ボランティアインフォ」(略称VI)は、「ボランティアしたい人とボランティアしてほしい人をつなぐ」という理念に基づいて設立された団体である。朝日新聞によれば、震災後3か月で訪れたボランティアの数は、阪神・淡路大震災の時の117万人に対し、東日本大震災では42万人と少ない。人数の少なさの原因として、原発事故、交通網のダメージの大きさなどがあげられるが、加えて「同ボランティアすればわからない」「ボランティアの募集法がわからない」といった情報網の形成の遅れも要因ではないか、とされる。特に被災地では現場の仕事に手いっぱいだったあまり、情報発信は後手後手に回ってしまった。

 VIは、社会人の代表・副代表のほかは、大学生や院生が主なメンバーである。宮城県社会福祉協議会と連携して、被災地へ出向いてボランティア団体のニーズ調査をしデータベースで発信するほか、8月31日までは仙台駅に設置された「ボランティア・インフォメーション・センター」でボランティア情報を提供している。そのニーズ調査のために行う現地活動が「もとボラPJ」である。被災地では地元の人びとを中心に中小様々なボランティア団体が活動しているが、各県や市町村の社会福祉協議会(略称「社協」)が運営するボランティアセンター(略称「VC」または「ボラセン」)では、そうした小さな団体は見落とされることも少なくない。全国からボランティアにくる人は、多くの場合まずVCで募集されているボランティアを探すので、VCに拾われない団体の声は全国に届かなくなってしまう。そこでVIは、そうした小さな団体をインターネット検索と現地踏査によって見つけ出し、どこでどんな団体がどのような活動をしているのか、そして何が足りず、どんなニーズを持っているのかをヒアリングする。ニーズがあった場合にはオフィシャルサイトのデータベースに登録し、Yahoo!JAPANやたすけあいジャパンのホームページにボランティア募集の形で掲載させてもらう。こうして、全国からの支援を行き届いたものにしよう、という試みを行っている。

 降格と、「なぜ社協のVCに直接伝えないのか」という問いが上がるだろう。しかし、今被災地の各所でVCは規模が縮小され、場所によっては閉鎖されている。というのも、もともと社協は厚生労働省管轄下の組織で、普段は老人福祉や障碍者支援を行うところであり、VCは災害時に臨時で運営しているに過ぎない。そして社協の予算や人員は限られており、いつまでもVCを開き続けるわけにもいかないため、VCは縮小して本来の業務体制に戻ろうとしているのである。

 「もとボラPJ」は、現地チーム・オフィスチーム・駅チームに分かれて行われる。自分は23日に仙台入りし、その日は駅近くのオフィスでボランティア団体の情報をネット検索し続けた。24日には調べた情報をもとに、七ヶ浜町・栗原市・登米市・石巻市を回った。25日には駅のセンターとオフィスで活動し、その情報をもとに26日には山元町・岩沼市・登米市を回った。27日にも現地入りする予定だったが、体調を崩し駅とオフィスでの活動となってしまった。すべての活動内容を書くわけにもいかないので、特に現地で印象に残ったことを書く。自ら足を運んだことで、今まで自分がいかに被災地の現状について無知であったかを思い知らされた。

 もっとも強烈だったのは、24日に訪れた石巻市である。車で市内に入ると、テレビや写真で見るように、市街地中心の家やビルがつぶされていたり、流されて更地となったりしている。そしてところどころにはうず高くがれきが積まれている。しかし、これらは報道で何度も目にした光景で、それほどのショックは受けなかった。問題はそのあとだ。今回向かったのは、市の中心部から離れ、牡鹿半島の先端まで行ったところにある泊浜という地区。その日コンサートイベントがあり、栗原氏からのボランティア団体が来ているということで見に行ったのだ。泊浜へ行くには、半島沿岸の山道にある道路を30分以上走らなければならない。その道路から見た光景がこちら。







 走っている車から撮影したものなのでとても分かりづらいが、地盤沈下のせいで、この時間帯が満潮に近かったこともあり、集落と海面が異様に接近しているのである。水は堤防の高さギリギリのところまで迫っており、山がちな海岸では元あったであろう破魔矢崖がなく、木々に直接海水があたっている。とにかく、人が暮らすには「水が近すぎる」のだ。上手く言い表せないが、人々が平穏に暮らすところとして不事前に見える。不吉、といってもいい。さらに、山道のガードレールはグニャグニャと曲がり、山に生える気羽が露出している。津波が道路を乗り越え、山肌まで押し寄せたのだろう。否応なしに、「今津波が来たら」と考えてしまう。道路より山側に逃げようとしても、斜面が急でまともに登れそうにない。無抵抗に飲まれる以外にないのだ。目の前に常に迫っている海と、登れそうにない山肌に挟まれた生活。「不安と隣り合わせ」とはまさにこのことである。率直に、こんなところに住んでいてはつらすぎる、と感じた。しかし、それでも住み続けたいという住民が多いのも事実である。

 目的地のコンサート会場に着くと、コンサートは開始が遅れたため予定より延長していて、話を聞く予定の団体はまだ仕事中だった。すると、年配の女性2人が近づいて来て、「あなたたちはどんなことをする団体さん?」と尋ねてきたので、「ボランティア団体のニーズを拾い上げて全国からの支援を行き届かせる活動をしています」と答えた。すると帰ってきた言葉は、「ボランティアには限界があるよ」というものだった。

 その女性のうち1人は、泊浜に来た支援物資を分配する役職(「班長」といっていた)についているらしい。そして、自身は被災して家を失った。以下、その方が中心に語りだしたことである。

――泊浜では、どんな支援物資もまず区長を通じて配分しなければならない。その区長は徹底した「平等」な配分にこだわる。家を流されて仮設住宅に住む人、他人の家を借りて住む人、家が無事だった人が、すべて同じ状況だとみなされ、生活家電などはそれらの人すべてに配られる。家が無事だった人は断るか、そんなことはない。とりあえずもらう。そして別の被災地にいる家族に横流しすることもあるのである。この前は市のほうから、散々来なかった食糧支援がやっときた。キャベツ40箱。ここは37世帯だから、1世帯1箱配るというのだ。人数は関係ない。家のない人たちはびっくりしちゃう。どうやって食べきればいいのか。

――自分たち家のない人々はここでは少数派で、自分たちがほしがるものを行政に頼むこともできない。クレーマー扱いされ、村八分にされるからだ。かといって、平等配分にこだわる区長を通さずに物資をもらおうとしても、今度は区長との関係が悪くなる。ボランティアが物資をくれるというなら、そうした事情を分かっていて大量に物資をくれるか、あるいは区長に内緒でこっそり物をくれないと、泊浜では効果がないのである。結局、家のない者は義捐金を食いつぶして必要なものを買いそろえなければならない。家のある人間は、ゼロからスタートして仕事を探せばいい。自分たちは、金を減らしてマイナスからスタートしなければならない。「全国からの支援ありがとうございます!私たちは復興に向けて頑張ります!」などといえるのは市の中心と家のある連中だけ。家のない連中は頑張ることなどできない。

 そのうち、班長の女性の娘と思われる若い女性もやってきた。

――ボランティアにも是正してほしいところがある。もちろん来てくれるのはありがたい。でも、今来てる人たちにも結構迷惑している。遅くまでイベントをやるから、その人たちが帰るのは10時近く。後の片づけは自分たちがしなければならない。送ってきてくれるものもいいのか悪いのか。地震の直後は外国製のものがいっぱい来たが、説明が日本語でないから中身がなんなのか全く分からない。開けてみてやっとわかる。味も全然合わない。やたらと大きなビーツだとか、豆の煮たものだとか、魚の煮つけだとか、都会の連中はいいかもしれないが、田舎の連中は食べられたもんじゃない。服も5月ごろにもなって冬物が来る。着られるかって。最近だと「アンケート調査をします」という人たちが来た。「死にたいと思うことはありますか?落ち込むことはありますか?」と棒読みで聞いてくる。当たり前だ。一ぺん自分も同じ目にあってみろ。「何かできることはありますか?」という団体ならいいが、「自分たちが何かしてあげますよ」という団体はごめんだ。だったら自分たちでやる。

――この班長の仕事を始めてから、人相が悪くなったって言われる。こうした大災害が起きて、家や町のような多いがなくなると、人間っていうものが出てくるんだ。(母子ともに携帯電話を取り出して)これが私たちの家。流された跡。道路はがれきがあっていけなかったから山から撮った。なんもねえ。ここにある石みたいなものはトイレの残り。何でなくなった家の写真を撮ってるんだろう、不思議な感覚。記念かね?「掃除する必要がなくなりました、よかったね」ってお祝いかね?

 時間にして2時間弱。しばしば意味の把握できない個所もあったが、女性3人が話したのはおよそこのようなことである。いろいろ反論したいところはあるかもしれない。それでも、あえてすべて載せた。ボランティアを助ける目的で向かった自分たちが、ボランティアの限界をまざまざと見せつけられたことのショック、そして見るに堪えない不条理の前に、ひたすら気が沈んだ。その前に訪れた七ヶ浜ではボランティア団体も被災者も明るかっただけに、この冷たさと暗さは応える。実際、失礼を承知でいえば、この3人は人相が悪かった。「希望など見出していられるか」というような暗い表情ばかりで、笑顔は見られない。「頑張る被災地」という、自分が大手メディアで聞かされていたイメージを崩壊させられた。衝撃が大きすぎた。

 その後コンサートが終わり、予定していた栗原市からの団体に話を聞いた。団体の代表の男性は気さくな牧師で、人助けの精神にあふれているような方だった。周りの人びとと笑顔であいさつし、まさに「復興へ向けて頑張る被災地」を表しているかのよう。「いやあ、開始も終わりも遅れちゃったねえ!あれだ、被災地時間か!(笑)」と地元の方々と談笑さえしている。しかし、その前にあれだけ重い話を聞いた自分は、もはや彼らとともに楽しむことなどできなかった。仙台のオフィスに戻るとき、地元の漁師の男性が、一緒にヒアリングをしていた大学生に大きなサケを1尾下さった。「俺もね、船はなくなっちまったけど、網で今でも獲ってるんだ!どうぞ持って行ってくれ!」と、とにかく明るかった。そしてそのあと、「あのばあさんの言ってることは極端だから、あまり信じないほうがいいよ」と言われた。

 こうした状況が被災地すべてで起きているわけではない。次回紹介する岩沼市のように、住民が一体となって自立に向けて動いているところももちろんある。しかし、この泊浜のように、「助け合う」はずの住民が「いがみ合う」状態となっているところがあるのもまた現実なのだ。「被災地が一つになって頑張っているのだから、国もしっかりやれ」というマスメディアの論調は、必ずしも正しくない。被災地といえど状況は様々。一枚岩ではないところもあるのだ。次回はボランティアのニーズをめぐる葛藤について。

映画(8) 「蘇える金狼」

2011-08-22 22:43:33 | 雑記
 「野獣死すべし」を観て松田優作にはまり、続いて観たのが「野獣死すべし」の前作にあたるこれ。どんな恐ろしさかと楽しみにしていたが、いざ見てみると、「野獣~」には遠く及ばぬ、B級の域にとどまったB級ハードボイルドではないか…。

(以下、ネタバレを含みます)

あらすじ:銀行の平社員として働く朝倉(松田優作)は、ある日現金輸送オートバイを単身襲撃して1億円を強奪。麻薬を手に入れ、銀行の部長の愛人(風吹ジュン)をわがものにする。さらに雑誌記者の桜井(千葉真一)に汚職スキャンダルを握られた取締役に手を貸すことで出世し、人生を駆け上がっていく。

 ひとえに脚本がつまらなすぎる。朝倉が出世と金のために邪魔者を次々負かしていくところは痛快ではあるのだが、相手が皆意気地なしばかりで、負かされた後には何の仕返しもせず、ひたすらよわっちい。朝倉は何者かに追われるようなこともなくただ勝ち続けるばかりで、展開が一方的すぎるので飽きてしまう。さらに、桜井との絡みでは妙に桜井がクローズアップされて朝倉がわきに回ってしまい、かといって話に深みが出るわけでもない。スタッフが千葉真一に「出番増やせ」と恫喝でもされたのか?とにかく話に重みがなく退屈である。

 肝心の優作だが、狂いまくっていた「野獣死すべし」とは違い、こちらでは「太陽にほえろ」や「遊戯」シリーズに観られる典型的なハードボイルド・ヒーローで、特別強烈な印象もない。しかしこの男、まったくイケメンではないが、「絵になる」存在感にはやはり事欠かず、長い手足と長身を生かしたアクションシーンは、別段大したアクションをしていなくてもやたらかっこよく見えてしまう。これがスターというやつだ。ちなみに、横須賀第二海堡での銃撃戦で撃たれたチンピラが落下するシーンで、落下を受け止めるためと思われる緑色のマットがもろに見えてしまっている。いいですね。このB級らしさ全開な感じ。また安っぽいコミカルなシーンも数多くこなし、もはやかっこいいのか悪いのかもわからないところがかっこいいのである。ラストシーンでは「野獣」にもつながる恐ろしい演技で締めてくれるので、やはりすごい男だ、と再認識。

 今とほとんど変わらない風吹ジュンはひたすらにボケッとしたイモ演技で笑わせてくれる。優作との絡みは話の筋からしてもおかしすぎる。ゴルフ練習場で京子の隣のレーンに立ち、やけにかっこつけて準備する朝倉。京子がお手並み拝見とばかりに朝倉を見始めたとことでスイング!なんとクラブが手から飛んでいく!(笑)爆笑する京子の前でクラブを取りに走る朝倉。再びスイング。またクラブが飛ぶ(笑)。京子、大爆笑。そして、釣れた(笑)。帰りに朝倉の車に同乗しレストランへ。「お食事だけって約束よ」などと京子は言うが、天下の優作さん相手にそれで済むはずがなく、日本映画の歴史に残るといわれる例のシーンへ。ルームサービスの朝食は、どうやって頼んだんだ?それからあるカットの優作の顔がとんでもなく卑猥である。仕事と私欲をはき違えているかのような恍惚ぶりというか肉食ぶりというか…。今では到底こんなシーンは撮れませんね。

 そして、ひそかに豪華な脇役たち。昭和の名悪役勢揃いの感がある。社長に佐藤慶、部長に成田三樹夫、次長に小池朝雄。これは、汚職がないわけがない(笑)。特に成田のこざかしさは絶品。彼らを負う桜井に千葉真一。今回は空手アクション封印。なんだか眼鏡と髪型のせいで渡辺いっけいに見える。さらに桜井を追う盲目(のふりをした)中国系の殺し屋に、あのドラキュラ俳優、岸田森である。完全にドラキュラの服装で歩き、「恨み、深いよ」「動かないのね」とつぶやく姿が怖くてたまらない。岸田先生が伝説を残したのは優作との戦闘シーン。おそらく優作に突き飛ばされ障子を突き破るはずだったのだが、破れない。そこで岸田先生、自らひじ打ちで障子を突き破って落下するのである!この役者魂(笑)。

 まあ、こんな感じであらや突っ込みどころを探しながら見ていくと結構楽しい映画である。間違っても「野獣死すべし」のように身構えてはいけない。そしてもちろんおひとりの時を狙って鑑賞せねばならない。

 ところで、明日から27日まである活動のために遠出しますので、またしてもブログが更新できなくなってしまいます。生還したら、体験記をupします。最近更新ペースも落ちてきていますが(苦笑)、何とか続けます。生物ネタもそろそろ出さないといけません。では。

映画(7) 「愛のむきだし」

2011-08-21 02:11:14 | 雑記
 2年前の夏休み、映画にはまり始めた自分が『DVDでーた』という雑誌を読んでいてふと目に留まったのが、中指を立てた満島ひかり(朝ドラの「おひさま」に出ている)の写真。別段思い入れのある役者でもなかったが、彼女の昔の出演作品「モスラ2」を知っているだけあって、「おおあのどうしようもない子役(笑)は今も頑張っているのか」と思った。見出しには「今年上半期、ひそかに最もすごかった映画は『愛のむきだし』だ!」というようなことが書いてあった。愛のむきだし?なんだかすごい名前だ。上映時間237分?安藤サクラなる人の演技がすさまじい?一気に気になってしまい、DVDをレンタルしてしまった。それまで観てきた映画の常識を覆された。

(以下、ネタバレを含みます)

 あらすじ:幼いころ母を亡くし、神父の父と二人で暮らす高校生ユウ(西島隆弘)。父テツ(渡部篤郎)は愛人のカオリ(渡辺真起子)に逃げられてからユウに意味もなく懺悔を迫るようになり、ユウは自ら罪を作るために女性の下着を盗撮するようになる。ある日、罰ゲームで女装をさせられていたユウはヨーコ(満島ひかり)という女子高生に出会い一目ぼれするが、ヨーコはユウを女性と思い込んで一目ぼれしてしまう。そして二人に、新興宗教・ゼロ協会の地方幹部コイケ(安藤サクラ)が近づき、二人の生活を崩壊させる。

 あらすじに書いただけでもバカとしか思えない話の展開。そして自主映画じゃないかと思ってしまうようなチープなカメラワークと演出。普通ならマニア好みのB級アイドル主演で作る80分程度のVシネマが関の山である。しかしこの映画は違う。下ネタ、レトロといったサブカルチャーを入れまくり、あらゆるB級要素をごちゃまぜにしていやというほど流し続け、勢いで237分押し通してしまう。正直あっという間の237分とは言えず、中盤で若干だれるところもあるが、しかし4時間にしては短い。これぞB級映画のだいご味。ありえない、普通なら相手にされないようなことがまかり通り、一般の映画にはないパワーを生み出す。この化学反応を起こすのに必須なのが、突出した役者の存在である。今作の安藤サクラが、まさにそれ。

 まずはほかの役者たちから見ていく。ユウ役の西島隆弘は映画初出演ということで、台詞回しはうまいとはいえず、一本調子で叫んでいるように聞こえてしまう部分もかなりある。しかし彼の持つ雰囲気が見事にユウとあっている。従順、幼稚、性欲なしといった草食系ががんばる青臭い感じが絶妙である。さらにAAAのメンバーだけあって盗撮アクションが華麗で、見ていて楽しめる。しかし、AAAのメンバーをこんな映画に出させるavexもすごい。ちなみに、ユウが女装をしていた時の格好は、あのB級バイオレンスの傑作「女囚701号 さそり」の梶芽衣子と同じである。だから「サソリ」というニックネームなのだ。一方の満島ひかり。やたらと絶賛の声が上がり、現にこれ以降仕事が増えたようで結構なことだが、今作の演技について言うとそこまで素晴らしいとは言えない気がする。「体当たり」といわれるが、当たり方にも良し悪しあるわけで、西島同様叫び方が一本調子だし、アクションもキレがない。サービスショットの多さは評価に含めるのか?まあ、最近知る限りの映画であれだけ○○○○した役者もいないが、ユウがあそこまで感激ほどすんごい○○○○かというと、どうなんでしょうか皆さん(笑)。ただ、いくつかのシーンで役とシンクロしたようないい表情が出ており、バスの中で「海がみたい」とつぶやくシーンは印象的。ダメな大人二人を演じた渡辺真紀子と渡部篤郎は見事な怪演で、特に渡部の堕落っぷりは壮絶である。海岸での異様なカーチェイスには正直参った。ある意味このシーンが一番「むきだし」かもしれない。

 そして、なんといっても安藤サクラ。これは本当に凄い。まず顔がすごい、というかえぐい(笑)。奥田瑛二と安藤和津の娘だが、両親のえぐいところを組み合わせたような風貌で、ある意味奇跡である。登場シーンからして圧倒的な存在感というか気色悪さ。舌が蛇のように伸びてきそうだが。まるで画面がヌメヌメしてくるようである。キャラ設定もマッチしていて、とにかく頭がよく回り、ずるがしこく、巧みな言葉で相手を丸め込んでいく。ユウとヨーコを巻き込んでいくそのあざとさが、ひたすらに不快で憎たらしく、降参だ。ふすまを開けてユウを除いてくる目、朝目覚めたユウの目の前にある顔。皆強烈で、西島や満島を完全に圧倒し食っている。白のテニスウェアという服装も、宗教っぽくてナイスである。

 話はあってないようなものだが、ユウ・ヨーコ・コイケの3人をつなぐものとして「愛の欠如」が見えてくると、なかなか深い映画にも見える。狂人にしか見えないコイケがユウとヨーコを執拗に付け狙う理由も純真なもので、気持ち悪いと言い続けてきたが、なかなか同情を感じずにもいられなくなる。ラストも拍子抜けするほどあっさりしていて、全体として「ゆがんだ純愛映画」とでもいえばいいのだろうか。園監督が結局何を言いたいのかよくわからなかったが、無難な話が多い昨今の日本映画界に、昭和の「よきバカ映画」の香りを取り戻させようとしているのかもしれない。

個人的評価:☆☆☆☆☆

マレーシア旅行(6)

2011-08-16 01:48:20 | 雑記
 8月4日、KLをA先生とHさんとともに観光中。王宮の次に国立博物館を訪れた。マレー半島の形成から現在に至るまでのマレーシアの歴史が展示されているが、その歳月の長さのわりに展示スペースは広くなく、マラッカの歴史博物館よりも狭い。先生によると、マレーシアの貴重な文化財はほとんどが植民地時代にイギリスやオランダに持ち去られてしまい、国内の展示品は質が低いそうだ。「マレーシアのいいものは大英博物館に見に行ってくださいね」とのこと。日本も太平洋戦争時にマレー半島を占領したが、文化財には興味がなくあまり奪わなかったらしい。

 その次にはイスラム美術館へ。こちらは先ほどの国立博物館よりも豪華である。オスマン帝国・インド・中国・中央アジアなど世界各地のモスクの特徴が、よくよく見ると安っぽい(笑)模型とともに詳細に解説されていたり、イスラムの服飾品や大きな祭祀用のコーランが展示されていたりと見どころがたくさんある。売店にもゴージャスな本が売られていたが、手持ちの金が30リンギットほどしか残っておらず断念した。

 美術館を出ると大雨が降っていた。うわさのスコールか。車に乗り、いよいよ残すはホテルに戻るだけとなったが、ここでKL名物の渋滞に巻き込まれる。ホテルにも間に合いそうになくなってしまい、ホテルの近くにあるマレーシアのシンボル、ペトロナス・ツインタワーの地下駐車場に車を止め、3人でホテルへ歩くことにした。ちなみに、ツインタワーの中には伊勢丹がある。


中に入ることなく通り過ぎてしまったツインタワー。


KLの道路にあった、ひったくり注意の標識。しかしどうしろと…。

 ホテルに着いたのは約束の午後7時ちょうど。危なかった。中国系のガイドのKさんが待っていた。前日にホテルに預けた荷物も、無事受け取ることができた。A先生とHさんにお礼を言い、空港へ向かうバスへ。時間が押していて最後にしっかり話せなかったのが残念だった。バスではKさんが日本語で話しかけてきてくれたが、この日ずっとマレー語を使うよう心掛けていたせいで、しばらく日本語で返事がしづらかった。たった3日の旅でもこうなるのか。途中、別のホテルから女性2人(おそらく母娘)が乗ってきた。この2人はなかなか気さくな人たちで、Kさんもよくしゃべる人だったため、バスで結構話すことができた。2人はマレーシアに来るのは3度目だという。夕方から降り始めた雨はやむ気配もなくどしゃ降りで、Kさんいわくこれはスコールではなくてただの大雨だそうだ。KLの雨季は10月~2月で、その期間には降ってすぐやむスコールがみられるらしい。空港に到着し、出国審査を通過。入国時に指紋認証を受けていなかったのが不安だったが、バスの女性2人も受けなかったらしい。さすがマレーシア。空港でもこういう乗りか。

 2人と別れ、飛行機が夜遅いので免税エリアのカフェでマングリッシュに苦しみつつ、サンドイッチを食べた。腹を壊したくなかったのであえてホットミルクを頼んだのだが、これが本当にホットで舌を大やけどした。誰がこんな高温で飲みたがるんだ?空港は物価が高く、22リンギット払ったので残金は結局9リンギットほど。200リンギットでも危なかった。搭乗時間になったのでJALのゲートへ行くと、日本人がたくさんいて安心する。そのうち、バスの女性2理もやってきた。なんと座席も通路を挟んで隣だった。飛行機の中ではもう日本語ばかりで、日の丸に似た白と赤のJALのロゴを見て「日本だ!」と懐かしく感じてしまう。3日間だけとはいえ、道路や建物などいたるところでマレーシア国旗を見た後だと、日の丸を改めてみた時に自然と親しみを覚える自分に気付いた。そしてJALのCAの丁寧さが異常(笑)。マレーシアの店員と比べたときの腰の低さといったら!そんなに何度も頭下げなくていいです。あの人たちはどうしてずっとにこにこしていられるんだろうか?制服の色が違う人(おそらくチーフパーサー)の笑顔はどこか怖い。

 離陸も2度目となるとさほど恐怖感はない。ついにマレーシアを去ってしまった。機内でNHKニュース「おはよう日本」を観る。見慣れていた森本・鈴木アナウンサーだが、久々に見て感じた。かわいい(笑)。男性アナウンサーにかわいいというのも変な話だが、全く見知らぬ異国の人びとと散々ふれあってきた後によく顔を知る人を見ると、勝手ながら親しみが急増してしまう。アナウンサーの服装も大きな要素。マレーシアでもニュース番組を見ており、男女1人ずつアナウンサーがいたのだが、どちらも真っ黒のスーツだった。一方「おはよう日本」を含め日本のニュースではアナウンサーの服装はもっとカジュアル。思えばたまにBSで目にするbbcなど海外のニュースでも、アナウンサーの服は地味な気がする。日本が例外なのかもしれない。「おはよう日本」のアナウンサーが話す日本語にはとても癒されたが、少し早口な現場リポーターの声がマレー語に聞こえてしまった。

 時刻が午前0時を回っており、疲労もたまっていたので寝ることに。外は真っ暗だが時々白い光が入ってくる。雷か?ラピュタの竜の巣に入っているようなものか。もはや心配する気力すらなく、断続的に朝4時半ごろまで寝た。目覚めて飲み物を頼むと、小さいおにぎり2個とフルーツ、キットカットが入った朝食もくれた。扱いは「軽食」で「朝食」ではないらしいが。日本からマレーシアに行った時も、昼の機内食の後にアイスやらパンやら、やたら食事をもらえた。飲み物はタダだ。飛行機ってこんなにサービスいいのか?JALも経営が大変なはずだが。至れり尽くせりすぎてこっちの腰が引けてくる。

 食後に『不夜城』の続きを読み、6時ごろにまた寝る。目覚めると体が浮くような感じがし、もうすぐ着陸かなどと思っていると、3秒後に着陸してしまった。着陸3秒前まで寝ていたのか…。成田で入国審査を通過し、ロビーに着くと日本人がいっぱい。かわいい!(笑)親しみを感じる以上に、とにかく人々の平和っぷりというか、無頓着さがすごい。旅行の前後で見方が全く変わった。これは、日本人が海外でカモにされても仕方ないかもしれない。もちろん自分も含めて。空港からは横浜への直行バスに乗り、ひたすら眠って横浜に到着。そして、ついに無事自宅に帰った。生きている。感動だ。

 今回の旅行で、自分はそれまでの何倍も強くなった。自分しか頼りにできない状況に追い込まれると、人間頑張れるものだ。大学に入った時から、周りと比べて自分の自立度の低さにコンプレックスを感じていただけに、海外旅行を何とか乗り切ったことは大きな自信になった。感謝すべき人もたくさんいる。一人でマレーシアに行くことを許してくれた家族や、断食中でも文句の一つも言わずにいろいろなところを案内して下さったA先生とHさん、マラッカ観光に付き合ってくれた同級生はもちろんだが、心配性からくるちまちました質問に答えてくれた旅行代理店のおじさん、恐ろしく親切で映画のチョイスもよかった(笑)JALの人たち、まともに聞き取りもできない日本人と何とか会話してくれたバスの運転手さん、右も左もわからない宿泊者に熱心に対応してくれたホテルの人たち、そして犯罪に巻き込んでくださいと言わんばかりの動きをしていたお馬鹿な日本人を襲わずにいてくれたマレーシア国内の人々すべてにお礼を言いたい気分である。マレーシアには、またぜひ行ってみたい。腐るほど長くなった旅行記ですが、これにて終了。読んでくださった方々、ありがとうございました。なんだか閉鎖しそうなまとめになっていますが、このブログが終わるわけではないので、気が向いたらまたのぞきにいらしてください。

マレーシア旅行(5)

2011-08-15 00:59:46 | 雑記
 8月4日、宿泊先であるマラッカのA先生のマンションで起床。先生と車の運転をしてくださるHさんは断食中だが、自分のためにトースト、目玉焼き、トマトからなる朝食を作ってくれた。なんだか申し訳ない。トーストのパンにはハーブとココナッツが入っているらしく、緑色で甘い香りがした。日本でもこんなパンは売っているのだろうか。荷物をまとめて午前10時過ぎにマンションを出発。マラッカの土産物屋に行き、いくつか民芸品を買う。先生の助けを借りつつマレー語で店員と会話。地元の店では値切るのが基本である。買ったものの中にキーホルダーがあったが、気に入った柄のものにはキーをつける輪がない。店員に言うと「じゃあ付け替えましょう」とほかのがらのキーホルダーの輪をとって付け替えてくれた(笑)。もう慣れてきましたよ、マレーシアの乗り。じっくり探したかったのだが、先生とHさんを待たせるのも悪いと思い、あまりよく考えずに買って出て行ってしまった。

 Hさんの運転する車でKLへ向かう。ラジオから音楽が流れてきて、何と「愛してる」という日本語が歌詞に入っていた。DJが「『愛してる』とは“I love you”という意味の日本語です」と紹介していた。大きい道路のそばには、小さな果物屋が散在していて、紀行番組のようないい風景。車を止めてそのうちの一軒に立ち寄った。


車の窓から見た店の風景。建物はなく、バイクとパラソルが店になっている。


近づいてみると、赤や黄色のランブータンがたわわにぶら下がっている。

 店主は少し汚れたポロシャツと短パンをはき、日焼けした肌で白髪のじいさんで、まさに紀行番組「街道を行く」の世界。ランブータンやグアバを買い、じいさんに店の写真を撮っていいかと尋ねると、突如じいさんが真面目な顔で一気に話し始めた。何を言っているのかさっぱりわからない。まずいことでも言ったかと思い焦ったが、先生とHさんは時折笑いながら話を聞いているので大丈夫そうだ。そして先生に「食べてていいですよ」とランブータンを渡されたのでとりあえず食べる。ライチと似た味だが、とにかく甘い。昔日本で食べたものとはやはり全然違う。熱っぽく語るじいさんと、話を面白そうに聞いている2人に対し、何もわからず突っ立ってランブータンをかじっているだけの自分がみじめに思えた。10分以上にわたる話のうち、「50年」という言葉が何度か聞き取れ、また自分の日焼けした肌を指して「白」と言っているのがわかったので、「わしはここで50年も果物を売ってきたんだ、白かった肌もこんなに焼けちまった」みたいなことを言っているのだろうか。そのうち、じいさんが店の後ろのほうから黄金色の液体の入ったビンを持ってきて、先生に買わせた。もはや理解不能…。話を終えて3人で車に戻った。

 先生に「あの人は何を話してたんですか?話がわかりませんでした」と聞くと「若いころの話をしてましたよ」とのこと。大枠は当たっていたか。そして謎のビンの正体は天然はちみつだそうだ。


ランブータン。赤と黄色とあります。


はちみつ。上のほうはガスが出てきて泡立っていた。

 その後、薬屋を営んでいるという先生のお姉さんの家に立ち寄り、先生が薬を譲ってもらっていた。なんと薬もハラル(イスラム法で禁じられていない飲食物)でなければいけないのだそうで、ビンに「ハラル」と書いてある。豚の結成から作ったワクチンなどもだめなのだろうか。ムスリムの方々は本当に大変。

 しばらく車で眠っていると、午後1時ごろに高速道路のサービスエリアに到着。「昼ご飯食べますか?」と先生に聞かれたので「はい」と答え車を降りると、2人がついてこない。もちろん、2人が断食中で食べないのは知っているが、自分一人で食べに行けということか…?車に戻って「勝手に食べに行っちゃっていいんですか?」と聞くと「うん、僕たちは車で待ってるから」。さあ、一気に不安になった(笑)。テラス式のぼろい大衆食堂に入ると、例によってラマダンでダルそうな店員が客席で携帯をいじっている。一見客と区別がつかないくらいだ。厨房に貼ってあるメニューを見て(このクラスの店だとマレー語表記しかない)、恐る恐る店員に近づき、つまずきつつも塩シーフード・ナシゴレンを注文した。出てきたナシゴレンを食べると、これが驚くほどに絶品。本格的にこったスパイスや調味料はあまり使われておらず、中国のチャーハンに近いくらいで日本人の口に合う。具は小さめのエビが何尾か殻ごと、それに細かく切った白身魚と、生の巨大キュウリが数切れ。いたってシンプルな具だが、エビも魚もおいしく、塩味も絶品だ。まさに家庭の味といった感じ。値段にして5.5リンギット(約150円)だが、結局マレーシアで食べた食事の中で一番のうまさだった。初日に70リンギット払ってまずかったルームサービスは一体…。

 写真を撮りたかったのだが、周りで食べている人たちが明らかに現地の人といった感じで、なかなかいかつい人も多く、それに店員もだるくしているので、委縮してしまって撮れずじまいに。さらに、半分ほど食べたころから野良猫が近づいてきた。マラッカにもいたが、マレーシアには野良猫がとても多い。一度目があってしまったが最後、どんどん近づいてきて自分のいるテーブルの真下に来た。引っかかれたりして病原菌が入ると出国できなくなる恐れもあり、びびって席を立つと、その席に飛び乗ってきたので追い払った。猫は床でのんびり寝ていて、周りの客は目にとめる様子もない。猫ごときにびびって立っているのは自分だけで、カモな雰囲気を出しまくっている。なんだか怖くなってきたので急いで食べ終えて車に戻った。

 KLに入り、初めに寄ったのは王宮イスタナ・ネガラ。もとは鈴鉱山開発で成功した中国計商人の家だったが、のちに国が買い取ったものである。門にはイギリスのような衛兵もいる。普段国王は別の公邸にいて、王宮へは行事のある時などにしか来ないそうだが、黄色い旗が立っている時には王宮にいるらしく、この日はビンゴでその旗が立っていた(門の外からしか撮影できなかったのでわかりにくいが)。


左は門の正面。右は左の写真に入りきらなかった門の端。黄色い旗が何とか見えるか…。


柵越しに撮った王宮。

 きりが悪いですが、いつものごとく長くなりすぎたのでいったん終了。次回が最後になります。たぶん。