BioDoxology

生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

映画3 「ダークナイト」

2011-06-30 09:05:27 | 映画
 NHKの放送で鑑賞。いろいろと忙しくて見るはずではなかったのだが…。まだまだ精神が弱いと感じる。

(以下、ネタバレを含みます)

 犯罪が多発する都市ゴッサムで、表向きは世界有数の大富豪ブルース・ウェインとして経済を牛耳る一方、夜には警察官のゴードン(ゲイリー・オールドマン)や検察官のハービー(アーロン・エッカート)と組んで犯罪者を退治するバットマン(クリスチャン・ベール)の前に、連続殺人犯ジョーカー(ヒース・レジャー)が表れ、壮絶な死闘を繰り広げていく。

 バットマンはこれまで何度も映画化されているが、前作「バットマン ビギンズ」以降のクリストファー・ノーラン監督シリーズは、とにかくシリアスで重い。今作はタイトルの通り本当にダークである。

 この映画で最も光っているのは、やはりレジャー演じるジョーカーだろう。こいつの恐ろしさは殺しにまともな理由がないこと、単なる愉快犯に過ぎないことだ。金や対人関係といった明確な原因のある殺し屋なら、二時間ドラマのように説得のしようもあるが、ただ楽しいからという人間には手が付けられない。小さい子供がアリを踏み潰して遊んでいるようなもので(自分もやっていました、ごめんなさい)、法律も倫理も通用しない究極の悪となってしまう。

 しかし、愉快犯、ましてジョーカーのような賢い愉快犯を恐ろしく描くのはとても難しい。まさにアリを踏む子供のように、幼く映ってしまう可能性がある。実際、一線を越えた知能犯は、「デスノート」の夜神月や、「交渉人真下正義」の弾丸ランナーのように、頭は切れて残酷だがオタクで子供っぽい、という性格がついて回りがちである。ところがジョーカーは違う。とてつもなく悪賢い奴で、バットマンの幼馴染であるレイチェル(マギー・ギレンホール)とハービーを別々のところへ拉致したうえ、二人の場所を逆にして教え、バットマンならレイチェルを助けに行くだろうと考えて見事にハービーだけ助け出させるといった天才だが、子供っぽさは全くない。英語がきれいなことからもわかるように、彼は振る舞いだけ見ればいたってジェントルマン。時折見せるユーモアも、完全にいかれたものではなく、大人のジョークに近い。恐ろしさと紳士らしさをここまで絶妙に両立させたレジャーの演技はやはり圧巻だ。あのメイクでは素顔が全く分からないが、彼は当時28歳。撮影終了後に死去し、その後アカデミー助演男優賞を受賞した。惜しい人材だったと思う。

 もちろんバットマン役のクリスチャン・ベールもいい演技をしている。彼は自分がいま最も好きな中堅俳優の一人で、バットマンシリーズでは持ち前のイケメンさがまさにヒーローらしい感じを出しているので、そこまですごい演技というわけではない。だが彼は当代一の役者馬鹿である。「マシニスト」では驚異の30キロの減量で文字通り骨と皮のような恐ろしい肉体を披露し、今年の「ザ・ファイター」では抜歯に加え髪の薄さを表現するために前髪を抜いてしまった。結果アカデミー助演男優賞を受賞。恐ろしい男である。徹底した役作りで知られるロバート・デ・ニーロの後継者とも言われている。

 そしてアクションシーンの迫力がすさまじい。バットマンの操る乗り物はスタイリッシュでかっこいいし、狭い道でのカーチェイスも本当にすごい。その後の、巨大トラックの半回転宙返りや病院丸ごと爆破は実写である。これを映画館で見ていたらどれほどびびっていただろうか…。

 なんだかべたほめ状態だが、これは中盤まで。後半では雑な部分も多かった気がする。一番気になったのは、レイチェルを爆殺され自身も顔の半分を失ったハービーが、ジョーカーに洗脳されて復讐に燃える殺人犯・トゥーフェイスとなってから。脚本側としてはジョーカーの悪の伝染力や、市民が全幅の信頼を置くハービーまでもが悪人に堕落する絶望を言いたいのだろう。しかし、トゥーフェイスはあくまで自身とレイチェルの不幸を招いた人間に手を下しているだけで、究極の愉快犯ジョーカーに比べれば、悪のレベルはずっと低い。それまでジョーカーの巨悪を散々見せつけられた後にいっぱしの復讐男を見せられても何も驚かず、むしろ冷めてしまったのは自分だけか。ジョーカーはトゥーフェイスを「俺の切り札だ」と言っていたが、あんたのほうが明らかに上だろ、ジョーカーだし(笑)。

 それに、ゴッサムの市民はジョーカーの罠にはめられかけたとき、最後には正義の道を選んでジョーカーを出し抜いた。この時点で、ハービーが堕落しても市民は自分たちの正義をよりどころにできるし、完全に絶望することはない。ゴードンが「ジョーカーの勝ちだ。ハービーがこうなっては希望はない」と言っているが、そんなことはないはずである。このあたりは、全体の尺との兼ね合いのせいか、どうも急ぎすぎな感じがして、それまでのドロドロした展開に比べて明らかに都合よく運んでいた。もう少しじっくりハービーからトゥーフェイスへの移行などを描いていればもっと説得力が増しただろうに、もったいない。

 ついでに言うと、トゥーフェイスにかかわる話などは、1999年の日本映画「ガメラ3 邪神〈イリス〉覚醒」と驚くほどにそっくりである。復讐心にとらわれた人間が検事か中学生か、また自ら殺人を行うか怪獣と手を組むか、といったくらいの違いしかない。さらに、バットマンとガメラの立ち位置もよく似ている。本来人々を守るための存在だったのが、いつの間にかその存在自体が悪を生み出し集めてしまうという矛盾。そして、人々から見放されながらも、自身を犠牲にして戦い続けなければならないところなど、本当にそっくりだ。別にパクったわけではなく、時代が暗くなっていくと作られる映画も似てくるのだろう。「ダークナイト」のバットマンは、世界の警察を名乗りながら、いつの間にか世界各地の戦争の原因となってきたアメリカの反映だとの指摘も多い。いわれてみれば、なるほど、といった感じだ。

 いろいろな見方ができる映画であろうし、何よりこれほどシリアスでありながら、年齢制限を回避し、第一級の骨太エンターテインメントとして大ヒットしたところにこの映画のすごさがあると思う。ジョーカーのキャラクターといい全体の作風といい、ぎりぎりのところで最高のバランスをとった製作陣の努力には脱帽するしかない。映画館で見られなかったことが実に悔やまれる作品だった。

 個人的評価:☆☆☆☆

映画2「野獣死すべし」

2011-06-28 01:52:51 | 映画
 これまでそこそこの数の映画を見てきたが、その中で最も印象の強い演技をしたのは、「野獣死すべし」(1980)の松田優作である。これは去年のセンター入試翌日にテレビで放送されていて、山場を乗り切って緩んでいた脳みそをぶんなぐられるような衝撃だった。

(以下、ネタバレを含みます)

 ある殺人事件の現場で目撃された、「死体が歩いているよう」な男・伊達邦彦(松田優作)と、彼が目をつけた血の気の多い男・真田(鹿賀丈史)、そして伊達を追う刑事・柏木(室田日出男)を中心に展開するウルトラハード・暴力サスペンス映画である。このころの日本映画は映倫による規制もないに等しく、今では出せないような残酷シーンやエロシーンがてんこ盛りで、それだけでもかなり応えるのだが、とにかく松田優作の演技が全編にわたって映画全体を支配しており、鬼気というより狂気に満ちていてとにかく恐ろしい。まずその痩せこけた生気のない顔。「太陽にほえろ」などで知られるタフガイのイメージとはかけ離れていて、一見優作に見えない(この見た目を作るため、優作は9キロ減量し、奥歯を4本抜いたという)。体の動きも本当にゾンビのようで、立っているだけでも怖い。教会のような形の部屋で、真田の前に立ちふさがって話す姿はもうカルト状態。そして、はじめ見たときには気づかず、テレビのMCのアナウンサーの指摘で分かったのだが、彼はほとんど瞬きをしていない。カメラの正面を向き、もともとは小さい目を見開いて倒れるシーンは本当にぞくぞくする。

 ほかの俳優もみな個性的な演技を見せる。今とは似てもつかない野獣のごとき鹿賀は存在感抜群、ベテランの室田もいい味を出している。伊達に近づく社長令嬢・華田役の小林麻美もよい。ほかにも面白い面々がいっぱいだ。まさかの泉谷しげるなど(笑)。

 ストーリー自体は割と雑に作られていて、何のためにあるのかわからないシーンも多い。エンディングなどは何となく哲学的にかっこつけようとしただけで、実際は適当だろう。ただ、伊達と華田の関係は途中まで至って無駄に思えるのだが、後半でまさかの展開が待っている。これには驚いた。華田の前では死体から人間に戻る伊達の描写が気に食わず、いらいらしていたのだが、その描写が逆に後半で発揮される伊達の残虐さを一層引き立てており、一本取られた、という感じ。

 そして出色のシーンは、何と言っても伊達と柏木の夜行列車での対決だろう。日本映画の歴史に残るサスペンスシーンである。後方の柏木をそれとなく気にするメガネ姿の伊達の表情が見事で、優作がいかに多彩な顔を作れるかがわかる。クライマックスで、伊達が語る「リップ・ヴァン・ウィンクル」の物語に合わせて動き出すロシアンルーレットは本当に怖かった。室田の脂汗を吹き出す演技も絶妙だ。その後伊達が一気に野獣化して突き進むラストも、世間では評判がよくないようだが、自分は完全に打ちのめされてもはや言葉も出ず、「演技ってすげえ」と感心するばかりだった。

 この映画は世間でいう「名作」「傑作」といった部類の作品ではなく、粗削りでどちらかというとB級扱いかもしれない。しかし、優作のすさまじい演技から生まれる生々しい緊張感は、演出や編集にこだわって洗練された(ともすると洗練されすぎた)A級作品にはない魅力である。心臓の強さに自信のある方はぜひ一度試してみてほしい。なるべくご家族の方がいない時を狙って(笑)。

 個人的評価:☆☆☆☆☆

 最後に宣伝。28日(もう今日だ)の夜10時からNHKのBSプレミアムで「ダークナイト」が放送される。近年のハリウッド作品の中でも非常に高い評価を受けている映画で、悪役のジョーカーを演じたヒース・レジャーが死後アカデミー助演男優賞を受賞した。見終わって一言言いたくなる映画なので、設備の整っている方は是非。

海外ドラマ「glee」

2011-06-23 01:14:10 | 雑記
 今、英語の勉強の一環としてNHK BSプレミアムで毎週金曜午後10:00放送の海外ドラマ「glee」を見ている。デジタル放送昨日で、音声を英語にして日本語字幕をつけることができるので、録画して字幕を頼りに、巻き戻しも繰り返しつつ英語のセリフを聞き取っている。アメリカの高校のグリークラブ(歌とダンスのパフォーマンスチーム)を舞台にした青春ものなので、会話は中高や入試、TOEICなどの公式テストで耳にするようなものとは全く違い、超インフォーマル、マシンガンのような早口で、正直半分も聞き取れないが、学校で学ぶことのないいろいろな表現が見つかって面白い。学生が話す言葉には下品な単語が多く理解不能なことが多いが、教師は比較的聞き取りやすい、その中でもベテランの嫌味なオバサン教師は古い言葉が多い、などの違いもある。

 いくつか例をあげると(右側はテレビの日本語字幕)、
・have~by the balls ~を尻に敷く
・Totally. まじで。
・Sucks. もう最悪。/ダサいね。
・Cut the crap. とぼけるな。
・stud 字幕では訳されていなかったが、もとは「種馬」。転じて、「性的関係を持つ相手が多数おり、自身の精力に自信のある男」。(ロングマン現代英英辞典からの拙訳)

 見るからに汚いですね(笑)。また、アメリカでしか通じないような言い回しもある。例えば、嘔吐する様子を表すのに“Linda Blare”という名前が出てきた。この人は、1973年のオカルト映画「エクソシスト」で悪魔に取りつかれ、緑色の液体を吐き出していた少女リーガンを演じた子役である。いかにエクソシストがアメリカ人の生活になじんでいる(?)かがわかるだろう。字幕では「エクソシストみたいな」となっていた。まあ、分かる人には分かるか。日本でいえば「寅さん」というだけで「男はつらいよ」シリーズのことだと分かるのと同じようなものだ。

 またドラマを見ていて驚いたのは、人種や障害者といったマイノリティが非常にオープンに、というか露骨に描かれていたこと。アフリカ系のメンバーが「R&Bを歌いたい」というと、白人が「ブラックの歌なんて嫌だ」と言い返す、ユダヤ系の男子メンバーに親が「あなたもユダヤ系の子と付き合いなさい」という、などなど。知的障害のある生徒の役として、おそらく本物の知的障害者(おそらくダウン症)が出演することもある(日本ではつい最近ダウン症の俳優の出演が話題になった気がする)。さらに、聴覚障害者の教師(おそらく演じているのは健常者)が相手の話を聞き取れず、勝手に話を進めてしまうというシーンは明らかにギャグにされている。そのあと、これもおそらく本物の聴覚障害者によるパフォーマンスがいかにも、感動的なシーンとなって出てきたので、製作者が「障害者を馬鹿にしているわけではないですよ」と言っているようだが、日本でこんなことは不可能だろう。アメリカというと多様な人たちが共存する、というイメージを持たれがちだが、これを見ると、あくまで存在する権利を平等に認めているだけで、「あとはどうぞ頑張ってください、マイノリティだからといって特別なケアをあえてすることはありません」といった空気が感じられる。社会保障政策にも共通するような精神が表れているようで興味深い。いい悪いは別として。

 肝心の内容だが、正直自分には合わない。登場人物が、チャラすぎる(笑)。浮気はもはや公認の文化のようなもので(石田純一か…)、生徒同士はもちろん、身重の妻がいる男性教師がスクールカウンセラーと不倫一歩手前など、貞節のかけらもないような連中が多く、なんでこんなにだらしないんだ、と腹が立ってくる。特に男子生徒のフィンというやつ。妊娠した彼女クイン(実は子どもは別の男子との間のものだが、フィン自身は自分の子だと思っている…苦笑)のために仕事を見つける、と言っておきながら、同級生のレイチェルにほれ込み、「ナイスバディだ、胸は小さいけど」などとほざいている。今のところ改心してレイチェルからは手を引いているが、こいつ無責任すぎだろ?そもそも、彼は学内で“Mr. Popular”(字幕では「学校一のイケメン」)と称されているが、見る限りマッチョではあってもさしてイケメンではない(笑)。自分の通っている大学に、欧米人でも日本人でも、よほど彼よりイケメンな人がいると思うんだが。

iPSウォーズ(後編)

2011-06-21 00:54:17 | 生物
 更新が滞りがちで申し訳ありません。前回の続きを。

 iPSウォーズの発端はカリフォルニア大サンディエゴ校のYang Xu教授ら研究チームがnatureに発表した、iPS細胞で拒絶反応が起きるとの論文だった。Xu教授らは、マウスの皮膚の繊維芽細胞から作成したES細胞とiPS細胞を、生体マウスの体内に移植した。すると、ES細胞では移植した細胞がいろいろなタイプの細胞に分化して腫瘍を形成したが、iPS細胞からはそのような腫瘍が形成されなかった、というのだ。さらに、iPS細胞を移植したところから、Zg1b、Hormad1という遺伝子が高いレベルで発現していることが分かった。この2つは、免疫の際によく発現するものとして知られている。これらの事実から、iPS細胞の移植に伴い、拒絶反応が起きたとの結論に至った。

 ただしnatureも指摘するように、この論文がiPS細胞の可能性を一気に低めたものであるとは言えない。まず、今回移植したES細胞、iPS細胞はともに分化前の状態のものであり、すでに一つの組織に分化したものを移植したらどうなるかはわからない。一方従来のiPS細胞の実験では、分化した組織を、免疫に関する遺伝子のかけたヌードマウスという特殊なマウスに移植していた。結局今のところ、免疫がiPS細胞に対してどう作用するのかはっきりとは分からないのである。また、今回の論文では、マウスの胎児の皮膚から繊維芽細胞をとっていた。動物の胎児はもともと免疫機能が高い。従来ヒトの細胞を使う実験では大人の皮膚が使われていたので、やはり単純比較はしづらいのである。

 2006年に世界で初めてiPS細胞を作製した(とされる)山中伸弥教授も、この論文に対し「分析手法に問題がある」と反論していた。そして、6月には自ら、iPS細胞を効率よく作製できたとする新たな論文を発表したのだ。

 山中教授らは人の繊維芽細胞を用い、従来iPS細胞の作製に使われてきた4つの遺伝子Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Mycのうち、がん化の危険が指摘されていたc-Mycの代わりに、卵母細胞(卵子になる少し前の細胞)や受精卵で発現するGlis1という別の遺伝子を使ったところ、iPS細胞が作成できたという。さらに、c-Mycを使っていた際には、正常なiPS細胞[ES細胞に似た形態]の作られる確率が低かったのに対し、Glis1を使うとその確率も上がった、としている。このGlis1なる遺伝子は、Esrrb、Wnt、Foxa2といった細胞内のほかの遺伝子を刺激して、それらの発現を活発にすし、c-Mycの働きを抑制する(実はc-Mycはもともと人間のDNAに入っている遺伝子で、ふつうはがんに結びつかないようコントロールされている)ことでiPS細胞の効率的な作製をもたらしている、とのことだ。

 さらにもう一つ新たに出てきた技術が、以前紹介したディレクト・リプログラミング。皮膚の繊維芽細胞に特定の遺伝子を入れ、4~5週間培養すると、iPS細胞を経ずに直接神経細胞に分化させることに成功した、という論文がスタンフォード大学から5月に出された。さらに6月には慶應義塾大学の岡野栄之教授らが、同様の作成過程を半月~1か月で行うことができたと発表。iPS細胞を経た分化には4~6か月かかるというので、相当な時間短縮になる。こうなると、そもそもiPS細胞が要らなくなってくる恐れもある。さあどうする、山中教授。

 1か月でこれほど続々と新たな技術が発表され、研究者たちがしのぎを削る分野はめったにない。いかに幹細胞を使った再生医療が世界中で注目されているかがよくわかる。別の言い方をすれば、いかに国からの期待と補助を受け、半ば国策となって莫大なビジネスチャンスを争っているかも。自分はこちらの分野に進むつもりではないが、論文や記事を読んでいて、言い知れぬ興奮と、自分が将来研究者としてやっていけるのか、という不安を感じた。やっぱり、生物は楽しい。

iPSウォーズ(前編)

2011-06-18 01:33:12 | 生物
 この1カ月、natureをはじめとする生物学界ではiPS細胞をめぐり、まさに戦争とも呼ぶべき開発競争が起きている。神経科学に興味があるはずなのに最近この話題しか読んでいない…。関心の方向が変わってしまいそうだ。

 まず、iPS細胞と、よく比較されるES細胞との違いについて述べる。ES細胞はEmbryonic Stem Cell(胚性幹細胞)の略で、卵子が受精して分裂し始めたころの初期の胚をバラバラにし、培養することで得られる。このES細胞は、まだ特定のタイプの細胞に分化する前の段階にある。以前、DNAからタンパク質ができる過程を、マニュアルから作品を作ることにたとえ、細胞が成長するにつれてマニュアルのいくつかのページがノリで封をされて開けなくなるように、DNAから作られるタンパク質の種類が限られてきて、細胞が特定のタイプになる=分化する、と述べたが、ES細胞は、ノリ付けがされる前の段階にあり、どんなタイプの細胞にも分化することができる。一方iPS細胞は、induced Pluripotency Stem Cell(人工多機能性幹細胞)の略で、すでにある程度分化が進んだ体細胞(主に皮膚の繊維芽細胞)に4つの遺伝子(遺伝子とは、あるタンパク質の作り方が書かれた一定の長さのDNA、マニュアルで言えば1作品の章に相当する)を入れることで、人工的に分化前の段階に戻したもの。ページのノリを無理やりはがしてしまった状態である。

 どちらも、臓器移植や再生医療などへの使用が期待されているのだが、ともに一長一短がある。まずES細胞は、生命倫理の問題が大きい。しかし、もう一つ見落とされがちな問題がある。ES細胞は受精卵から作られるが、受精卵のDNA構成は患者のものと違う。たとえ患者が女性で、自信の卵子を使ったとしても、卵子のDNAは受精卵のDNAの半分で、残り半分は精子由来だ。DNAの異なる細胞が体に入ると起きかねないのが、拒絶反応である。同じ生物種でも、DNAの異なる細胞では異なるタンパク質が作られる。そのため、細胞の表面に付いているタンパク質の突起の形などに微妙な違いが出てくる。動物には外敵から身を守る免疫が備わっており、本来自分の体の中にあるべきでない物質を攻撃・排除する仕組みになっている。このとき、DNA構成が異なって自身と違うタンパク質を出している細胞が来たら、異物として攻撃されてしまう。つまり、ES細胞からできた臓器を移植しても、正常に働かない可能性がある。これに対しiPS細胞は、患者自身の体細胞から作られる。そのためDNAは患者と全く同じ。拒絶反応は起きないことになる。そして生命倫理の問題もない。

 逆にiPS細胞の欠点は、作成時に入れる遺伝子にある。4つのうちの1つ、c-mycと呼ばれる遺伝子は、細胞の分裂と増殖を促進するタンパク質を作りだす。一件よさそうなものだが、細胞が必要以上に分裂してしまうと大変なことになる。細胞分裂の頻度は、器官の機能を邪魔することがないように厳重に制御されているのだが、この分裂を促進するタンパク質がありすぎると制御がきかず、勝手に増え続けて巨大な塊となり、しまいには器官の機能を衰えさせていく。これがガンである。c-mycを入れてあるiPSは、このようにしてがん細胞になる可能性がある。一方、なんの遺伝子も入れないES細胞にその危険はない。

 すでにかなり長くなってしまったので、本題の開発競争については次回記します。誰もお楽しみにしていないでしょうが…。