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生物と映画と政治とマレー・インドネシア語にうるさい大学生の戯言

マレーシア旅行(6)

2011-08-16 01:48:20 | 雑記
 8月4日、KLをA先生とHさんとともに観光中。王宮の次に国立博物館を訪れた。マレー半島の形成から現在に至るまでのマレーシアの歴史が展示されているが、その歳月の長さのわりに展示スペースは広くなく、マラッカの歴史博物館よりも狭い。先生によると、マレーシアの貴重な文化財はほとんどが植民地時代にイギリスやオランダに持ち去られてしまい、国内の展示品は質が低いそうだ。「マレーシアのいいものは大英博物館に見に行ってくださいね」とのこと。日本も太平洋戦争時にマレー半島を占領したが、文化財には興味がなくあまり奪わなかったらしい。

 その次にはイスラム美術館へ。こちらは先ほどの国立博物館よりも豪華である。オスマン帝国・インド・中国・中央アジアなど世界各地のモスクの特徴が、よくよく見ると安っぽい(笑)模型とともに詳細に解説されていたり、イスラムの服飾品や大きな祭祀用のコーランが展示されていたりと見どころがたくさんある。売店にもゴージャスな本が売られていたが、手持ちの金が30リンギットほどしか残っておらず断念した。

 美術館を出ると大雨が降っていた。うわさのスコールか。車に乗り、いよいよ残すはホテルに戻るだけとなったが、ここでKL名物の渋滞に巻き込まれる。ホテルにも間に合いそうになくなってしまい、ホテルの近くにあるマレーシアのシンボル、ペトロナス・ツインタワーの地下駐車場に車を止め、3人でホテルへ歩くことにした。ちなみに、ツインタワーの中には伊勢丹がある。


中に入ることなく通り過ぎてしまったツインタワー。


KLの道路にあった、ひったくり注意の標識。しかしどうしろと…。

 ホテルに着いたのは約束の午後7時ちょうど。危なかった。中国系のガイドのKさんが待っていた。前日にホテルに預けた荷物も、無事受け取ることができた。A先生とHさんにお礼を言い、空港へ向かうバスへ。時間が押していて最後にしっかり話せなかったのが残念だった。バスではKさんが日本語で話しかけてきてくれたが、この日ずっとマレー語を使うよう心掛けていたせいで、しばらく日本語で返事がしづらかった。たった3日の旅でもこうなるのか。途中、別のホテルから女性2人(おそらく母娘)が乗ってきた。この2人はなかなか気さくな人たちで、Kさんもよくしゃべる人だったため、バスで結構話すことができた。2人はマレーシアに来るのは3度目だという。夕方から降り始めた雨はやむ気配もなくどしゃ降りで、Kさんいわくこれはスコールではなくてただの大雨だそうだ。KLの雨季は10月~2月で、その期間には降ってすぐやむスコールがみられるらしい。空港に到着し、出国審査を通過。入国時に指紋認証を受けていなかったのが不安だったが、バスの女性2人も受けなかったらしい。さすがマレーシア。空港でもこういう乗りか。

 2人と別れ、飛行機が夜遅いので免税エリアのカフェでマングリッシュに苦しみつつ、サンドイッチを食べた。腹を壊したくなかったのであえてホットミルクを頼んだのだが、これが本当にホットで舌を大やけどした。誰がこんな高温で飲みたがるんだ?空港は物価が高く、22リンギット払ったので残金は結局9リンギットほど。200リンギットでも危なかった。搭乗時間になったのでJALのゲートへ行くと、日本人がたくさんいて安心する。そのうち、バスの女性2理もやってきた。なんと座席も通路を挟んで隣だった。飛行機の中ではもう日本語ばかりで、日の丸に似た白と赤のJALのロゴを見て「日本だ!」と懐かしく感じてしまう。3日間だけとはいえ、道路や建物などいたるところでマレーシア国旗を見た後だと、日の丸を改めてみた時に自然と親しみを覚える自分に気付いた。そしてJALのCAの丁寧さが異常(笑)。マレーシアの店員と比べたときの腰の低さといったら!そんなに何度も頭下げなくていいです。あの人たちはどうしてずっとにこにこしていられるんだろうか?制服の色が違う人(おそらくチーフパーサー)の笑顔はどこか怖い。

 離陸も2度目となるとさほど恐怖感はない。ついにマレーシアを去ってしまった。機内でNHKニュース「おはよう日本」を観る。見慣れていた森本・鈴木アナウンサーだが、久々に見て感じた。かわいい(笑)。男性アナウンサーにかわいいというのも変な話だが、全く見知らぬ異国の人びとと散々ふれあってきた後によく顔を知る人を見ると、勝手ながら親しみが急増してしまう。アナウンサーの服装も大きな要素。マレーシアでもニュース番組を見ており、男女1人ずつアナウンサーがいたのだが、どちらも真っ黒のスーツだった。一方「おはよう日本」を含め日本のニュースではアナウンサーの服装はもっとカジュアル。思えばたまにBSで目にするbbcなど海外のニュースでも、アナウンサーの服は地味な気がする。日本が例外なのかもしれない。「おはよう日本」のアナウンサーが話す日本語にはとても癒されたが、少し早口な現場リポーターの声がマレー語に聞こえてしまった。

 時刻が午前0時を回っており、疲労もたまっていたので寝ることに。外は真っ暗だが時々白い光が入ってくる。雷か?ラピュタの竜の巣に入っているようなものか。もはや心配する気力すらなく、断続的に朝4時半ごろまで寝た。目覚めて飲み物を頼むと、小さいおにぎり2個とフルーツ、キットカットが入った朝食もくれた。扱いは「軽食」で「朝食」ではないらしいが。日本からマレーシアに行った時も、昼の機内食の後にアイスやらパンやら、やたら食事をもらえた。飲み物はタダだ。飛行機ってこんなにサービスいいのか?JALも経営が大変なはずだが。至れり尽くせりすぎてこっちの腰が引けてくる。

 食後に『不夜城』の続きを読み、6時ごろにまた寝る。目覚めると体が浮くような感じがし、もうすぐ着陸かなどと思っていると、3秒後に着陸してしまった。着陸3秒前まで寝ていたのか…。成田で入国審査を通過し、ロビーに着くと日本人がいっぱい。かわいい!(笑)親しみを感じる以上に、とにかく人々の平和っぷりというか、無頓着さがすごい。旅行の前後で見方が全く変わった。これは、日本人が海外でカモにされても仕方ないかもしれない。もちろん自分も含めて。空港からは横浜への直行バスに乗り、ひたすら眠って横浜に到着。そして、ついに無事自宅に帰った。生きている。感動だ。

 今回の旅行で、自分はそれまでの何倍も強くなった。自分しか頼りにできない状況に追い込まれると、人間頑張れるものだ。大学に入った時から、周りと比べて自分の自立度の低さにコンプレックスを感じていただけに、海外旅行を何とか乗り切ったことは大きな自信になった。感謝すべき人もたくさんいる。一人でマレーシアに行くことを許してくれた家族や、断食中でも文句の一つも言わずにいろいろなところを案内して下さったA先生とHさん、マラッカ観光に付き合ってくれた同級生はもちろんだが、心配性からくるちまちました質問に答えてくれた旅行代理店のおじさん、恐ろしく親切で映画のチョイスもよかった(笑)JALの人たち、まともに聞き取りもできない日本人と何とか会話してくれたバスの運転手さん、右も左もわからない宿泊者に熱心に対応してくれたホテルの人たち、そして犯罪に巻き込んでくださいと言わんばかりの動きをしていたお馬鹿な日本人を襲わずにいてくれたマレーシア国内の人々すべてにお礼を言いたい気分である。マレーシアには、またぜひ行ってみたい。腐るほど長くなった旅行記ですが、これにて終了。読んでくださった方々、ありがとうございました。なんだか閉鎖しそうなまとめになっていますが、このブログが終わるわけではないので、気が向いたらまたのぞきにいらしてください。

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