ふと思って長年の愛機 PENTAX SuperA with 70-210mm zoom を取り出してきたら電池が切れていた。
シャッターが切れない。電池室を開けるとボタン電池が液漏れ寸前だった。
「すまない・・・・」ここまで長い間このカメラの事を忘れていたのは、多分、これが初めてだ。
アルカリボタン電池の2倍長持ちするという酸化銀電池(お値段は4倍)を買ってきて詰め替えた。
電池室の横に小さく切ったテープを貼って日付を入れる「2007.6.8」
レバーを巻き上げてシャッターを切る。
「ヂシャ」聞き慣れた音がした。
ボタンが反応したりしなかったりするので「遂にか?!」と青くなったが、触るうちにきちんと動くようになった。内部の接点が酸化していたらしい。
これを買った(買ってもらった)のは中学2年の時だったから、人生の半分、というより大半を一緒に過ごしてきたようなもんである。
一緒に買ったのが 210mmのズームレンズだったから、望遠レンズでの撮り方がデフォルトになった。後に1.4xのリアコンバータをつけたので約300mmの超望遠レンズに変貌する。
50mmの標準レンズを手に入れたのは高校2年の夏、アメリカへ行く直前だった。
ずいぶんと普通とは違うレンズの揃え方をしたもんだと思う。
ズームでぐーっと被写体を寄せてピントを合わせシャッターを切る。
この緊張感、これが写真の楽しさ面白さだと思った。
ボケた視野の中で、被写体の瞳に焦点が合う瞬間。この一瞬こそが写真の最も素晴らしい瞬間だと思った。
そのうちに視野の中央に浮かぶマイクロプリズムさえ目障りに感じるようになり、ピントグラスを全面マットのモノに交換した。
オートフォーカスの Nikon F4、PENTAXの Z-1も後に戦列に加わるが、この SuperAも時には望遠専用、あるいはサブカメラ、バックアップカメラとして常に撮影機材の中にあった。
オートフォーカスの爽快感も素晴らしい(特に人間の直感に素直な Z-1の操作性と合わさると)が、やはり自分の手でじりじりと焦点を引き寄せるあの感触は何にも換え難い。
思えば、大昔の最良の思い出の瞬間。常に SuperAが傍らにあった。
大嫌いだった学校も、その裏山と谷は静かで美しかった。
部活ですら他の部員と一緒にいるのを嫌って、単独で山に出て行くので物議を醸したものだった。
子供時代最良の時間、アメリカのあの夏の日。沢山の笑顔を撮った。
ゼミの先輩を「写真のモデルして」って口説いて、雪が降った翌日、良く晴れた山の湖まで出かけたこともある。
実家で昔の名簿を見つけたけど、もう電話番号は使われていなかったなぁ。
キーワード「銀山湖 紺のジムニー Glockのスコップで倒木の片付け 小さな雪だるま」
もし心当たりがあったらメールください(笑)
kennyseed(a)mail.goo.ne.jp <(a)は @=半角アットマーク>
「例え、一眼レフデジカメで撮ったとしても、
デジタル写真は所詮「写真」ではない。
あくまで「画像」であり「データ」である。写真とは別のモノなのだ」
今時、レトロカメラ収集家でも言わないだろうが、これが自分の持論である。
どうしても、デジタル写真は、写真として認識できない。
世間の手前、自分も普段「写真」と呼ぶが、違うモノだと強く感じる。
自分の手で長巻きフィルムをパトローネに詰めるときのあのフィルムの匂い。
自分が撮った白黒写真を、自分で現像して自分で引き伸ばした。
暗室の中で過ごしたあの長い長い時間。
そんな過去の時間が、そう感じさせるのだと思う。
「写真」の世界は、ほぼデジタルに制圧されてしまった。
でも、街の写真屋さんではまだ、フィルムを売っている。フィルムが写真屋さんから無くなる日は当分来ないだろうし、決して来てはならないと思う。
メモリーカードの中のデータや、ぺらぺらの「コピー用紙」に印刷されたデータ。
それらは断じて「写真」ではない。
せめてデジカメで撮ったものであっても「印画紙」に定着されたものが「写真」として存在し続けて欲しい。
デジタルデータは不変不滅である。
だが、それが人の思い出の最良のカタチとは限らない。
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