明治中頃に人頭税廃止運動が起こり,それについては
「宮古島市史」やwebでも記事が多い。
しかし,「幕府―薩摩藩―琉球王府―離島」,
「明治政府―琉球藩/沖縄県―離島」の政治・土地・
税制度・近代資本主義・貨幣経済などいろいろあり,
その全体像は生半可では理解できそうもない。
・1893年(明治26)…政府・議会に対して廃止の請願。
代表団は城間正安(那覇出身),中村十作(新潟県出身),
平良真牛(島民),西里蒲(島民)ら。
・1894年(明治27)…帰島。
・1895年(明治28)…国会で請願書採択。
※ Web『沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫』で,
その請願内容「沖縄県宮古島々費軽減島政改革ノ請願」
を読むことができる。
実体のことはさておくとして,今回はは廃止運動に関わった
人物の記念碑の紹介。
保良集落にあるのは代表団の一人で,保良村総代であった
平良真牛(たいらまうし)の生誕地の碑。
新城集落にあるのは留守居役の一人で,新城村総代であった
上原戸那(うえはらとな)の生誕地の碑。
島内には人頭税廃止運動に関わってきた人たちや地域の
記念碑や顕彰碑が数多く建立されている。
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今回の訪問地
冊子35ページから クリックで拡大
[保良村総代 平良真牛生誕地之碑]
後方から 碑前にはミフクラギの木
[新城村総代 上原戸那生誕地之碑]
碑後にはフクギの大樹
後方から
参:2016年9月時の碑文から クリックで拡大
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