昨日の続きで今日は漲水御嶽向かいの ⑨蔵元跡。
「蔵元」とは琉球王朝(首里王府)の各島での行政庁。
「在番」と称す王府側からの派遣監視役の下,島人の
トップ以下が仕事をしていた役所。
さらに,支所の形で村番所が設けられていた。
何といってもいずれも収税が第一だっただろう。
※薩摩藩からの琉球統治の監視役も在番奉行と称した。
※城辺地区村番所跡について,本ブログで6回(9か所)の
訪問記あり。
さて,蔵元跡と言っても形や名残りは一切なく,今は民家。
以前は木製標柱もあったのだが,今は無い。
ひょっとして写真を撮っていたかもと思って探したけれど
見つからず。
かつて石畳前には,ここら一帯の案内板(宮原昌茂氏の
回想図)が立っていたが,これも今は無い。
これが昨日のボヤキにつながるのだが。
しかし,漲水御嶽からの海側に公園があり,その入口に
再現した蔵元楼門があり,その階段の壁に回想図と同じ
パネルが埋め込まれているのでこれで様子がわかる。
これを見ると,大きな蔵元屋敷,祥雲寺前まで続く石畳道,
漲水御嶽は波際にあったなどいろんなことがわかる。
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[蔵元跡]
矢印に「蔵元跡」の標柱があった
蔵元楼門(再現) 左階段壁にパネル
パネル 漲水御嶽の近くには船が
コースマップと合わせてみた クリックで拡大
⑤観音堂 ⑦石畳道 ⑧漲水御嶽 ⑨蔵元跡
<公園周辺>
公園側から楼門 中央赤い屋根は宮古神社
トックリヤシ 平良港埠頭から 奥にクルーズ船