雨乞いが要る。
買い物もあったので継続の平良北コース巡り。
前回順路を⑧漲水御嶽と石垣 と飛び越してしまったので
今日は戻して⑦漲水石畳道と⑨蔵元へ訪問。
⑦,⑧,⑨は隣り合わせ。
ところが,⑨蔵元は結構文字数になるようなので明日
紹介することに。
参:⑥祥雲寺の石垣
石畳道は18世紀初めに整備されたとある。
その後の艱難辛苦を経て現在残されているのは30m前後
だろうか。1/3残とあるから初めは祥雲寺(17世紀初開山)
まで続いていて,90m近くあったものと思われる。
ストックを探すと2012.12.12撮影の説明板が出てきた。
当時は文の方が大事と思い込んのだろうか,左側図は
撮っていなかった。重要だったのに,
中央が石畳道 現存は約30m
クリックで拡大 2012.12.12撮影 左側図が・・・
半ばに来ると宮古神社の東側鳥居が見えてくる
上から
上りきると右手にあるのは,
「宮古研究之先駆者 ニコライ・A・ネフスキー之碑」。
ネフスキー(1892-1937年)はロシアの東洋言語学者で
宮古島の言語,風俗,文化等を研究した先駆者である。
そこで,この漲水石畳通は「ネフスキー通り」とも
称するようだ。(2002年 選定)
もう少し彼の業績などを知らなくては。
碑 肖像パネル 下の説明文は読めない
第1写真と同一の交差点 鳥居奥の民家が次回の「蔵元跡」