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日々のつぶやき

人生半ばを過ぎた中年男のつぶやきです。。。

チャンスには後ろ髪は無い

2013年07月20日 | 生き方
先週も書いたが、今非常に大きなチャンスが目の前に来ている。

特にこの数年、ずっと耐えて来た身としては、にわかに信じられない様なチャンスで、話がうますぎる様にも思えたりする。

10年程前にも同じ様なチャンスがあった。その時は、突然のことで高所恐怖症の様な感覚にとらわれ、思わず引いてしまった。

チャンスから引くと、その後は、その反動の様に物事がうまく行かなくなる。これは前に麻雀における運について書いたことと同じ。

それから約10年。今回は、このチャンスを生かすつもりだ。気持ちが怯みそうになったら、目をつぶってでも前のめりになって進むしか無い、と思っている。

ブログ始めて一年:平凡な毎日の有難さ

2013年05月06日 | 生き方
昨日ふと気付いたが、今日でブログ始めて丸一年。

あっという間の一年でもあり、いろいろあった一年でもある。

・昨日書いた通り、伯父と友人一人が亡くなった。
・中村勘三郎さん等私より少し年配の方が亡くなった。
・原発関係では復旧がなかなか進まない中、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)が始まり、太陽光発電設備は増加。今日の新聞では洋上風力発電の買い取り価格もこれから決めていくそうだ。
・政権が自民党に戻り、安倍首相の安倍ノミクスで、円安が進み、日経平均が高くなった。
・家内が一昨年から病気になり治療しているが、薬の副作用も乗り切り、少し元気になってきた。今後再発しないことを祈る日々。
・仕事は、まあぼちぼち。。。家内のことで会社にだいぶ無理を言って、一年前は左遷同然でかなりプレッシャーを感じた時期もあったが、この一年コツコツやってきたことで、少し居場所が見つかった。会社の親しい仲間が何人か退職していった中、よく残れたという見方もある。

来年の今日はどういう事を考えているのだろう。

「いろいろあったが、何とか大過なく、平和に夫婦元気で暮らしている」と書きたいものだ。

平凡な毎日の有難さが身に染みる。

父の逝去から丸4年目を迎えて想う

2013年05月05日 | 生き方
昨日、今年亡くなられた年上の友人のお墓参りに行って来た。

昨年食道癌が見つかり、検査の結果転移もあったので、手術をせずに抗がん剤だけの治療。抗がん剤もすぐに効かなくなり、自宅に戻って数か月後の逝去だった。
亡くなる一月ほど前に友人達とお見舞いに行った。本人も周囲も事前に知った上の死だった。

父を4年前に亡くした時は、直前まで一緒にドライブをしていて、本人はいたって元気だったのだが、その数日後、急に気分が悪くなり、病院で点滴をしていたら容体が悪化し、亡くなった。本人はその日迄自分の死近づいているとは考えなかったと思う。

唯、一緒にドライブした時に、「いろいろあったがいい人生だった」とか言い出したのが後で「予感はあったのではないか」と私には思えたりした。又、その前の年から昔の写真を処分して、最後に会った時に「この写真の一部を持って帰って欲しい」というような事も言ったのが、さらにその思いを強くさせた。

先月、父方の伯父が亡くなった。これも一人暮らしをしていて、そのビルの屋上にある花壇で倒れているのが見つかった時には既にこと切れていた。これも突然の死だったと思う。

私の場合どういうことになるのか判らないが、父や伯父の遺伝子を受け継いでいるのであれば、突然心臓麻痺か脳梗塞での死になるかもしれない。

癌の様にあらかじめ向き合って迎える死と、突然の死。本人の意思で選べるわけではないが、どちらが本人や残された家族にとって辛くないのか、今は未だわからない。

明後日は父の死から丸4年経過する。まだ、父の事を考えると悲しみで胸が痛む。

この年になると、身近な人が一人ひとり減っていくことが、悲しく、寂しい。

心穏やかに

2013年03月20日 | 生き方
今日はお彼岸の中日なので、ということでもないが、ちょっと仏教に関係あるような事を感じているので書いている。

50代になって、自分の心境の変化が起こっていることに近頃気付く。40代までは、「会社での地位や給与が上がること」がとても大切で、「理想と現実のギャップ」にいつもいらいらしていた。他人、特に同世代の人が成功するのを見ると、自分の境遇と比べてしまい、落ち込むことがしょっちゅうだった。極端な話、オバマ大統領が就任した時に、自分と比べて落ち込んだ位だ。
それが、ここに来て、ある意味で本人が気付かないうちに自分の可能性がこんなものだと思うようになったのか、以前より焦らなくなっている。
もしかしたら、自分とあまり年齢が違わない60代前半の先輩方の訃報を聞く事が多くなり、「人生出世や金儲けだけではないぞ」という事が漸く身につまされるようになったからかもしれない。
若い頃は、「人生出世や金儲けだけではない」という言葉がきれいごとに聞こえていたのだが、この年になると、「いくら出世しようが、いくらお金があろうが、死んだり、物事が判らなくなったりしたら、何の意味もない」ことが自分のこととして感じられる。
もちろん、自分は出世したわけでも、お金持ちになったわけでも無いのだが、「残りの人生で、あまり焦ったり落ち込んだりしないで、出来るだけ心安らかな時間を多く持ちたい」という気持ちが強くなってきた。
「出世」や「お金」は自分の力ではどうしようもない点が多いのだが、「心安らか」というのは自分自身の気持ちの持ちようであることが、救われる点。今の現状を「まあこんなものか」と思い、自分の思い通りにならないことがあっても(そういうことだらけではあるが)、「それに心を煩わされたら、思い通りにならないという気持ちと、くよくよする気持ちのダブルで損をする」と思えば、かなり気持ちが楽になる気がする。
人から見ると「向上心が無い」とか思われるかもしれない(かつて、自分はそういう生き方を「向上心が無い」と思っていた気がする)が、どうにもならない事で「自ら作り出した苦しみで自分が苦しむ」のは、あまり生産的ではないし、限られた人生の時間の浪費なのではないかと思うようになってきた。
「人は死のキャリア」で、「生・老・病・死」が人が避けられない四苦である、というのも、この年になると、心にストンと入って来るようになった。(昔は、「何故、生が四苦の一つなんだろう?」と思っていたものだ)
心安らかに過ごせる時間を出来るだけ増やしたいと思う今日この頃である。