言わなければよかったのに日記

 私が見たこと、聞いたこと、感じたこと、頭にきたこと・・・を(ありのまま)に伝えます。

八ツ田薬師堂 十二神将さん

2020年11月06日 | 人吉球磨の仏

 歴史民俗資料館で(やまえの仏さん)を見てもらおうという企画を3年間おこなってきました。今年もその予定でしたが水害があって避難して来られた仏さんたちが企画展示室にいっぱいになりました。予定通りにはできなくなったのと被災された神仏さんを見てもらうことも復興に役立つのではと今回の企画展になったわけです。

 私と仏さんとの出会いは(仏堂調査)からでした。お堂に出かけていって(仏さま)を拝むようになりました。専門家の方に聞きながら学習することもできています。地域の方に見守られて何百年もお堂に坐しておられる仏さまを真剣に見るようになってきました。そんなことから私なりに見てきた仏さんのことを紹介するように(人吉球磨の仏)というカテゴリーを作ってみました。気になった仏さんを紹介していこうと思っています。

     

       被災直後の仏さんたちです、すべて現存していました

 いま、資料館に避難して来ておられる八ツ田薬師堂の十二神将さんです。このお堂は被災前に何度か訪れていました。小さなお堂ですが、薬師三尊と十二神将さん15体がそろっておられます。本尊:薬師如来立像も立派な造りです。相良村誌には「薬師三尊と十二神将が祀られ、作も至って精巧であるのに、全て稚拙な補修と再彩色が施され、ひどく原形を損なっています」と評されています。たしかに手足が朽ちたのでしょうか、たぶん地元の人たちによって手足などが造りかえられています。りっぱな補修ではありませんが、私には地域の人たちの信仰の深さを感じられました。稚拙とはいえ、自分たちの仏様を大切にする心が満ち溢れているのです。金ではない心だという気持ちが薄れつつある現代の人たちに何かを訴えているような気がしてなりません。

 足裏に「かち木快扶 岩屋寺住 寶寿坊」という墨書がありました。製作年は残念ながら書かれていません。「かち木」とは鹿児島加治木のようです。鹿児島県にも「加治木岩屋寺住持宝寿坊快扶」と記された仏像の存在を知りました。こちらには永正3年(1506年)と記されています。したがって八ツ田薬師堂の薬師三尊や十二神将もこの頃に造られたものではないかと思われます。製作時代がわかった、新発見と思われます。なぜ、加治木岩屋寺の快扶が相良に来て造仏したのか・・たいへん興味深いことですがこれ以上のことは不明です。今回は被災してお堂をなくしてしまいましたがこの仏様たちを大切に守りたいものです。

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