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~旅とアート~

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インド(ラダック)旅行記#45-アルチの不思議な木の物語

2013-01-11 20:53:44 | インド(ラダック)旅行記
↓アルチの不思議な木(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

6日目

朝起きて外を見ると今日も快晴。
朝日が差し込む2階の部屋の外の一角で、
スタッフが持ってきてくれたモーニングティーをいただきます。

屋根はあるものの、ここは完全な外なので直に外気が入り込むのですが、
風もなく空気もカラッとさわやかでかなり気持ちがいい。
この山の空気を嗅ぐとなんでこんなに幸せな感じになるのだろう。






一息ついたあとは朝食です。
おかゆが美味しい!
山名さんが日本のお米を渡して作ってもらったのですが完璧。
その他にラダックのパンも出てきたのですがこちらもいけます。




9時。
まずは、ホテルのすぐ脇にあるアルチ・チョスコルを訪問。
細い路地を抜けると、壁の向こうに一本の木がありました。



=====ガイド=====
チベットのグゲ王国の僧侶ローツァワリンチェンサンポがカシミールに向かう際、
いろいろなところにいってお寺を作っていた。
シェイとティスセの間にニャルマチョスコルという僧院の跡があるが、
ここがリンチェンサンポがラダックに来た時のメインのお寺だった。
チョスコルというのは、聖なる場所とか聖域という意味。
彼がニャルマに来たとき、この周辺にいくつかのチョスコルや洞窟のゴンパを作った。

ここの山を越えていったところに、スムダチェンモというゴンパがあるが、
そこも彼が作った。
彼がニャルマに来たとき、スムダ出身のスカダンシェラが彼の弟子になった。
そして、スムダにゴンパを作ってほしいとお願いされ作ることになったが、
スムダに向かうとき、それを聞いたアルチの人にもお願いされた。
しかし、今からスムダに行かなければならなくどれだけ時間がかかるかわからないから、
帰ってきてから考えましょうと言って、この木の場所に持っていた杖を刺し、
大事にしてくださいと言い残し出発していった。

その後、スムダにゴンパを建てて帰ってきたとき、その杖が木になっていた。
それをみたリンチェンサンポは、ここは非常に大事な場所だと確信し、
お寺を建てることにした。
それが、これから見学するアルチ・チョスコル。

以前、パルダンさんがここに来たときには、
中が空洞になっている大きな木があって、その中で子供たちが遊んでいた。
今はその木は倒れてしまったが、その木の芽から今の木が育った。
そしてこの木は全ラダックやカシミールの方でも見たことがなく、
写真を見せていろいろな場所の人に聞いたが知っている人はいなかった。

そのため、リンチェンサンポの杖がどこの木なのかわかっていないし、
すごく不思議な力を持った木とされている。
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インド(ラダック)旅行記#44-ワンラからリゾン・ゴンパ経由でアルチへ

2013-01-07 20:32:40 | インド(ラダック)旅行記
↓ワンラの村(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

5日目

ゴンパをあとにし、集落の間を抜けながら斜面を下っていきます。
さきほど訪れたラマユルに比べると、日当たりがいいせいか、
とっても明るい感じの村です。
やぎが路地をのんびりあるいたり、村の人たちがお堂を建てたりしていました。










来た道を戻り、再び険しい山道に入ります。
まだ少し時間があるとのことで、アルチに戻る途中で、
リゾン・ゴンパに立ち寄ってくれることになりました。

私としては、「ちょっと寄り道」という感じで受け止めたのですが、
ふたを開ければ結構ハードな道のりでした。
切り立った崖っぷちの細い山道をくねくねと進み、
かなりの距離を走って薄暗くなったころやっと到着。




小さなゲートを抜けて少し行くと、
白いゴンパが丘の斜面を埋めていました。
これは美しい。
日の光が当たっていたらさぞかし輝いていたことでしょう。
立ち並びかたも、なんだかとてもバランスがとれています。
薄闇にもかかわらず、ここでみんなで記念写真を撮って帰路へ。
ここのゴンパは日が暮れる前に、女性はすべて出なければならないそうです。






山の日暮れはとても早く、どんどん暗くなっていきます。
完全に日が落ちたころ、アルチの村に到着。
今夜のホテルは村の入り口からほど近い「ホテル・サムドゥプリン」です。

チェックインを済ませさっそく部屋へ向かいます。
山名さんの話によると、前に来たときよりレベルアップしているとのこと。
以前は客室のある建物の広間のところに屋根がなかったそうです。
部屋は、かなり質素ですが、
この時期に開いているホテルも少ない中泊まれるだけありがたい。




少し休んで夕食です。
ホテルの食堂でいただきますが、スイスから来たという団体さんなどもいて、
閑散期間近でもけっこうにぎわっていました。
今夜の夕食はチャイニーズ的なメニュー。
とても量が多くて食べきれませんでした。




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インド(ラダック)旅行記#43-ワンラ・ゴンパ

2013-01-05 21:15:28 | インド(ラダック)旅行記
↓ワンラ・ゴンパ(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

5日目

ワンラの村の脇を通って丘の上まで行くとワンラ・ゴンパがあります。
この場所からは、ワンラの谷が見渡せました。

崖沿いに建つゴンパのマニ車を回しながらお堂の入口まで向かいます。
お坊さんに鍵を開けてもらって、小さな入口から中へ入ります。
内部はとても暗くてライトは必須。














=====ガイド=====
もともと、リンチェン・サンポが創建した。
リンチェン・サンポは12世紀に西チベットのグゲ王国の僧侶で、
当時の王様にカシミール行を命令され、
仏典をサンスクリット語からチベット語に翻訳して持ってきた。
その後、お寺を建てたいのでもう一度行ってきてくれと命令され、
25人の技術師を連れて帰り、チベット全土に108のお寺を建てた。

ここもそのうちのひとつだと言われていたが、
下ラダックの王族ができる前のバッダルスキャップという豪族が、
リンチェン・サンポが来たときにお金を出してここを建てたそう。
その後お弟子さんの代になって、どんどん大きくなっていった。
今ここにある形はそのあとの代のものと言われている。

なぜかというと、
この壁画のスタイルはリンチェン・サンポのスタイルに似ているが少し違う。
彼は12世紀の人だが、この時代にはヨガタントラまでしかなかった。
そのあとの教えは15世紀以降に誕生したもので、
もしリンチェン・サンポの時代のものならば、
ここに描かれている無上ヨガタントラなどはなかったはず。

ご本尊は、十一面観音。
昔のスタイルは手が8本。
ご本尊の前にあった木の枠は邪魔だから切ってしまった。
左側にあるのが観音菩薩。
右側はお釈迦様(カシミールスタイル)。
お釈迦様の左には文殊菩薩、右側には金剛手。





完全な曼荼羅もあり、ご本尊が大日。
創建当時の様子やロイヤルファミリーも描かれている。
新しい代の千手千顔十一面観音や、古い代の薬師如来など。








ここは三層堂になっているが上に上がることはできない。




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インド(ラダック)旅行記#42-ラマユルからワンラへ

2012-12-21 20:15:27 | インド(ラダック)旅行記
↓ラマユルの全景(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

5日目

そこからゴンパのほうには戻らずに、集落の中を抜けていきます。
石造りの家とか谷とか険しい山とか、なんだか宮崎駿の映画の世界のよう。
途中、マニ石を見たり書いたり、ロバに威嚇されたり、ヤクをちら見しながら車に戻りました。
















ラマユルを去る前に、ラマユルを一望できる高台に寄ってくれました。
荒々しい岩山に囲まれた谷に日差しが射し込み、本当に美しい。
これは一生に一度は見るべき風景のひとつだと思いました。






ラマユルを満喫したあとは、再びムーンランドを通ってワンラヘ向かいます。




道は、地理的にも近いせいか、パキスタンのカラコルムハイウェイにそっくり。
いたるところで崖崩れが起き、工事をしていました。
しかし、綺麗に舗装されている箇所も多く、こちらの方が快適。








険しい山道を抜け、陽の当たる清流に出るとうってかわってのどかな風景になりました。
ほどなくワンラに到着です。




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インド(ラダック)旅行記#41-ラマユル(シンゲガン)

2012-12-14 21:13:03 | インド(ラダック)旅行記
↓ラマユルのシンゲガン(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

5日目

ラマユル・ゴンパを後にし、その麓に広がる集落の間を抜けていきます。
人の気配はなくなんともさみしい雰囲気。
しばらく下るとタルチョが飾られたシンゲガンの入口に到着しました。
パルダンさんがカギを開けて中に入ります。









=====ガイド=====
ローツァワリンチェンサンポの弟子の弟子くらいのときに作られたものと考えられている。
彼は大翻訳家でローツァワというのは翻訳する人という意味。
当時の仏教の中心地カシミールでサンスクリットの経典をチベット語に翻訳しチベットに持ち帰った。
ラダックの仏教の歴史の中でとても重要な人物。
その人の作ったお寺というのは特徴があり、浮き出るような像というのが多い。
正面(白):大日、左下(青):アシュク、上(赤):阿弥陀、右下(黄):宝生、右上(緑):不空成就。
この色は絶対。








壁には金剛界五仏の大日の曼荼羅や阿弥陀、千手観音、観音菩薩など描かれているが、
去年おととしくらいに雨が降って流されてしまった。






その右奥はゴンカン。
マハカラ、パンデンラモ、ギャホ、テハ、チチパティなどがいる。
あとで作られた新しいところ。


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インド(ラダック)旅行記#40-ラマユル・ゴンパ(ドゥカン)

2012-12-12 20:33:59 | インド(ラダック)旅行記
↓ラマユル・ゴンパのドゥカン(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

5日目

少し道を戻ってドゥカンへ向かいます。
眼下には壮大なラマユルの絶景が広がっていました。



=====ガイド=====
ドゥカンの外壁には四天王、六道輪廻、僧侶が守るべきことが描かれている。
ここの壁画は、このゴンパに属するチベットで勉強した絵師が描いている。
絵の中には、例えばクツは、裏に鋲が打ってあるのはうるさくてダメだが、
藁のなら静かでいいとか、シンプルなものはいいけど、派手なのはダメとか、
水をくんできたらフィルターに何回かかけなさいとか、そういうルールが描いてある。






壁に何も描かれていないドゥカンは全ラダックの中でここだけ。
右側には祭壇がありネパールで作られた小さな仏像があるが、
もともとはカンギュールが置かれていた。
しかし仏像が来たから、新しいカンギュール・ラカンを作るまでの間ここに置いている。
これは間違っていて、仏像よりカンギュールの方が大事だから、
本当はカンギュールの方を大切に扱うべき。
経文は手すきの紙に版木で印刷し、これは1000ページある。








ヘッドラマは2人いて、左がチェザン・リンポチェ(インドのデラドゥンにいる)、
右がチュンザン・リンポチェ(チベットにいる)。
手打ちで作られた珍しいグル・リンポチェの像。
他にジクテンゴンポ(お釈迦様の12~13歳の姿)、ティンレイザンポ(有名な行者)、
お釈迦様とお弟子さん、ドゥンマ・クンガ・タクパ(ラマユルとピヤンのお寺を作った)の像がある。




ドゥカンの洞窟にある仏像は、ティロパ、ナロパ、ミラレパ。
ナロパがカシミールからザンスカールに修行に行くときに
ここに立ち寄ってこの洞窟で瞑想した。


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ドゥカンの奥にあるゴンカンへ。

=====ガイド=====
ゴンカン(護法堂)はドゥカンに併設されていることがほとんで、本来は女人禁制。
悪いものから仏教を守るプロテクターが納められている。
ここは力が強いので、マハカラの目が隠されていたりする。
50年くらいたっているトルマがあり貴重なもの。




他にいろいろな観光客がもってきた人形などもある。
銅像はマハカラ、チャクラサンヴァラ、アプチ、お釈迦様、毘沙門天、ダルマパーラ、ツェマラなど。




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インド(ラダック)旅行記#39-ラマユル・ゴンパ

2012-12-09 20:59:37 | インド(ラダック)旅行記
↓ラマユル・ゴンパの広場(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

5日目

まずは小道を通って広場へ向かいます。



=====ガイド=====
ラマユル・ゴンパはもともとユンドゥン・タルパリン・ゴンパという。
ユンドゥンというのは逆マンジという意味。
2番目に大きいディクンカギュのゴンパ。
3~4回ほど潰れているが何度も作り直した。

6~7月くらいに行われるユンドゥン・カブギェというお祭りのときは、
ゲストハウスやレストランが僧侶の控室になる。
そして広場に面した壁には大きなタンカが飾られる。
お祭りはとても長くて少し退屈する。(パルダンさん談)






広場があってその下にあるのが僧坊で、丘の上にあるのは瞑想小屋。
ここでの一番長い瞑想の時間は3年3か月3日。
ずっとこもって一言も話さず、100万回の五体投地をしながらお経を読む。
食事はもってきてくれてぱっぱと済ませる。




ブータンでは、それを日本人(京都のお坊さん)がやっている。
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広場の脇に、いつのまにか小坊主さんたちが集まって遊んでいました。
何をやっているのか見てみると、石で地面に何か書いています。
もしかしたら勉強だったのかな?




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インド(ラダック)旅行記#38-月世界ラマユルの絶景

2012-12-07 20:06:43 | インド(ラダック)旅行記
↓ムーンランドと呼ばれるラマユル(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

5日目

目の前にはなんとも不思議な風景が広がっていました。
ラダックに来たらぜひ訪れたいと思っていたラマユルのムーンランドです。
その風景は、黄色い生クリームが山間に流れ込んで固まった感じ。
なんでこのようになったのかわかりませんが、
この奇妙で壮大な異世界のような景色は、一見の価値ありです。






さらにそこから車で少し行くと、岩山の上にラマユル・ゴンパが見えてきました。
麓には民家が立ち並び、畑仕事をしている人たちもいます。
月世界の中に佇むラマユル・ゴンパは、そのまわりの風景ととともに、
今回の旅行で一番美しい僧院だと思いました。






ゴンパのある山の上まで上ると、ラマユルの村が一望できました。
五色のタルチョがこの荒涼とした風景に映えています。






そろそろお昼時なので、ゴンパのレストランで持参したお弁当をいただきます。
さすがに有名なゴンパだけあってたくさんの観光客が来ていました。
ランチボックスの中身はサンドイッチやゆで卵、果物、じゃがいも、お菓子など。




レストランではチャイをいただいて、しばし休憩。
その間にパルダンさんが今までに書いた本などを見せてくれました。
そこには数年後(数十年後だったか?)のラダックの様子が、
挿絵(パルダンさん著)とともに書かれていて、ちょっとコミカルで面白かったです。

十分に休んだ後、ラマユル・ゴンパの見学開始です。


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インド(ラダック)旅行記#37-ラマユルまでの道のり(動画あり)

2012-12-03 21:23:29 | インド(ラダック)旅行記
↓インダス川とザンスカール川の合流点(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
 


旅行期間:2012年9月15日~9月23日

5日目

月世界が広がる下ラダックへ向かいます。
今までに増して荒涼とした大地が続き、なんといっても日差しの強さが半端ない。
うっかりサングラスを忘れてきてしまったのですが、
日陰の車の中から外を見ているだけで目が痛くなり涙がとまりません。
このラダックの強い日差しを「ラダックビーム」と名づけ、
今後その威力を肌で感じていくことになります。

まずは一気にラマユルまで。
ほとんどの行程の道がとても綺麗で快適。
途中、いくつかのビューポイントに立ち寄りながら進みます。
窓を開けるとカラカラの空気が気持ちいい。

レー近郊のラダックの大地


ラダックの大地







スピトゥクから約30分、インダス川とザンスカール川の合流点に到着。
水の色が違うので、その境目がくっきりとわかります。
このザンスカール川が流れてくる方に行くと、
冬の間凍結した川を道として歩くチャダルの場所があります。
山名さんも上甲さんもこのチャダルを経験済みですが、それは大変だったそう。
下手に挑戦すると命を落としかねないとのことです。






そこで写真を撮った後、
パルダンさんのお母さんが暮らしているという家の前を通り過ぎ、
その村に隣接した軍事施設の間の道を抜けていきます。
軍服を着た兵士たちが行きかいなんとも物騒な感じですが、パルダンさん曰く、
このあたりの軍人と住民は良好な関係なのだとか。

ただ、何においても軍事関係が優先するので、
例えば、隊列を組んで走る軍事車両に出くわしたら、
それが通り過ぎるまで何十分も道の脇で待ったり、
その縦列に挟まってノロノロと運転しなければならないこともあるそうです。
そしてこれから何度かそれを体験することになりました。

いくつかの村を通り抜け、
ヒマラヤの雪山やインダス川を間近に見ながらどんどん山奥に入っていきます。

ラダックの村











するとうわさの軍事車両のトラックの長い行列現れました。
どうやらその先の橋を渡るのに並んでいるらしい。
仕方がないので、私たちもその列に入りますが、
とにかく数が多いので、かなり時間がかかりそう。
なんだかパキスタンの旅を彷彿とさせる光景です。

結構な時間をかけなんとか橋を渡ると、向こう側もすごい渋滞。
反対側からくる車は、
この優先車両の大群が通り過ぎるのをひたすら待っているようです。




やっと渋滞を通り抜けほっとしたのもつかの間、
しばらく進むとまたしてもトラックの列を発見。
しかし今度は路肩に止まっていたので、動き出す前に脇を追い越して行きました。
国境に近いので仕方ないのかもしれませんが、それにしてもすごい数です。




ようやくまわりに車がいなくなった頃、
険しい山間に、黄色い岩がチラチラ見え始めました。
ついにラマユルに到着です。




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インド(ラダック)旅行記#36-スピトゥク・ゴンパ(ドゥカン)

2012-12-02 13:26:53 | インド(ラダック)旅行記
↓ドゥカン(ラダック)
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5日目

続いてドゥカンへ。

=====ガイド=====
ここはメインのドゥカン。
スピトゥクはこのあたりの総本山。
サンカル、ストク、サブーに分院があるが、
このドゥカンは分院全部のドゥカンで、大きな法要をする場合はここでする。

玉座は左:ダライラマ、右:バクラリンポチェ、手前はゲストのリンポチェ。
位によって座る位置が決まっている。




正面向いて左にカンギュール(お釈迦様の教えをそのまま書いたもの)、
右にテンギュール(ナーランダなどの先生たちの解説版)がある。
120くらいと225あり、300年くらい前にチベット本土から運ばれたもの。




奥はツァンカンになっている。
左にあるのが観音菩薩、右にあるのが弥勒菩薩で、ガンダーラスタイルのもの。
14世紀に作られた当時のメインのお釈迦様。
最初に作られたお釈迦様の胸の中に仏陀シャカムニの遺灰が入っている。
それは、ツォンカパから当時の王様に贈与されたもので、
その王様は、象の形に見えるこの丘に目をつけ(すでに小さなお堂はあった)、
その背中にゴンパを建てて遺灰を納めた。

ダライラマ法王がいらしたとき、
このお釈迦様にお祈りし、次にターラーにお参りして行こうとしたが、
思いとどまり再びお釈迦様のところへ戻ってきて結局3回お祈りした。
14世紀や15世紀のツォンカパと二人の弟子の像や、第五代のダライラマ法王もいる。
第五代のダライラマ法王は、偉大なる5世と呼ばれチベットの地を作った人で、
それまでの象徴とは違い宗教と政治のトップについた。
ダライラマとは大きな海という名前でモンゴルからもらったが、それをもらったのがこの5世。
そこから転生を繰り返し、この間、14世は政治の部分は放棄し、現在は宗教の象徴に戻った。








砂曼荼羅のプジャをするときはバジュラバイラバを開けて法要する。
他に大きなタンカも置いてある。


===============

ドゥカンから出ると、パルダンさんが大きなカギでドアをロック。
目の前にはお祭りがおこなわれる庭と、その向こうにスピトゥクの風景が広がっています。






下に下りていくと、さきほどと同じ場所で別のお坊さんが頭を剃っていました。
天気もいいので気持ちよさそう。




お別れの挨拶をしスピトゥク・ゴンパを後にしました。


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