↓ローツァワリンチェンサンポ(ラダック)
異国情緒あふれる写真と旅行記|KaycomDESIGNより
旅行期間:2012年9月15日~9月23日
6日目
中庭につづく門を入り、まずは5つあるお堂の中のメインの大日堂へ。
アルチ・チョスコルはすばらしい仏教美術がたくさんありますが、
残念ながら建物の内部は撮影禁止なので外観の写真のみ。
いよいよラダック観光には欠かせないアルチ・チョスコルの見学が始まりますが、
その前に、このゴンパを建立しチベット仏教史の重要人物でもある
ローツァワリンチェンサンポについて勉強です。
=====ガイド=====
アルチ・チョスコルはローツァワリンチェンサンポが建てたが、
彼が建てたお寺には3つのタイプがる。
それは、ツクラカン(学校のようなところ)、
チョスコル(平地につくられることが多い)、ラカン(小さいお堂)。
ここは、11世紀から12世紀くらいのものなので、ヨガタントラまでの教えが描かれている。
ローツァワリンチェンサンポは西チベットのグゲ王国のトリン近くのジャクニーズという
今は廃墟になったお寺しか残っていない場所で生まれた。
とても特別な方で、お釈迦様が涅槃に入る際に、
「私が涅槃に入って1500年後に一人の僧侶が生まれてきて、
その僧侶が私の教えを広めるだろう」
と予言をした。
その予言を受けてかわからないが、その通りにローツァワリンチェンサンポが生まれた。
彼を生んだお母さんが彼を身ごもった時に、
金色のガルーダが夢の中でお母さんの中に入ってきて身ごもったという有名な話がある。
彼は1歳や2歳ころからお祈りをし始めた。
それを見た父親が、この子はものすごい僧侶になるのではないかと思い、
当時のトリンのヘッドラマにお願いして修行を始めさせた。
するとめきめき頭角を現し、18歳になったころに当時の王様に、
カシミールに行って仏教のすべてを学んできてほしいとお願いされた。
当時の仏教の様子は、どんどん廃仏が進んでいて仏教徒は西へ移っていた。
そんな中、西チベットのグゲ王国の王様は、仏教を守りたいと思っていて、
そのころちょうどよくローツァワリンチェンサンポが現れた。
王様の命令を受けた彼は、2人のお連れとともにカシミールに向かい10年勉強した。
その間、75人のラマについて多くのものを学んだ。
彼はとても賢くて、一度聞いたことはすべて覚えてすぐに翻訳することができた。
その後、グゲ王国に帰るのだが、
10年の間に一人のラマから「早く歩ける」という特別な力を授けられ、
行きに3か月かかった道のりを
ものすごい量の経典を持った状態で6日間で帰ることができた。
帰ってから、正式に王族の仏教の先生として迎えられ、
お寺をつくることになったが、まず最初にトリン、コジャ、ニャルマに作った。
この3つに関しては、彼自身が法要をした。
そしてお寺ができると、仏像や壁画もほしくなり、
再び王様に頼まれて、カシミールに行く。
今度は5~6年そこですごすが、
帰るときに最先端の技術を持っている32人の職人さんを連れて帰り、
僧院の中を作っていった。
その後、全チベット文化圏にある108のローツァワリンチェンサンポのお寺に
1000以上の仏塔を建立していった。
彼はすたれていったチベット仏教を復興させたとても重要な人物。
またそれ以外にも、アムチ(伝統医療)の教えを持って帰ってきた。
なので、チベットの人たちはローツァワリンチェンサンポが最初のすべてだと言っている。
一番大事な功績は何かというと、ローツァワ(大翻訳官)として、
もともとサンスクリット語で書いてあった経典を
チベット語に翻訳して持って帰ってきたこと。
インドではサンスクリット語で書いてある経典は残っていないので、とても貴重。
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