> (中略) > このとき情報局は「記事差し止め事項」を発し、「一般世論の指導方針」として、①今回の対英米戦は帝国の生存と権威の確保のため、まことにやむをえず起ち上った戦争であることを強調すること。
日本人には、意思がない。だから、全てを ‘事の次第・成り行き’ で説明することになる。だから、政治家の責任問題には至らない。この国がひっくり返った時にも、責任者は出なかった。兎角、この世は、無責任。
>②敵国の利己的世界制覇の野望が戦争勃発の真因であるというように立論すること。
個人主義は日本人にとって理解するのが難しいが、利己主義ならよくわかる。
>③世界新秩序は「八紘一宇」の理想に立ち、その目的とするゆえんを強調すること、を全報道や出版関係者に通達した。
‘八紘一宇’ (世界を一つにまとめて、一家のように和合 させること) は、わが国の海外進出の口実になりましたね。島国根性との関係は、どうなっているのでしょうかね。
> 終戦の年に入ると米軍による日本全土への空襲が始まったが、この空襲については「国民の士気を損ねる」としてまともな報道はされなかった。
‘見ざる、聞かざる、言わざる’ ですね。(See-not, hear-not, and speak-not) しかし、現実は、無視できませんね。
>「敵襲時ニ於ケル報道措置要領」(大本営陸海軍部、情報局協定、昭和17年)では、1、被害地点明示、町村以下の地名。2、人畜の被害状況、死傷者数。3、家屋の他、建造物の被害状況。被害戸数、建造物の名称。4、電信、電話施設の被害状況、地点。5、鉄道、軌道の被害状況。6、道路、橋梁、港湾の被害状況はいっさい報道不可としている。
国民は、つんぼ桟敷に置かれていましたね。勝っているのか、負けているのかわからない。
> (中略) > 昭和19年から始まった学徒出陣は、「征くも送るも決意新たに」の見出しに「胸も潰れるような感激」(『朝日』)と報じ、女子挺身隊は「乙女につづけ」「ここにも女の戦場」「勤労生活にひらく新生命」(同)と美化され、若者を死地に赴かせた政策は最大限に称賛された。
人命は、尊重されませんでしたね。命より大切なものがあったのか。
> 連合軍が提示したポツダム宣言に対しては、「帝国政府としては米、英、重慶三国の共同声明に関しては何ら重大な価値あるものに非ずとしてこれを黙殺すると共に、断乎戦争完遂に邁進するのみとの決意を更に固めている」として国民には徹底抗戦を主張した。
‘一億総玉砕’ のことですね。それほど戦争がしたいのか。
>8月6日に広島、9日に長崎に原子爆弾を投下されることで、天皇は敗戦の口実を得ることになる。
我々は、敗戦の口実 (原爆) で命拾いをしたのでしたね。
> 国民に一億総ざんげ 敗戦になれば被害者面 > そして、戦後、『朝日新聞』は、「言論機関の責任は極めて重いものがあるといわねばなるまい」といいながら、「(敗戦の責任は)決して特定の人人に帰すべきでなく、1億国民の偕(とも)に負うべきものであらねばならぬ」(8月23日付社説)と主張。
戦争指導者は、責任をもって国民を指導したのではないのですか。世俗の上下は存在しても、責任の上下はなかったのですね。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 意思の無い日本人には仕方がなく、無為無策でいました。だから、指導力は、発揮されなかった。成り行き任せであった。
> 東久邇宮首相が「一億総懺悔論」を発してその責任を全国民に押しつけると同時に、『朝日』は「国民とともに起たん」とする社告で、「開戦より戦時中を通じ、幾多の制約があったとはいえ、真実の報道、厳正なる批判の重責を十分に果たし得ず、またこの制約打破に微力、ついに敗戦にいたり、国民をして事態の進展に無知なるまま今日の窮境に陥らしめた罪を天下に謝せん」とのべた。>散々戦争に協力してきた者が被害者面をして戦後出発したのである。
日本人には、意思がない。だから、能動がなくて、受動ばかりがある。加害者意識がなくて、被害者意識ばかりがある。これは、日本人の通常の成り行きですね。
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