(略)
>田舎帰るたびに思いますが、そういう状況で「将来は成功してでっかい家とフェラーリ買うぜ」みたいな人も、まあ探せばいないではないでしょうが、現実には「多くは望まない、今あるものに満足したい」と考える若者の方が圧倒的に多い気がします。
そうですね。無気力ですね。この国には何でもあるが、ただ夢と希望だけが存在しない。
>そう、これから頑張ってもリターンは望み薄なのでボチボチでいいやというオジサンたちと同じですね。
そうでしょうね。何事も、お変わりのないことが良いことです。
>というわけで、中高年再戦力化セミナーの講師みたく「死ぬ気で頑張ろうよ!お前ならやれるよ絶対!」ってオジサン煽り立てるのも「若者はもっと大志を抱け」といって若いのに尻蹴飛ばすのもあんまり効果はなくて、その前にまずは頑張ればしっかりリターンがついてきそうな諸々の制度に変えるのが筋だろうというのが筆者のスタンスなわけです。
なるほど、そうかなあ。諸処の制度を変えるだけでは、意欲の減退に対処することはできないでしょうね。頭の中の改造までも必要かもしれませんね。
日本人には、意思がない。だから、アニマルと同じである。常にリターン (報酬) が必要である。餌につられて行動するアニマル風情のことである。報酬を得るために頑張らなくてはならない。だから、日本人は、お互いに ’頑張って’ と始終言い合っている。能動的な行動に出られないのが玉に瑕ですね。
英米人には意思がある。だから、それほど頑張る必要がない。アメリカ生まれで日系二世のALT (assistant language teacher: 外国語指導助手) の一人に日本語の ‘頑張って’ の意味を尋ねてみると、’気楽にやれよ’ (Take it easy.) とか、’うまくいくといいね’ (Good luck!) という返事が返ってくる。どうやら日本人の深刻な想いは、正確には理解されていないようである。
意思 (will) は、未来時制の文章内容である。しかるに、日本語の文法には時制 (tense) というものがない。だから、日本語の脳裏には、未来時制は存在しない。そして、日本人には、意思がない。一方の英文法には、時制がある。だから、英米人には、意思がある。
意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way. 日本人には、意思がない。だから、仕方がないから無為無策でいる。優柔不断・意志薄弱に見える。そこで、日本人は、精神修養の必要性を感じることになる。武芸を通じて修養を積むと機敏な動作をする人間を養成することができる。精神主義で、無意志の欠陥を克服しようと努力する。だから、先の大戦も精神主義で鬼畜米英と戦った。だが、日本式の精神修養ではリーズン (理性・理由・適当) が獲得できない。だから、日本人からは、リーズナブルな答えは得られない。’我々は、精神主義では勝っていたのだが、物量作戦でアメリカに負けた’ と敗戦の原因を大人たちは説明した。だが、意思に対する着眼は日本人には無い。
文法に時制があると、非現実 (考え) の独立した三世界 (過去・現在・未来) の内容を文章として表現できる。この内容は、何処までも展開出来て学問になる。非現実の内容は、現実描写ではないので世界観 (world view) と呼ばれるものになる。’あるべき姿’ は、未来時制の文章内容になっている。この内容を基にして現実の内容を批判すれば、批判精神を示したことになる。だが、この精神は、残念ながら日本人には見られない。
我々日本人は、日本語と英語の両言語を良く学び、時制による文章の重要さを理解して、その内容を表現するように努めよう。さすれば、国際的にも自己の ‘あるべき姿’ の理解を得ることができる。未来社会の建設に確たる意思を示して広く協力者を得れば、我々日本人は世界への貢献が可能になります。
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