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ハニカミと傲慢

2017-02-11 21:47:06 | 文化
>世界で行商人以外の役割をつとめるには、日本は外国人に話しかけられ、外国人と一緒に暮らし、外国人の前でもリラックスし、外国人と議論し、外国人の熱意をかきたてることができる人間を必要とする。

同感です。だがしかし、自分には考えがない。だから、議論ができない。相手にどう思われるか。それが心配である。品定めのことを考えると、つい緊張せざるを得ない。上下判断は、日本人の強迫観念になっているからであります。そうでなければ、我々は礼儀正しい日本人にはなれません。
自分には意思 (will) がない。だから、優柔不断・意志薄弱に見える。外国人の熱意をかきたてることのできる人間にはなれない。

>これはまた日本が世界に陳列してきたほとんど職業的なハニカミを捨てることであり、ハニカミがしばしば隠し切れない日本教の内面的傲慢さも捨てることを意味する。

意思はないが、恣意 (私意・我がまま・身勝手) はある。恣意 (self-will) は、文章にはならないが、小言・片言・独り言のようなバラバラな単語になっている。恣意を露呈することは、恥ずかしいことである。リーズン (理性・理由・適当) がない。日本人の間でさえも、’恥ずかしながら、、、、’ とか ‘甘えさせていただきます’ とかの前置きなくしては表現できないような内容である。
アメリカ人に恣意を伝えれば、’恥を知れ’ (Shame on you!) と一喝されて相手にされない。だから、日本人は仕方なくハニカミ屋になっている。
恣意は、高じて意地・根性の段階へと進む。これは日本教の内面的傲慢さの源であり、大和魂とも呼ばれて、日本人の間では高く評価されている。’コーラは○○○、ボクシングは大和魂’ というCМもあったし、’大和魂、日本は強い。’ というカルタの読み札もあった。これなら、戦争にも勝てるのかな。ハニカミも傲慢も、出所は同じである。それらは、我が民族の ‘恣意’ から出ている。恣意が我が民族特有であるかどうかは、私は知らない。

意思は未来時制 (future tense) の文章内容である。日本語文法には時制 (tense) というものがなく、日本人には意思がない。
意思を表現するには、時制が必要であり、時制は英文法にある。英語を学んで、意思の表明の仕方を学ぼう。さすれば、外国人と議論し、外国人の熱意をかきたてることができる人間になれる。我々は、世界的な役割を務めることのできる日本人になれる。


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