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考え方の違い

2015-06-03 14:46:50 | 国際・政治
マルチン・ルーサー・キング・ジュニア (Martin Luther King Jr.) の1963年8月28日にリンカーン記念堂の前で行った 'I have a Dream' (私には夢がある) の演説は、1961年1月20日に行われたジョン・F・ケネディの大統領就任演説とともにアメリカを代表する名演説である。

日本人には、こうした名演説はできないであろう。それは何故か。それはメンタリティの問題である。
以下は、その演説の一説である。

・>I have a dream that one day this nation will rise up and live out the true meaning of its creed: "We hold these truths to be self-evident: that all men are created equal."
・>私には夢がある、つまりいつの日か、この国が立ち上がり、「我々はすべての人々は平等に作られている事を、自明の真理と信じる」というこの国の信条を真の意味で実現させることだ。(アメリカ独立宣言)



'私には夢がある' は一応問題が無い。だが、掘り下げてみれば、定義も内容も日米では違う。
'立ち上がり、、、、、実現させる' には、問題がある。マルチンは、未来時制の文章内容を述べている。だから、日本人の考える実況放送でも、現状報告の内容でもない。日本的解釈では、これは真っ赤な嘘である。'そんなこと言っても駄目だぞ。現実はそのようには成っていない' と反論されるかもしれない。よしんば反論はなくても、信用されない。軽くあしらわれる。我が国民は現実肯定主義であるからだ。
'我々はすべての人々は平等に作られている' は、何のことだか分らない。どこに根拠があるのだ、証拠を示せ。'人間、万事不平等' ではないのか。これなら事実で、信頼に足る内容である。
元来日本人は、'自明の真理' とは、無縁である。全てのモノは、見ればわかる。見ても見られないのは、存在しないのものである。これは、科学的なのかな。
日本人は、現実を見て自分の考え (非現実) をまとめる仕事がきわめて苦手である。例えば、'原子が手をつなぎあって分子を作る' とか言ったようなこと。だから、いつまでも子どものままでいる。考えの内容は、頭の中にだけ存在して、頭の外には存在しない。だから、考えは現実を見ても見えない。見ても見えないものを信じないと '考えのない人' になる。'理屈の分らない人' というか、民度の低い国の住民である。

英語と日本語の考え方は、水と油の関係にある。時制のあるなしが、そうさせている。
だから、日本人とアメリカ人が、未来の行き着く先を話し合っても一致をみることはない。
日本人にも、英米流の高等教育は必要である。国際理解も必要である。


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