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論争は不可能

2015-06-11 15:45:31 | 国際・政治
インド人には、時制が有るので、非現実の内容を考えることができる。
自己の瞑想をもとにして考えると、三千世界が見えてくる。彼らの世界観が宗教的になる。その内容は、世界の果てにまで展開できる。あんまり世界が多すぎて、心が一向に休まらない。何か解脱の方法はないものか。

英米人も、時制が有るので、非現実の内容を考えることができる。
自己の経験をもとにして考えると、非現実の内容が見えてくる。原子が互いに手を取り合って分子を作っている有様が見えてくる。彼らの世界観が科学的になる。その内容は、極微の世界から宇宙の果てまで展開できる。ビッグ・バンは、本当にあったのか。

日本人は、時制が無いので、非現実を考えることができない。だから、自らの思想 (世界観) を持っていない。内なる自らの基準 (非現実) を考え出すことができないでいる。基準を持たずに相手の主張を非難する作業に終始する。インド人や英米人の話す態度は、見てきたような嘘をついていることに変わりない。かくして世の中に激論を巻き起こす。頭でっかち・曲学阿世ということかな。

日本人は科学を勉強しても科学的な人間にはならない。科学は非現実の内容で成り立つ学問である。このことも日本人には理解できない。非現実の内容であれば、書き換え・訂正が可能である。それで、科学は進歩する。人類も進歩する。他のアニマル達とは違うところである。

イザヤ・ベンダサンは、自著 <日本教徒>の中で、議論のできない日本人について次の様に述べています。

、、、、だが彼 [ハビヤン] は常に、その「破棄した部分」しか口にせず、その「内なる自らの基準」は明示していないのである。これは、、、、、今の日本人も同じであって、「反論」はできるが、その反論の基準となっている自らの思想を理論的・体系的に明示せよと要求すると、できなくなってしまう。従って日本人には論争は不可能である。だがそれでいてこの状態を日本人は"科学的”と考える。、、、、(引用終り)

本人は、内なる自らの基準を持たないのであるから、自己に関する他人の勝手な解釈を放置している。
内心では、その勝手な解釈が自分に有利に作用することを期待しているが、そうでないと判れば、反論する。
ただ、それだけのことで終わる。建設的なことは何も出てこない。

特亜三国 (日本・韓国・中国)は、ともに時制の無い言語を持つ。だから、人々に考え (非現実) の内容がない。
小異を捨てて、大同につくというけれど、小異 (現実) が有って、大同 (非現実) が無い。
だから、北東アジアにパクリ文化圏を形成して、小異の争いに専念する。やむを得ない自衛の措置が増加する。

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