人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

松竹新喜劇(3)

2021-05-01 05:00:00 | Weblog

昭和40年代後半、毎夏、松竹新喜劇が新橋演舞場にやってきた。

私は毎年観に行った。昭和49年などは、昼の部と夜の部の両方に
通ったものだ。

当時、この新橋演舞場に来ていた観客を40代から60代とすれば、
それは大正から昭和一桁生まれの人々だったのではないかしらん。

当時の松竹新喜劇は、「義理と人情」が今よりもいささか濃かっ
た時代に、それらの世代に支えられていたというか、それらの世
代とともにあった、と言えるのかもしれない。

男性陣では藤山寛美、小島慶四郎、小島秀哉等がそろっていた。
小島秀哉が退団するのは昭和52年である。


一度、天外と寛美の『桂春団治』を生で観たかった。



昭和48、49、50年のプログラム。

梅田花月のことを書いたら、Mさんが閉館した時の情報を知らせ
てくれた(→こちら)。


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2 コメント

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松竹新喜劇 (sho)
2021-05-01 21:50:21
昭和51年、道頓堀の中座を貸し切り松竹新喜劇観劇招待を行いました。藤山寛美が会社の宣伝をしてくれたのが懐かしいです。その後はテレビで観てましたね。道頓堀は今の昔の賑わいを残してますが、今回のコロナ感染だけは心配です。
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Re;松竹新喜劇 (katsura1125)
2021-05-02 06:27:48
shoさん、早速のコメント有難うございます。
大阪というとテレビに必ず映る「道頓堀」ですね~。今は取り壊された「中座」も懐かしいですネ~。
中座の客席数は1,000余りだったとここと。貸し切り料は数百万円だったでしょうか?+お土産代?
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