人生ブンダバー

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「脱亜論」再び (Memo)

2024-09-15 05:00:00 | 読書

今年、福沢諭吉に関連する本が2冊出版された。

『藤原正彦の代表的日本人』と中村敏子『福沢諭吉』だ。

前者藤原正彦に、「誤解もされやすい諭吉の真意」として「脱亜
論」が分かりやすく要約されている。

「・・・・・・例えば諭吉の『脱亜論』である。これは明治18年に『時事新報』の社
説として書いた、たった二千字ほどの文章である。要約すると、『中国や朝鮮
の近代化を待って、一緒にアジアを振興し、西洋による植民地化を免れようと
してきたが、もう待てない。悪友と仲良くしていると日本にまで悪い評判が立
ってしまうから悪友を謝絶すべし』というものだ」(藤原p146)



丸山眞男(福沢諭吉の「脱亜論」とその周辺1990/9 『丸山眞男
話文集4』)によれば

「脱亜論」:M18(1885)/3/16『時事新報』社説について
〇それ以後、「脱亜」という言葉を一度も使っていない。
〇「脱亜入欧」という言葉を、福沢は他でも<一度も>使ってい
 ない。

・しかるに、明治20年、鈴木券太郎主筆の『山陽新報』社説には「脱亜入欧」
 という言葉が三度出てくる。


「彼(福沢)は非常に鬼面人を驚かす。ショッキングな表現を好む人であり、
それだけに、そこが浮き上がってしまって、全体の文脈の中でその言葉を理解
するということよりは、その言葉だけがバカに強調される。それで福沢の思想
が誤解されることがよく起こります」(丸山)

 (注)小泉信三もいわゆる「楠公権助論」についていわく

 「福沢は当り障りのないことをいうに甘んぜず、しばしば求めて当り障りの
 強いことをいい、いわば曲った弓をためるため、常にこれを反対の方向に曲
 げることをいとわぬ警世者であった」(小泉『福沢諭吉』)


丸山による整理
『福沢諭吉全集』は戦前に三度刊行されている。
1.生前に 5巻本
2.大正版10巻 石川幹明編集
3.昭和版(続)7巻 〃 「脱亜論」初めて掲載

戦後は
4.昭和26-27年版 『選集』8巻 「脱亜論」なし
5.昭和32-46年版 「脱亜論」あり
(福沢諭吉の「脱亜論」とその周辺1990/9 『丸山眞男話文集
4』) 


(参考)「福沢諭吉と『脱亜論』」→こちら


『藤原正彦の代表的日本人』(2024)
中村敏子『福沢諭吉』(2024)


丸山眞男『話文集4』


内村鑑三『代表的日本人』 名著!
上杉鷹山は藤原正彦も取り上げている。

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9/14 総裁選候補者討論会(日本記者クラブ主催)
私は典型的な「無党派」だが・・・・・・

・皆さんまことに論客(!)ぞろい。質問の理解も、想定内か?、
早い。
政治資金、経済、社会保障、防衛・安全保障、外交等々広範囲の
問題にすらすら答える(はたして野党[立民党]に、鋭い裏金批
判はできるとも、かくのごとく広いスパンで答えられるか?)。

・質問する側では、毎日新聞の女性論説委員S氏は、〇×では評
価しないが、押しは強い半面、いささか(言い方が)感情的で、
思い込みが強い?レベルはあまり高くない?

・小泉氏は、解雇規制問題、選択式夫婦別姓問題で、自民党内で
先走り???


(参考 「8世紀の日本」では)
「家族のあり方は今日と違い、結婚はまず男性が女性の家に通う妻問婚に始ま
り、夫婦としていずれかの父母のもとで生活し、やがてみずからの家をもった。
夫婦は結婚しても別姓のままで、また、各々の財産をもっていた。生業の分担
や子どもの養育などの面で、女性の発言力が強かったとみられる。」(山川
『詳説日本史探究』)


〇敏いとうさん(84)が死去。
 「わたし祈ってます」は、50年前の昭和49(1974)年。

〇中国で農業農村相が解任。(注目ニュース)


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