高校3年の秋に担任O先生(*)の進学面接があった。私は、志望校として私立大
学のほかに何を思ったか東京外語大学のロシア語科をあげた。AからE、5段階の
先生の判定だったが、私立大学のBとかCはともかくとして、東京外語ロシア語科
はD判定望み薄で、結局受験しなかった。
もしそこに現役で受かっていたら、ロシア語ペラペラの米原万里さん(**)と同
級になっていた。現在の東外大学長の亀山郁夫さんはそれよりもう少し先輩になる
というわけだ。
(*)O先生は英語の先生だった。走り幅跳びをやっておられ、東京五輪の前年に
日本最高を記録しておられたが、なぜか代表選手には選ばれなかった。
(**)米原万里さんは平成18(2006)年、残念ながら若くして癌で亡くなった。
さて、最近フョールド・ドストエフスキーが、「ドストエフスキー何年」というわ
けでもないのになぜかブームである。亀山郁夫さんが訳した『カラマーゾフの兄
弟』が出版された頃からかしらん。そもそも私は世界文学全集を読んだことがな
い。(少年用の『白鯨』がいいところ。)
『カラマーゾフの兄弟』は、登場人物の一覧表を手元に置いておかないと覚えられ
ないが、一度挑戦してみたい。--どの版、岩波文庫、新潮文庫、光文社古典新訳
文庫で読むか迷うところだが・・・・・・。
なお、東外大ロシア語科の合格可能性について、O先生の判定がDだったのは、今
にして思うと「やめとけ」ということだったのかもしれない。O先生が私の目の前
でD判定を書いた時、先生がニヤリとしたように感じたが、いつか先生に訳を聞い
てみたい。O先生は現在75歳くらい、ご存命である。
学のほかに何を思ったか東京外語大学のロシア語科をあげた。AからE、5段階の
先生の判定だったが、私立大学のBとかCはともかくとして、東京外語ロシア語科
はD判定望み薄で、結局受験しなかった。
もしそこに現役で受かっていたら、ロシア語ペラペラの米原万里さん(**)と同
級になっていた。現在の東外大学長の亀山郁夫さんはそれよりもう少し先輩になる
というわけだ。
(*)O先生は英語の先生だった。走り幅跳びをやっておられ、東京五輪の前年に
日本最高を記録しておられたが、なぜか代表選手には選ばれなかった。
(**)米原万里さんは平成18(2006)年、残念ながら若くして癌で亡くなった。
さて、最近フョールド・ドストエフスキーが、「ドストエフスキー何年」というわ
けでもないのになぜかブームである。亀山郁夫さんが訳した『カラマーゾフの兄
弟』が出版された頃からかしらん。そもそも私は世界文学全集を読んだことがな
い。(少年用の『白鯨』がいいところ。)
『カラマーゾフの兄弟』は、登場人物の一覧表を手元に置いておかないと覚えられ
ないが、一度挑戦してみたい。--どの版、岩波文庫、新潮文庫、光文社古典新訳
文庫で読むか迷うところだが・・・・・・。
なお、東外大ロシア語科の合格可能性について、O先生の判定がDだったのは、今
にして思うと「やめとけ」ということだったのかもしれない。O先生が私の目の前
でD判定を書いた時、先生がニヤリとしたように感じたが、いつか先生に訳を聞い
てみたい。O先生は現在75歳くらい、ご存命である。
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