人生ブンダバー

読書と音楽を中心に綴っていきます。
現在は、暇に飽かして、日々更新。

3/4 北村協一先生墓参会

2018-03-07 06:50:00 | Weblog

3月4日(日)、晴れてポカポカ陽気、何よりの日、ワグネルOB「有
志」で北村協一先生の墓参会へ(ワグネルの墓参会はいつも晴れる?)。

北村先生のご出身は関西だが、小田急線生田の春秋苑に北村家のお墓
がある。

10時45分に生田駅北口の春秋苑送迎バス乗り場集合だ。私は10時には
生田駅に到着、バス乗り場を下見した後、北口のドトールで一服して
いるとまもなく吉川会長がやってこられた。

「年寄り」というか高齢者は、「経験上」何かあったらいけないとい
う気持ちが働くせいかどうか、皆さん出足が早い。「5分前集合」なら
ぬ「15分前(以上)集合」である。

10時45分までには全員集合し、バス乗り場へ。ほかの方々もおられた
ので乗り切れるか心配したが、送迎のマイクロバスは20人ほど乗れる
ようで問題なかった。

管理事務所でお墓の場所の「地図」をもらい、いざお墓へ。やや迷った
が、無事に到着。
墓前にお花を捧げ、年次順にお参り。続いて、北村先生に編曲いただい
た「若き血」と「慶應讃歌」の献奏を行った。北村先生が「よく来たネ」
と言っておられる顔が浮かんだ。

その後、生田から登戸へ移動。中華の「鮮藍坊」にて昼食会。飲み放題
付き4,700円/人にしたが、盛り上がったので元は取ったかしらん(笑)
(ちなみに紹興酒が売れていた)。
皆さんからお一人2~3分(+α)で「北村先生の思い出」のスピーチ。
--初めて聞くお話ばかりだった。

(私の思い出スピーチ)
 私自身は、北村先生とお話したことはありませんでしたが、先生に
 指揮していただいた六連合同演奏の「黙示」、「魚拓」(語り;若
 杉弘)--演奏後、吉川さんがよかったよ~と言っておられたこと
 も忘れられない。練習では集中していなかった、某大学の学生が北
 村先生に「ミスターっ!」と叱られていた)、OB四連第1回の合
 同「月光とピエロ」(最初の練習で出来上がった)は、練習風景を
 含め、よく覚えております。

<ご参考>北村協一先生 プロフィール(抜粋)
昭和6(1931)年9月9日生まれ 平成18(2006)年3月13日没
昭和29(1954)年関西学院大学経済学部卒業
昭和30(1955)年~昭和52年(断続的に)ワグネル女声合唱団指揮
 者
昭和34(1959)年第84回ワグネル男声定演指揮
昭和45(1970)年ワグネルOG合唱団が発足し指揮者に(逝去される
 まで)
昭和60(1985)年~平成14(2002)年 継続的にワグネル男声定演
 客演指揮者
平成13(2001)年特選塾員
OB合唱団でも数多くのステージを指揮いただいた。



9:25 大場町より小田急バスで新百合ヶ丘へ


9:50 新百合ヶ丘


9:51


9:57


10:00 改札(一つしかない)を出たら左へ


10:02 
JAセレサ川崎前より送迎バスが出る。ちょうど10時のバスが出て行
ったところ(見えるかしらん?)。


10:05 北口にあるドトール


10:08


10:36 改札口へ戻り「待機」


11:01 マイクロバスがやってきた。


11:08 5、6分で到着。近くていいですね~。


11:17


11:18


11:18


11:23 


11:26 田中さん指揮の「若き血」


11:29 蒲地さん指揮の「慶應讃歌」


11:45


11:52


11:58 生田の団地


12:04 生田駅前に戻る。


12:05 吉川さんが「宴会承ります」を見つけた。


12:08 生田駅PH


12:13 登戸駅


12:17 昼食会の場所--「鮮藍坊」


12:25 吉川会長の音頭で献杯 「飲み放題」がスタート


12:35


12:39


13:28 大ご馳走


13:43


14:10 記念撮影


14:15 登戸駅前にて解散。

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