人生ブンダバー

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5/8 ラウンジ懇話会「日本歌曲を観賞しよう--橋本國彦 没後70年」

2019-05-13 06:20:00 | ラウンジ懇話会

5月8日(水)、ラウンジ懇話会。3か月に一度の「日本歌曲を観賞し
よう」。はや10回目だ。

--20世紀生まれの天才、橋本國彦を取り上げた。

今回は、Sさんのご好意で拝借したBOSEシステムでの鑑賞だ。


橋本國彦は、明治37(1904)年に生まれ、昭和24(1949)年に胃が
んで亡くなっている。まだ44歳だった。

木下保先生と同世代、1歳違い。東京音楽学校教授の同僚だ。
昭和9~12年、文部省派遣でウィーン留学。

團伊玖磨(S17東京音楽学校入学、以下同じ)、芥川也寸志(S18)、
矢代秋雄(S20)、黛敏郎(S20)の「先生」にあたる。
第二次大戦後、東京音楽学校を退職。

畑中良輔先生の『音楽青年誕生物語』(p42)には橋本教授の授業の話
が出てくる(今回、当該箇所を朗読した)。

藍川由美さんに言わせれば、
「単に、『お菓子と娘』やラジオ歌謡の作曲家としてしかとらえられな
いようでは、日本の文化レヴェルはあまりにお粗末すぎる」
ということになる。


懇話会では言わなかったが、私が小学校、中学校と通った学校の校歌は、
昭和23(1948)年、橋本國彦の作曲だ(作詩は石川達三。むろん今で
も暗譜で歌える)。→こちら
 

当日の「プログラム」(--作曲年代順に聴く)。

     曲名 作曲(発表)年  年齢   作詩
1 垣の壊れ 大正14 1925  21 北原白秋
2 なやましき晩夏の日に 大正14 1925  21 北原白秋
3 牡丹 大正14 1925  21 北原白秋
4 薄いなさけに 大正14 1925  21 北原白秋
5 巴里の雪 大正14 1925  21 西條八十
6 薊(あざみ)の花 昭和3 1928  24 北原白秋
7 お菓子と娘 昭和3 1928  24 西條八十
8 城ケ島の雨 昭和3 1928  24 北原白秋
9 黴(かび) 昭和3 1928  24 深尾須磨子
10 斑猫(はんみょう) 昭和3 1928  24 深尾須磨子
11 親芋子芋 昭和4 1929  25 浜田広介
12 あぶくなら 昭和4 1929  25 浜田広介
13 お六娘 昭和4 1929  25 林柳波
14 旅役者 昭和4 1929  25 北原白秋
15 百姓唄 昭和4 1929  25 北原白秋
16 富士山見たら 昭和4 1929  25 久保田宵二
17 昭和4 1929  25 深尾須磨子
18 田植唄 昭和5 1930  26 林柳波
19 幌馬車 昭和6 1931  27 西條八十
20 スキーの歌 昭和7 1931  27 林柳波
21 母の歌 昭和12 1937  33 板谷節子
22 朝はどこから 昭和21 1946  42 森まさる
23 乙女雲 昭和23 1948  44 藤浦恍
24 アカシヤの花 昭和23 1948  44 松坂直美


歌手は、藤原義江(1898-1976)、立川清登(1929-1985)、関
定子、藍川由美(1956-)、福井敬(1962-)、澤畑恵美、米良美
一(1971-)というそうそうたるメンバー。

上記1~20の名作、傑作が、橋本國彦20代の作品であることに驚かさ
れる。
深尾須磨子の作詩による「舞」は演奏時間9分(藍川盤では9分35秒)
の大作だ。



さて、次回は誰を取り上げようかしらん。

 


9:35 この日は雲一つない快晴


9:38 三丁目公園で一休み


9:41


9:43


9:58 まもなく「開演」


10:04 「橋本國彦とは」


10:21


11:56 時間いっぱいで終了

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