先のブログ記事に掲載した資料1〔=社会保障給付費の見通し〕によると、2025年度の構成比について、「年金」・「医療」・「介護」には若干の変動があるが、「子ども子育て」と「その他」には殆ど変化がない。そのブログ記事の資料2〔=人口ピラミッドの変化(1990~2060年)〕で示されている人口構成推移を見ると、若年層の人口構成比が減っているので、財政配分が増えないことも仕方ないと思われるかもしれない。
しかし、本当にそうだろうか。政府は本年4月に発表した『待機児童解消加速化プラン』に基づき、待機児童解消を強力に進める予定だが、そういう状況下であってさえ、社会保障財政の配分があまりにも高齢者向けに偏重したまま推移する見通しを立てざるを得ないのは何故なのだろうか。
別のブログ記事に書いたが、その理由は下の資料〔=全国待機児童マップ(都道府県別)〕を見ればすぐに気付く。待機児童対策も含めた子ども子育て政策が高齢者向け社会保障政策に比して著しく冷遇されてきたのは、待機児童対策など保育政策が都市対策の一つとしてしか捉えられていないからだ。
これでは待機児童対策を進めようとの政治的機運が全国大で起こる訳がない。下の資料の白地部分にある地方の地方議員や自治体職員からは、待機児童対策は自分たちには関係ない、との声をしばしば聴く。これがこの国の一つの政治の姿でもあり、根源的には選挙制度の在り方に行き着く問題となる。
「子ども子育て」への冷遇を続けることは、社会保障制度を支える世代を支えない社会保障制度を続けることに他ならない。子どもたちは親のために生きているわけではない。
<資料>
(出所:厚生労働省資料)