ローマ8・12~17/ペンテコステ/聖霊降臨祭主日/伝道聖餐礼拝
パウロは未だ会ったことのない「ローマにいるすべての神に愛されている人々、召された聖徒たちへ」(1・7)、「兄弟たち」と呼びかけます。兄弟とは、聖霊により、イエスを神の御子キリストと告白し、神の子どもとして召され、神を父とし、イエスを長子(8・29)とする神の家・教会に加えられた神の家族・キリスト者です。御霊により、神の子どもとされたキリスト者には、肉に対してではなく、御霊に対しての責任があります。肉に対する責任とは、「神に対して反抗する・・・・・・肉に従って生きることです」(7と13)。そうするなら「あなたがたは死ぬのです」。一方、御霊に対する責任とは「御霊によって、体の行ない(照ガラテヤ5・19~21)を殺す」生き方であり、神に喜び服従する生き方です。その時「あなたがたは生きるのです」。パウロは自分の努力によって「体の(悪い)行ない・仕業」を「殺そう・絶とう」としました。しかし、体の欲する悪い行ないに打ち克つことはできませんでした。この惨めな罪の奴隷、死の体から、神はイエス・キリストのゆえに、パウロを救い出し、罪と死の原理から解放してくださったのでした(7・15~8・2)。ですからパウロは、聖霊によりイエス・キリストを信じ救われた私たちは、自分の力で体の悪い行ないを絶とうという肉による自分勝手な生き方を止め、御霊の働きによって、体の行ないを殺し続ける生き方をする責任があるというのです(照ガラテヤ5・16~24)。
そのように神の御霊に導かれる人は誰でも皆、神の子どもなのです(14)。この神の霊(御霊)は、人を再び恐れに陥らせ、奴隷とする霊(考・霊能者の言葉/この世の価値観等の諸霊)ではありません。私たちを諸霊の恐怖から解放し、「神の子とする御霊」です。「子とする」という言葉(15/照23、9・4、ガラテヤ4・5、エペソ1・5)は養子縁組に用いられた言葉です。私たちは、聖霊によってイエス・キリストを信じた時、神の養子とされ、神の子どもとして受け入れられ、神の家族とされたのです。「アバ」とは子どもが父親に対して親しみを込めて呼びかける言葉です(照マルコ14・36、ガラテヤ4・6/主の祈り)。イエス・キリストを信じ、救われ、神の子どもとされた私たちは、その時から罪を裁かれる義なる神を、御霊によって「アバ、父」と呼ぶ者とされたのです(15)。さらに、「御霊ご自身が私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます」(16 照ガラテヤ4・5~7)。
キリストと共に、神を「アバ、父」と呼ぶ神の子どもとされた私たちは、キリストと共に苦しむなら、キリストの栄光をも共に受けるキリストと共同の神の相続人です(17)。将来に受ける栄光の相続とは、神の(養)子とされた私たちが、長子である御子の姿に似た者とされる栄光です(8・27~30)。その時「私たちの体は贖われ」(23)、即ち身体的生命から最終的に救われ、私たちに永遠のいのち、神の子の身分が完全に実現されるのです。
二千年前のペンテコステの日に世に来られた御霊は、今も、私たちに罪・義・裁きについて語りかけ、イエス・キリストを信じ、救われるように招いておられます。きょうが、あなたに聖霊が降臨される祝日となりなすように。

パウロは未だ会ったことのない「ローマにいるすべての神に愛されている人々、召された聖徒たちへ」(1・7)、「兄弟たち」と呼びかけます。兄弟とは、聖霊により、イエスを神の御子キリストと告白し、神の子どもとして召され、神を父とし、イエスを長子(8・29)とする神の家・教会に加えられた神の家族・キリスト者です。御霊により、神の子どもとされたキリスト者には、肉に対してではなく、御霊に対しての責任があります。肉に対する責任とは、「神に対して反抗する・・・・・・肉に従って生きることです」(7と13)。そうするなら「あなたがたは死ぬのです」。一方、御霊に対する責任とは「御霊によって、体の行ない(照ガラテヤ5・19~21)を殺す」生き方であり、神に喜び服従する生き方です。その時「あなたがたは生きるのです」。パウロは自分の努力によって「体の(悪い)行ない・仕業」を「殺そう・絶とう」としました。しかし、体の欲する悪い行ないに打ち克つことはできませんでした。この惨めな罪の奴隷、死の体から、神はイエス・キリストのゆえに、パウロを救い出し、罪と死の原理から解放してくださったのでした(7・15~8・2)。ですからパウロは、聖霊によりイエス・キリストを信じ救われた私たちは、自分の力で体の悪い行ないを絶とうという肉による自分勝手な生き方を止め、御霊の働きによって、体の行ないを殺し続ける生き方をする責任があるというのです(照ガラテヤ5・16~24)。
そのように神の御霊に導かれる人は誰でも皆、神の子どもなのです(14)。この神の霊(御霊)は、人を再び恐れに陥らせ、奴隷とする霊(考・霊能者の言葉/この世の価値観等の諸霊)ではありません。私たちを諸霊の恐怖から解放し、「神の子とする御霊」です。「子とする」という言葉(15/照23、9・4、ガラテヤ4・5、エペソ1・5)は養子縁組に用いられた言葉です。私たちは、聖霊によってイエス・キリストを信じた時、神の養子とされ、神の子どもとして受け入れられ、神の家族とされたのです。「アバ」とは子どもが父親に対して親しみを込めて呼びかける言葉です(照マルコ14・36、ガラテヤ4・6/主の祈り)。イエス・キリストを信じ、救われ、神の子どもとされた私たちは、その時から罪を裁かれる義なる神を、御霊によって「アバ、父」と呼ぶ者とされたのです(15)。さらに、「御霊ご自身が私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます」(16 照ガラテヤ4・5~7)。
キリストと共に、神を「アバ、父」と呼ぶ神の子どもとされた私たちは、キリストと共に苦しむなら、キリストの栄光をも共に受けるキリストと共同の神の相続人です(17)。将来に受ける栄光の相続とは、神の(養)子とされた私たちが、長子である御子の姿に似た者とされる栄光です(8・27~30)。その時「私たちの体は贖われ」(23)、即ち身体的生命から最終的に救われ、私たちに永遠のいのち、神の子の身分が完全に実現されるのです。
二千年前のペンテコステの日に世に来られた御霊は、今も、私たちに罪・義・裁きについて語りかけ、イエス・キリストを信じ、救われるように招いておられます。きょうが、あなたに聖霊が降臨される祝日となりなすように。
