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香柏だより

福岡市東区の香椎バプテスト教会です。
聖書の言葉には、ひとを生かす力があります。
礼拝では手話通訳もあります。

タリタ・クミ

2008年06月15日 | 説教要旨・イエスの生涯
マルコ5・21~24,35~43/イエスの生涯(15)/父の日

ユダヤ人の礼拝の場であり、地域社会のセンターであった会堂(シナゴーグ)はパリサイ派律法学者が指導する一般のユダヤ教徒の組織でした。その会堂の長老の中から選ばれた数名の管理者は礼拝や建物を監督、管理しました。そのようなユダヤ社会の要職にあったヤイロは、重篤な病状の娘の癒しのために、パリサイ人の目をも恐れずイエスの許に出向き、その足もとにひれ伏して懸命に娘が直って、生きるようにして下さいと願った。きょう父の日です。子どもにとって父親とはどんな存在なのでしょうか。ヤイロのように必死の思いで子どもがキリストの恵みにより救われ、生きるように祈る父親でありたいと願います。

そこで、イエスはヤイロと一緒に出かけて行かれた。するとそこに十二年間も出血の止まらない不浄の女(レビ15・25~27)が、群集に紛れ込み、イエスの服に触った。すると、すぐに出血が全く止まり病気が直ったことを体に感じた。イエスも十分の内から力が出て行ったことを感じ、誰が自分に触れたか周りの群集に問われると、女は震えながら全てありのまゝに話した。そこでイエスは女に「娘よ。あなたの信仰があなたを直した(救った)。安心して帰りなさい。病気にかからず、健やかでいなさい」と言われた。

この間、ヤイロは気が気でなく、心中は穏やかでなかったであろう。はたしてイエスがまだ女と話しておられるとき、家から人が来て、「お嬢さんは亡くなりました。もう先生を煩わすには及ばないでしょう」と告げた。その話しを聞いて、そしてヤイロの心中の思いを察して、イエスは彼に「恐れないで、ただ信じていなさい」と言われた。

そして三人の愛弟子だけを連れ、ヤイロの家に着かれた。泣き喚く人々に「子供は死んだのではない。眠っているのです」と言われた(照ヨハ11・11/Ⅰテサ4・13~14)。イエスにとり死は終りではなく、新たな生命、新しい世界に目覚める朝までの眠りなのです。

イエスは両親と三人の弟子だけを連れて、子供のいる所へ入って行き、その手をとって「タリタ・クミ(少女よ立て)」と言われた。すると少女はすぐに起き上がり、歩きだした。人々は非常な驚きに包まれた。

人の手立てではもはや如何ともしがたい状況の中で、ヤイロは一縷の望みをイエスに託した。しかし、その希望が潰え去ったと思われ、絶望の淵に沈みかけたヤイロに、イエスは「恐れないで、ただ信じ続けよ」と言われた。その主イエスが死んだ娘に「タリタ・クミ」と言われると娘は生き返った。神のことばであるイエス・キリストの約束(ことば)は真実であり、必ず果たされる。信仰とは語られたように事を実現される神が、罪に翻弄され、死に脅かされている《私》に目を留めていて下さることを知り、恐れと絶望の中でこのイエス・キリストに助け・救いを願い求め、受け取ることです。「タリタ・クミ(少女よ立て)」と響き渡ったイエスの力強い御声を今日、私たちも聞くことができますように、そして生きることができますように。

嵐を静める

2008年06月08日 | 説教要旨・イエスの生涯
マルコ4・35~5・1/イエスの生涯(14)

三方を山に囲まれた南北20㎞、東西12㎞の竪琴の形をしたガリラヤ湖は時として突然の嵐に見舞われることがあるという。その湖畔で舟に乗って大勢の群集にみことばを教えられた(4・1)「その日の夕方になって、イエスは弟子たちに『さあ、向こう岸へ渡ろう』と言われた」。弟子たちは「イエスを舟に乗せたまゝ漕ぎ出した」(共)。すると激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水浸しになった。この湖の漁師であった弟子たちではあったが、死の恐怖を覚え、舟の艫の方で枕をして眠っておられるイエスを起こして「先生、私たちが溺れ死んでもかまわないのですか」と非難がましく言った。イエスは起き上がり、風を叱り、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風は止み、大凪になった。弟子たちは非常に畏れて「風や湖までが言うことをきくとは、いったいこの方はどなたなのだろう」と言った。

天地万物の創造に際し、第三日目に神が「天の下の水は一つ所に集まれ」と言われると「そのようになった」。そして、そこを海と名づけられ、境を定め、それを越えないように命じられた(創1・9~10、ヨブ38・8~11)。しかし、人間の堕落の結果、土地(自然界)は呪われ、悪魔(霊界)は神に敵対し、人は死ぬべき存在となった(創3章)。精神的、霊的な問題、社会的な悲惨、肉体的な苦痛、自然の災害等の根本原因は人間が神の言葉を信ぜず、自ら神のようになろうとした罪にあると聖書は言っているのです。

今、神に敵対し、牙を剥く湖と風に、主イエスが「黙れ、静まれ」と命ぜられると、風と湖は聞き従います。5・1~20には悪霊に取りつかれた人のいやしが、5・21~43には長血の女性の癒しとヤイロの娘の甦りが記されます。こうしてマルコはイエスが自然界、霊界、病気や死に対しても権威を持たれるお方であることを伝えているのです。それ故、マルコは「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」(1・1)と書き出し、「この方はどなただろう」と訝る弟子たちに、十字架上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫び、息を引き取られたイエスを正面から見上げていたローマ軍の百人隊長の言葉「この方はまことに神の子であった「(15・34~39)をもって、お語りになった通りに事を実現される「この方」(照イザ55・11/マコ5・13・34、41)は「神の子である」と証ししているのです。

私たちキリスト者も人生の嵐に遭い、己を見失い、どうして神は私をこんな目に・・・・・・、私がどうなってもかまわないのですか・・・・・・と不信仰から呟きやすい者です。そのような時にこそ同船したもう神の子キリストを、特に私たちの罪をご自身に負い、父より見捨てられ、私たちを贖い、「父よ、彼らを赦したまえ」と祈り、救いの御業を完成して息を引き取られた十字架上のキリストを仰ぎ、そのおことばを聞きましょう。その時すさまじい罪の嵐の中にあってもイエスの平安(ヨハ14・29・20・19)があなたがたの心を満たすのです。「この苦しみの時に彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。主があらしを静めると、波はないだ。波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた」(詩107・23~30)。

安息日は人のために

2008年06月01日 | 説教要旨・イエスの生涯
マルコ2・23~28/イエスの生涯(13)/聖餐式

神は六日の間に天地万物を創造し、祝福し、聖別し、七日目は安息された(創2・1~3)。そこからモーセ十戒の第四戒に「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ・・・・・・」とお命じになっています(出エ20・8~11/同31・13~17、申5・12~15)。同時に安息日は「あなたの牛やろばが休み、女奴隷の子や寄留者が元気を回復するためである」(出エ23・12共)。安息日は神が天地を創造したことを記念し、またイスラエルの民が奴隷から解放され、神の民とされたことを覚え、日常の仕事から離れ、家族(家の内にいるもの)や友人と共に楽しく過ごす喜びの日なのです。

ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めました。するとパリサイ人たちがイエスに「ご覧なさい。なぜ彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と詰問しました。律法は「隣人の畑に入るとき、手で穂を摘んでもよいが、その麦畑で鎌を使ってはならない」(申23・24~25)と貧しい人々への配慮を記しています。パリサイ人たちは弟子たちが「安息日にしてはならない仕事(収穫と脱穀)をした、とイエスを難詰したのです。

BC6世紀、バビロニア帝国によりイスラエルは滅ぼされ、神殿は破壊され、ダビデ王朝は終焉を迎え、民は遠く異国に捕え移されました。全てを失ったイスラエルに残ったものは先祖伝来の神のことばでした。彼らは神の民のしるしとして見える律法、割礼と安息日を重視しました。こうして律法中心のユダヤ教が成立していきました。BC2世紀のマカベア戦争の時、学者エズラ(エズ7・10他)を信奉し、律法を厳格に遵守しようとして起こったのがパリサイ派でした。彼らは律法を時代に即応させようと努力しました。そして安息日にしてはならない仕事を挙げていきました。現代のユダヤ教はこのパリサイ派の流れです。

パリサイ人の非難に対して、イエスは「ダビデが何をしたか」聖書(Ⅰサム21・1~6)を読んだことがないのかと反問されました。(旧約)聖書はキリストについて証しし(ヨハ5・39)、指し示しています。ダビデが一緒にいた者たちに供えのパンを与えたように、キリストは弟子たちに麦=パンを与えたのです。そして更に言われました。「安息日は人のために創造された。人が安息日のために創造されたのではない。だから人の子は安息日の主でもある」と。この主の言葉は安息日を耐えるべき重荷とするあらゆる律法主義に挑戦し、安息日が創造の完成の日であること、そしてイエスこそ安息日律法の精神を今一度明らかにし、キリスト(教)の安息を創造された人となった神(ダビデの子キリスト)であることを語っています。それゆえ初代教会のキリスト者たちは、十字架にその体(パン)を裂かれた「いのちのパン」であるキリストによる罪の赦しを感謝し、また私たちのからだの復活、即ち、救いの完成の日、創造の完成の日を約束する主の復活された「週の初めの日」をキリスト教の安息日、主日として聖別し、仕事を中断し、その奴隷とならず礼拝を捧げ、聖餐式を行いました(Ⅰコリ16・2、使徒20・7)。

主イエス・キリストは「疲れている人、重荷を負っている人は、だれでもわたしの所に来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます」(マタ11・28)と今日も私たちを招いておられます。

罪人を招くために

2008年05月25日 | 説教要旨・イエスの生涯
マルコ2・13~17/イエスの生涯(12)

ローマ帝国は占領地の習慣・宗教に対しては寛大な政策をとる一方、二通りの税を徴収しました。一つは人頭税(ルカ2・1)、もう一つは通行税でした。アルパヨの子レビ(=マタイ/マタ9・9、10・3)は上ヨルダン川沿いの「湖に向かう道」(マタ4・15)がヘロデ・ピリポの領地ガウラニティスからヘロデ・アンティパスの領土ガリラヤに到るカペナウムの収税所で通行税を徴収していた取税人でした。取税人はローマ帝国に多額の金を支払って収税所の権利を請け負いました。そして、ローマの手先となり同胞から規定以上の税を徴収し私服を肥やす取税人(考ザアカイ、ルカ19・2、8)は、罪人の代表である娼婦と共にユダヤ社会で最も軽蔑嫌悪された人々でした。

主イエスはこのような取税人レビが収税所に座って仕事をしているのをご覧になって「わたしについて来なさい」と招かれました。驚いたのはレビ自身でしょう。世間の嫌われ者で、誰からも相手にされず、イエスのみ許にも行かず、ひたすら金のために仕事中であったレビに、イエスは自ら近づき、正面から声をかけられました。「すると彼は立ち上がって従った」。

こんな自分をもイエスはひとりの人間として受け入れ、弟子として下さったことが嬉しく、レビはイエスを自宅に招き、宴会を催しました。その食卓にはイエスの弟子たち、さらに取税人や罪人たちも大勢席に着いていました。食事を共にすることは親密な交わりを意味するだけでなく、ユダヤ人には神の救いの完成の状態を表わすものでした(照イザ25・6~9、マタ26・29)。罪と汚れから「分離」し、律法を忠実に守り、生きようとしていたパリサイ派の律法学者たちはその様子を見て「なぜあの人は取税人や罪人たちと一緒に食事をするのか」と弟子たちに言いました。彼らにはイエスの行為は全く理解できない、許し難いことであったのです。

それを聞いてイエスは「医者を必要とするのは丈夫な者でなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです」と答えられました。パリサイ人は「自分を義人だと自任し」、罪人・取税人は神の救いから除外された人間と「見下してい」ました(ルカ18・9)。しかし、イエスはこの人々を「医者を必要としている病人」とご覧になっているのです。そして病人に医者が必要であるように、この取税人・罪人に罪の赦し・救いをもたらすためにわたしは来た、と言われたのです。「わたしは罪人を招くために来た」という神が人となった目的を伝えるために、「イエスは罪人や取税人たちと一緒に食事をされた」のです。

私は自分がしたいと思う善を行なわないで、かえってしたくない悪を行なっている救いようのない罪人です。救いようのない惨めな人間、重病人、いや死人です。だからキリストが私に近づき、目を留め、声をかけ、招いて下さるのです。罪を赦し、救って下さるのです(照ロマ7・15~35/ルカ19・10)。

敵を愛しなさい

2008年05月04日 | 説教要旨・イエスの生涯
マタイ5・43~48/聖餐式/イエスの生涯(11)

「敵を愛せよ」と山上の説教で初めて《愛》という言葉の出てくるここは「山上の説教の中で最も中心的な、また最も有名な箇所」(ユダヤ人学者)であり、一般の人もよく知っている聖書箇所です。

敵を憎むことは私たちの自然な感情です。しかし、敵を愛することは生来の人間にはどうあがいても不可能なことです。私たちはこの高遠な倫理的要求の前に絶望するしかないのでしょうか。「敵を愛せよ」と命じられる主イエスは何を言おうとされているのでしょうか。敵を愛するとはどんなことでしょうか。

ここで使われている、愛する(ギ・アガパオー)・愛(アガペー)という言葉は情熱(エロス)や友情(フィリア)のような人間の内に自然に起こってくる愛情とは異なり、いかなる人をも無条件に愛すること、愛そうとの意志をもって愛すること、何ものも挫くことのできない慈愛・善意です。こうしたご自身の愛を神は御子キリストの十字架の死によって明らかにし、不敬虔で敵であった私たちをその血によって義と認め、神と和解させ、救い、神を喜ぶ者として下さいました(ロマ5・1~11)。それゆえ、主イエスが「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」と命ぜられるとき、私たちは自分を磔にし殺す人々を愛し、その赦しを祈られた十字架上の神の子キリストを想わざるをえません(照ルカ23・34)。敵を愛することは私たちが弱く不敬虔な罪人、敵であった時に示されたこの神の愛によるのです。「天の父は《悪い人》にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださいます」。十字架にその体を裂き、血を流されたイエス・キリストを信じ、罪を赦され、義とされ、救われて「天におられる父の子どもになった」私たちの内に与えられた神の愛が、その対象を選ぶことをせず、「敵を愛し、迫害する者のために祈る」ことを可能にさせるのです(ステパノ/使7・60、パウロ/Ⅱテモ4・16、秋葉兄/野の花)。それは「あなたがたが天の父の子となるためです」(新共)。

「だから、あなたがたは天の父が完全なように、完全でありなさい」(照「憐み深い」ルカ6・36、聖/レビ11・45、全き者/創17・1)。完全(ギ・テレイオス)とは人間が修養鍛錬して、完全無欠な人格者になることではありません。この言葉は目的(テロス)という意味です。私たち人間が神のかたちに造られたのは、広く、深い、永遠の愛をもって全ての被造物を愛される完全なお方である神のように生きるためであり、そのとき私たちは完全な者になるというのです。神のかたちに創造されながら罪に堕ち、神に敵対する存在となった人間を、神は変らぬ、揺るがぬ愛をもって救い、神の子どもにして下さいました。悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる神の完全さ、対象を選ばない真実の愛を信頼し、感謝して受け入れることこそが「完全な者」となる唯一の道です。この驚くべき神の愛を十字架において実現して下さった父なる神と主イエス・キリストへの感謝と信仰を深められ、神の子どもとされたことを喜び、人を愛し、人のために祈り、神の栄光を現していけますように。

人間をとる漁師

2008年04月13日 | 説教要旨・イエスの生涯
ルカ5・1~11/イエスの生涯(10)

「ゲネサレ湖」(ここだけ)への人々の関心が深かったことを示すかのように、この湖は「キネレテ湖「(ヨシュア12・3)「ガリラヤ湖・テベリヤ湖」(ヨハネ6・1他)とも呼ばれています。南北20㎞、東西12㎞のハープ型の淡水湖です。

その湖の北岸、上ヨルダン川が湖に流れ込む辺りにあったベツサイダ(漁夫の家)出身のシモンやアンデレたちが初めてイエスに出会ったのは、主がバプテスマを受けられた翌日でした(ヨハネ1・35~44)。その後イエスはガリラヤに帰り、故郷ナザレに行かれましたが村人はイエスを追い出しました。イエスはカペナウムに下り、そこを中心に神の国の福音を宣べ始められました(4・14~31、照マタイ9・1「自分の町」)。こうしてイエスの噂は周辺地方一体に広まりました(4・37)。この朝も、神の言葉を聞こうと群集は押し寄せて来ました。湖畔に立って教えておられたイエスは、シモンに頼んで彼の舟に乗り、少し漕ぎ出させ、舟を講壇にして教えられました。

話が終わるとイエスはシモンに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われました。シモンは夜通し漁をしたが雑魚一匹もとれなかったと言いつつ、「しかし、お言葉どおり網をおろしてみましょう」と、言われた通りにしました。すると二隻の舟に積めないほどの大漁となりました。これを見たシモン・ペテロはイエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は罪深い人間ですから」と叫びましだ。ペテロたちはイエスの力、聖さに触れて初めて自分の罪・汚れの深さを知ったのです。そのシモンに主は「こわがらなくてもよい。あなたは人間をとるようになるのです」と言われました。事を実現することば(照イザヤ55・11)によってシモンをひれ伏させられた主が、そのシモンを神に仕え、人を漁どる働きへと立たせられるのです。それゆえ「彼らは舟を陸に着けると、すべてを捨ててイエスに従った」のです。

ヨハネ21・1~21には、ここと同じような「テベリヤの湖畔」での出来事が記されています。このときより三年後、イエスの十字架と復活後のことです。このことは何を意味しているのでしょうか。主から招かれ、従ったものの、シモンは「下がれ、サタン」と叱責され(マタイ16・23)、また主を三度も否認しました(ルカ22・60)。しかし、主はそのような罪深く、弱く卑怯な裸のシモンをなお憐れみ、自ら近づき「恐れることはない=あなたの罪は赦されている」と言い、人間をとる漁師として、主の羊を飼うこと、罪と弱さのゆえに苦しみ悲しむ人々を力づけてやるようにと再度召してくださるお方であることを物語っているのです。

私たちもイエスをキリスト・主と告白しながら、幾度その名を涜し、迷い、主を悲しませたことでしょうか。それにも拘らず、主は忍耐をもって、幾度私たちを招き、立ち直らせて下さったことか。この主の愛と力ある言葉に今一度促され、支えられて、主に従って行きましょう。そして、「お言葉どおり」行い、主の御業を見る者とされるよう信仰を深くされたいと願います。


神の国は近づいた

2008年03月30日 | 説教要旨・イエスの生涯
マルコ1・14~15/マタイ4・12~17/07年度末主日礼拝/イエスの生涯(9)

イエスはガリラヤのナザレからヨルダン川下流に行き、ヨハネからバプテスマを受けられ、そしてすぐ御霊により荒野に追いやられ、サタンの誘惑を受けられました(9~13)。ヨハネが捕らえられたと聞いて、イエスはガリラヤに退かれました。そしてナザレを去って、ゼブルンとナフタリの地方にあるカペナウムに来て住まわれました。それはイザヤの預言9・1~2が実現するためでありました。

イスラエル北部地方、異邦人の国々に囲まれた80㎞×40㎞のガリラヤ地方。その地理的条件がこの地方の歴史を決定しました。エジプトとメソポタミアを結ぶ国際交通路として重要な「海の道」(イザ9・1)はこの狭隘な地を通っていました。そのためこの地は度々大国の軍隊に蹂躙されました。そのためこの地の住民は暗闇の中、死の陰の地に住む人々のように、不安と恐怖の中に生きていました。イザヤの預言は前734~732年のアッシリアのティグラテ・ピレセル三世の侵略を語っていると言われています(照Ⅱ列王15・29)。

「ヨハネが捕らえられて後」(照マタ14・1~13)イエスは神の福音を宣べ伝えられました。旧約最後の預言者ヨハネが捕らえられ、イエスが神の福音を宣べ伝え始められたことは、旧約時代が終り、新約の時代が到来したことを意味します。神の定めた「時が満ち」、決定的な時代が訪れたのです。神の約束を待ち望む時は満ち、今やそれが実現される時がきたのです(照ガラ4・4/ヘブ1・1~2)。

「神の国は近くなった」。このギリシャ語を当時イエスが使っておられたアラム語に訳し直すと「到来した」の意味であるという。神の国・支配は主イエスが来られることによって、私たちの所に到来したのです。私たちの側の思いや行為とは全く関係なく、神が御子キリストによって一方的に近づき、来て下さったのです。

そして招いてくださいます。「悔い改めなさい。そして福音を信じなさい」と。神の御怒りを逃れるための律法的な悔い改め(照マタ3・7~10)ではなく、主イエスは何の功績もない私たちに、何も心配せず、ありのまゝの姿で、心の向きを変えて帰ってきなさい、と恵みの御手を差し伸べて、招いておられるのです。

罪と悪魔に翻弄され、暗闇と死の陰に座し、怖れ戦く私たちの所に神はイエス・キリストの十字架と復活によって来て下さり、「福音を信じなさい」「イエスを信じなさい」(照マコ10・29)と呼びかけておられるのです。私たちに問われていることはこの招きに応じるかどうかです。あの放蕩息子のように慈愛に満ちたイエス・キリストの父なる神の方に心を向け、神の恵みの光の中を、神のみもとに帰り、神の子どもとして、神を喜び、その恵みの中に生きる者となりましょう。

ガリラヤの夜明け。それはその地を覆っていた漆黒の闇が、ゴラン高原に上る太陽によって追いやられ、輝く朝の陽光が広がります。その光景を見て、罪と死の陰に座する私たちの上に臨んだ偉大なる光、イエス・キリストにある神の恵みの光を想い、御国を仰ぎ望まない人はいないでしょう。

イエスの試み

2008年03月02日 | 説教要旨・イエスの生涯
マタイ4・1~11/四旬節(レント)/聖餐式/イエスの生涯(8)

教会暦の四旬節は灰の水曜日に始まる復活祭までの40日間(日曜日を除く)を指します。信者はイエスの荒野での40日間の断食と試みに倣って、その行ないを悔い改め、福音にふさわしい生活をし、復活祭に備えるよう、また復活祭に受洗する人々はその備えをする準備の期間として守られてきました。

ユダヤの荒野で預言していたヨハネからヨルダン川でバプテスマを受け、水から上がられたイエスに聖霊が下り、神は「これはわたしの愛する子」と宣言されました(3章)。

それからイエスは同じ御霊に導かれて(マコ1・12「追いやられた」)悪魔の試みを受けるために荒野に上られました。この記述は、主イエスの御生涯に荒野での試みが必要であったことを意味しています。40日40夜断食したあとで空腹を覚えられたイエスを、悪魔は「あなたが神の子なら」と試みました。このことは受肉した神イエスは私たちと全く同じ人間としての試みを受けられたことを語っています。試練を受けて苦しまれたからこそ、イエスは試みの中にある人々を助けることがおできになるのです(ヘブ2・18)。

パンの問題はいつも切実です。イエスの生きられた世界でも人々はきょうのパンを必死に求めました(マタ6・17、ルカ11・5)。悪魔は人間を救うために人となった神の子に、自分の力で石をパンにしてみよ、と誘惑したのです(考ヨハ6・15)。イエスは「人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る言葉による」(申8・3)と答えられました。エジプトを脱出したイスラエルは荒野でパンに飢えましたが、40年の間、彼らは神によるマナによって養われました(出エ16章)。その故事に言及して答えられたイエスは、ヨハネ6章でイエスご自身こそ天から下って来たいのちのパンであり、このパン(イエス)を食べる(信じる)人は永遠に生きる、と仰言います。人は自分で種蒔き、収穫し、作ったパンで生きるのではなく、神のことばであるキリストによって生きるのです(→聖餐式)。

次に悪魔は神の言葉(詩91・11~12)を引用して、あなたが神の子として神に信頼しているなら、神殿の頂から飛び降りてそれを試し、確かめるように誘惑します。試すことは証拠を求めること、徴を欲することです。キリスト教とは「足が石に打ち当たることのないように」「その手でささえる」奇蹟を行なわないような神は信じないという、人間が神を奴隷とするような御利益宗教ではありません。イエス・キリストを信じるとは神の見えない荒野のような状況の中で、神の愛顧のしるし・奇蹟を求めず、十字架に苦しむ神の子を仰ぎ生きていくことです。

今度は、悪魔はイエスに世の中のすべての国々の栄華を見せ、「ひれ伏して私を拝むなら、すべて与えよう」と言いました。するとイエスは「退け、サタン。あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ」と答えられました(申6・13/受難を諫めたペテロを叱責マタ16・23)。

騙し、試みる存在である悪魔は、神とそのみことばへの疑問や不信を人々に語りかけ、唆し、また人間の罪と欲望を巧みに操り、誘惑し、人間を神から引き離し、神を、十字架と復活のキリストを見えなくさせ、自分を拝ませようとします。私たちはただ神のことば、十字架と復活の福音に信頼し、主の御足跡を十字架を背負って辿り、歩んでいきたいと祈り願います。

イエスのバプテスマ

2008年02月03日 | 説教要旨・イエスの生涯
マタイ3・13~17/聖餐式/イエスの生涯(7)

聖書には、弟子たちの宣教を聞き、人々は心を刺され、罪を認め、イエス・キリストを信じ、悔い改めてバプテスマを受けたことが記されている(使徒2・36~42)が、幼児洗礼の実例は記されていないと、再度バプテスマを受けた人々がいました。その人々は宗教改革時代アナバプテストと軽蔑して呼ばれていました。この人々の影響を受け、オランダから英国に帰った人々が初めてバプテスト教会を組織しました。バプテスト教会は教理においては礼典と教会政治以外は他のプロテスタント教会と一致しています。バプテスマについては信者の浸礼を主張します。聖餐のもつ意味については、パンと葡萄酒が現実のキリストの体や血に変わるという名残りを一切排除し、象徴であるとし、その意味を理解し与るとき恵みがあると主張しました。教会は一人または数人が取り仕切る(監督制/長老制)のではなく、バプテスマを受けた教会員みんなで運営する会衆政治を基本にしました。

「バプテスマ」は「(罪)を洗う」という意味もあります(照使22・16)が、中心的な意味はキリストの死と葬りと復活とひとつになること、即ちキリストと一体となることであり、儀式はそれを象徴するものです(ロマ6・3~5)。バプテスマを受ける時、その人はこれまでの神なしの自己中心の生き方を止め、それ(罪)に対して死に、新しい生き方、キリストを中心とした、キリストとひとつの生活を始めることを表明するのです。

「イエスはヨハネからバプテスマを受けるために、ガリラヤからヨルダンに・・・・・・来られた」。ヨハネはイエスには罪のないことを知っていましたので、そうさせまいとして「私こそあなたからバプテスマを受けるはずです」と言います。それに対し、主イエスは「今はそうさせてもらいたい。このようにしてすべての正しいことを実行するのは、私たちにふさわしいのです」と仰言り、バプテスマをお受けになり、私たちに模範を示されました。バプテスマは正しいこと、神の御心にかなったこと、それゆえ私たちにふさわしいことです。

イエスがバプテスマをお受けになった時、天が開け、御霊が鳩のように下り、「これはわたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ」と御父の声が聞こえました(照17・5)。イエスこそ神の御子であり、神の愛・公義を現わし、私たちを罪から贖い、救って下さる神の選びの僕なのです(照イザ42・1)。そのために「天を裂いて(この世に)降りて来」(照イザ64・1、出エ3・8)、地上で最も低い所、荒野のヨルダン川に身を沈められた御子は、罪のゆえに暗黒の深淵に苦しむ人のその下に在って支えて下さるお方です。さらに御子キリストは私たちの身代わりとして十字架にその体を裂き、血を流し私たちの罪を赦し、救いの業を完成され、天へと私たちを招いて下さいました(考27・51)。

公生涯の初めのバプテスマと終わりの十字架はイエスが天を開き、私たちを御国へと招いて下さった驚くべき救いの御業を語っています。感謝!

神と人とに愛されて

2008年01月13日 | 説教要旨・イエスの生涯
ルカ2・41~52/青年礼拝/イエスの生涯(6)

ルカのみがイエスの降誕記録と「およそ30歳」(3・23)で福音を宣べ伝え始められた記録の間に、12歳の少年イエスの記録を書き留めている(照四福音書)。私たちは「ナザレの村にて主の過ごしし隠れし三十年」(讃123番)のほとんどを知らせれていない。それは福音書がイエスの単なる時計列的な伝記ではなく、「神の子イエス・キリストの福音」(マコ1・1)を伝えるためにか書かれたたものだからです。そのことは神殿での少年イエスの出来事は、キリストの福音に深く関わっていることを意味しています。

パウロは「定めの時が来たので、神はご自分の御子を遣わし、この方を女から生まれた者、また律法の下にある者となさいました」(ガラ4・4)と述べています。罪に堕ちた人類を救うという「原福音」(創3・15)以後の約束を実現するため、神の御子は人間となり、律法を守り行なえず、呪いの下に」ある人間を贖うために、律法を成就し、自ら呪われた者となって、十字架上に罪人を救う御業を完成されました(照ガラ3章、マタ5・17、ヨハ19・30)。このパウロから教え導かれ、最後までパウロの許にいたルカは、律法の子、12歳のイエスの出来事を記録すべきと考えたのであります。

御子は一般にはヨセフとマリアの長男・初子と見なされていました。両親もユダヤ教徒として幼子に8日目に命名し、割礼を施し、六週目に神への奉献式を行ないました(2・21~22)。そして12歳となり、成人式を終え、宗教的行為に対して責任を負う者と見なされるようになったイエスは、エルサレムでの過越祭に参詣する義務があり、上京されました。

祭りの期間が終わって、帰路についた両親は一日路を行った後に、イエスがいないのに気づきました。そして「三日の後に、イエスが神殿で教師たちの真中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた」。驚いた両親が「なぜこんなことを・・・・・・」と言うと、イエスは「わたしが必ず自分の父の家にいることをご存じなかったのですか」と言われた。しかし両親はその意味がわからなかったのでした。

成長と共に、自分の内に大きな使命への意識が芽生え、深まって行ったイエスは「エルサレムに残り」「自分の父の家に当たり前」のように留まり、しかし慎み深く「話を聞いたり、質問された」。48節、50節の言葉は、このようなイエスの成長、神との特別な関係を理解できず、親子の間に緊張関係が生じたことを物語っています。「それからイエスは両親と一緒にナザレに帰り、彼らに仕えて暮らされた。イエスはますます知恵が進み、背丈も大きくなり、神と人とに愛された」(52、40も)。

青春時代、青年時代、それは親との相克の時、親を乗り越える時でもあります。それゆえ家庭に、親子の間に緊張関係が続く時でもあります(考・親離れ・子離れ/結婚・離婚)。人生のその時季を若い人はどう生きるのか。親(大人)はどう対応するのか。イエスが「神と人とに愛され」成長されたこと、母マリアが「これらのことをみな心にとめていた」ことはまことに示唆に富む言葉であります。

立って、幼子と共に

2008年01月06日 | 説教要旨・イエスの生涯
マタイ2・13~23/年頭主日礼拝・聖餐式/イエスの生涯(5)

救い主誕生というすばらしい喜びの知らせを聞き、羊飼いたちは「飼葉桶に寝ておられるみどり子」を礼拝した(ルカ2章)。ひそかに博士たちを呼んだヘロデは、彼らをベツレヘムに送り出した。母マリアと共におられる幼子を礼拝して博士たちは「ヘロデの所へ戻るな」との御告げを受け、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った(2・1~12)。イエス・キリスト降誕という喜ばしい記事の直後に、マタイは「ヘロデの幼児虐殺」という忌わしい残忍な出来事を記している。イドマヤ人であったヘロデはローマの後ろ盾によりBC40年ユダヤの王となったが、36年の治世の間、ユダヤ人からは蔑まれ、自らの正当性に不安を抱き、暗殺の陰謀に悩み、猜疑心に苦しんだ。このヘロデが新しいユダヤ人の王の誕生の噂に「恐れ惑い」ひそかにその殺害を企てたのは特別なことではなかった。

博士たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現われ「立って、幼子とその母を連れ、エジプトに逃げよ・・・・・・ヘロデがこの幼子を捜し出して殺そうとしている」と告げた。「そこでヨセフは立って、夜のうちに幼子とその母をつれてエジプトに立ち退いた」。聖家族のエジプト逃避行である。これはホセア11・1(比・出エ4・22)の預言の成就であると記すマタイは2・20~23「エジプトからの帰還」と共に、キリスト降誕の出来事は、新しいイスラエル、全人類の罪からの救済の歴史の始まりであると告げているのである。

博士たちが戻って来ないことを知ったヘロデは非常に怒り、彼らから確かめておいた時期に基づき、ベツレヘムとその周辺の2歳以下の男の子を、一人残さず殺させた(比・出エ1・16)。マタイはこれもまたエレミヤ31・15の預言の成就であると言う。捕囚となって連れ去られていくイスラエルとユダのため民族の母ラケルが嘆き泣いたように、殺害された幼子の親たちは激しく嘆き悲しんだ。

エジプトにいるヨセフに、主の天使が夢で現われ「立って、幼子とその母を連れ、イスラエルの地に行け。幼子のいのちをねらっていた人々は死んだ」と告げた。そこでヨセフは「立って、幼子とその母を連れて、イスラエルの地に入った」。ヘロデ亡き後、その領土はアケラオ(BC4~AD6/ユダヤ、サマリア、イドマヤ)、アンテパス(BC4~AD39/ガリラヤ、ペレア)ピリポ(BC4~AD34/イツリア、テラコニテ)に分割統治された。父以上に残忍な支配をしたアケラオはアウグストゥスにより追放され、以後ユダヤは皇帝の直轄地として地方総督によって統治された。夢で御告げを受けたヨセフは異邦人の「ガリラヤ地方のナザレという町に行って住んだ」。こうして「彼はナザレ人と呼ばれる」との預言(照イザ11・1、若枝、49・6、残りの者たち)が成就したとマタイは記す。

ルカがマリアの敬虔さと恭順さにおいて救主キリストの誕生が起こったと記すように、マタイはヨセフの神の告知に対する信仰に基づく謙虚さによって旧約の預言が成就していったと記す。クリスマスを祝った私たちも、罪から解放された霊のイスラエルとして、この新しい年、絶えず主のみ声を聞き「立って、幼子と共に」信仰の旅を続けて行きたいと祈り願う。

星に導かれて

2007年12月30日 | 説教要旨・イエスの生涯
マタイ2・1~12/年末主日礼拝/イエスの生涯(4)

二〇〇七年の最後の主日を迎えました。この一年を現わす漢字として「偽」が選ばれました。偽の一字はこの年の日本人が真実なもの、真の価値観を見失い、ひたすらに地上の時間の中での成功や繁栄を求めた利己的な姿を暴き出しています。地球温暖化に伴う異常気象、世界各地の戦争・惨事は理性・科学万能・人間中心主義の現代世界がどこかでその方向性を見失ったことを示唆してはいないでしょうか。今、私たちは「博士たちを先導した星」「その方の星」の導きを必要としています。

「ヘロデ王の時代」、それはローマの庇護の下、エドム人ヘロデがユダヤの王となり、権力をふるい、イスラエルがダビデ・ソロモンの時代の版図を回復し、繁栄した時代でした。また大変な格差社会でしたが、上も下も、大も小も、富も貧も、地上の儚い歓楽に生き、精神的には疲弊していた時代でした。その時代にイエスはお生まれになりました。その時、東方の博士たちがエルサレムにやって来ました。彼らは東の故国で「ユダヤ人の王」の誕生を知らせる「その方の星」を見、その方を礼拝するために、その安定した生活の場を後にして、遙々と危険と困難に満ちた旅をしてエルサレムに辿り着いたのです。彼らの言葉を聞き、ヘロデ王もエルサレムの人々も恐れ惑いました。王は自分の王位が、人々はそれぞれに安定した生活が、新しい王の出現によって脅かされることを恐れ、不安になったのです。そしてこの幼子を拒絶し、排除し、抹殺しようと考えます。王の「キリストはどこで生まれるのか」との問いに対し、祭司長・学者たちは「ユダの地、ベツレヘム」と旧約聖書から答えます。王はまた博士たちから星の出現の時間を突き止め、幼子の年齢を割り出します。そして「私も拝みに行きたいから、幼子のことが詳しくわかったら、知らせて欲しい」と言って送り出しました。王は幼子がキリストであり、礼拝すべき方であること、祭司長・学者たちはキリストがベツレヘムで生まれることを知っていながら、礼拝しようともせず、却って殺害しようとするのです。

博士たちが出かけると、見よ、東方で見た星が現われ、彼らを幼子の許へと導いて行きました。彼らは喜んでその家に入り、幼子を見、ひれ伏して拝み、献げ物をしました。そして神の啓示に従って「別の道を通って自分の国へ帰って行った」のでした。

王も祭司長・学者たちもキリストの誕生とその場所を知りながら、星を見ようとせず、星に導かれることを良しとせず、行って拝もうともしませんでした。人は神の光に照らされ、導かれることなしには、キリストの許に至ることはできないのです。どんな人でも聖霊の照明なしには「イエスはキリストです」と信仰を告白することはできないのです(照マタ16・16、Ⅰコリ12・3)。また、どんな人でもイエスをキリストと信じる人・キリスト者は新しい人とされ、力を与えられ、自分の国、自分に与えられた生活の場、人生の場に帰って行き、そこでインマヌエルの主キリストと共に生きていくのです。

自分の国へ帰る

2007年12月24日 | 説教要旨・イエスの生涯
マタイ伝2・1~12/2007年聖夜燭火讃美礼拝説教

博士とはペルシャの祭司・賢者・学者・魔術師・占い師などの意味を持つ。そこから東方の博士はバビロニアの占星術師と考えられる。バビロニアの占星術は北極星を中心に規則正しく動く星が人間の運命を語り告げると考えた。

ところが、ある夜、不思議な星が現われ、不規則に、予期せぬ方向へと動き出した。その星を見て、博士たちは世界の運命を司っていると考えてきた星を支配し、動かしている方がおられることを知った。そこで彼らはその方に会い、その方を拝むために「その方の星」に促されるように旅立ち、導かれるままに「エルサレムにやって来た」。

「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおいでになりますか。私たちは、東方でその方の星を見たので、拝みに参りました」との博士たちの言葉に、ヘロデ大王も、祭司長や律法学者に代表されるエルサレムの人々=ユダヤ人も恐れ惑った。それは彼らが「その方」が旧約聖書に預言された「メシア=キリスト」であることを知ったからであり、その方によって自分の人生が根底から揺り動かされ、異なる秩序と価値観に生きることに不安を抱き、拒絶したからである。既に幼子殺害を心に決めていたヘロデの「私も行って拝もう」(8)との言葉は端無くもこのことを物語っている。

博士たちが出かけると、東方で見た星が現われ、彼らに先立って進み、その方・幼子のおられる所の上に止まった。喜んだ彼らが家に入ると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、持って来た宝の箱を開け、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

ところで、夢でヘロデの所へ戻るなと御告げを受けたので「別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」。

人は人生を揺るがす出来事や心に響いてくる囁きを通して、神捜しの旅に上る。そして、不思議な導きのもとに、「ついに」その方に出会う。そして、世界を創造し、今も保持し、私たちに生命を与え、生かしているのは、星でもなく、ヘロデやアウグストゥスでもなく、「その方」、「神でありながら・・・・・・人間と同じようになり、飼葉桶に寝かせされ・・・・・・十字架の死のよってまで従われた」(ピリ2・6~8)主イエス・キリストであることを知り、礼拝する。

キリストと出会い、真実の神を発見したその人は、これまでとはちがった新しい人生を生きる。己を神とせず、主キリストの僕として生きる。迷える一匹の羊である私は決して数(99対1)に還元されない固有の価値を持つ存在であること(照ルカ15・3~7)を大切に生きる。「別な道を通る」とはキリストの心を心として生きることである。

幼子キリストに出会い、礼拝した人々は「別の道を通って自分たちの国へ帰って行った」。羊飼いたちも「飼葉桶に寝ておられるみどりごキリスト」を礼拝した後、「帰って行った」(ルカ2・20)。人となられた神・幼子キリストはこの現実世界とそこに生きる私たちの生を肯定し、自分たちの国へ帰り、生きていくよう語りかけておられるのである。それは、この世界は救主キリストが来られることによって新しい世界となったからである。神は人となって罪と暗黒のこの世界に、私たちの間に、住んで下さっているからである(ヨハ1・14)。

二〇〇六年のクリスマスを祝い、幼子キリストに出当たった私たちは、「自分の国へ帰っていき」、二〇〇七年の旅路に上ります。自分たちの国の見える現実はこれまでとは変わらなくても、しかし、その国を、その場所を神が愛し、そこにインマヌエルの主イエス・キリストがおられることを知るとき、私たちは新しい世界に生きていることを知り、神を喜びつつ、自分たちの国に生きていることをできるのです。

受胎告知

2007年12月16日 | 説教要旨・イエスの生涯
ルカ1・26~38/アドヴェント(3)

「主の母」(43)マリアの受胎告知は多くの画家に霊感を与え、その場面を描かせた。「受胎告知を最も信じ難かったのは、マリア本人であったに違いない。が、マリアは『神の御心のまゝになりますように』と、慎ましく、その告知を受け入れたのである。他のいかなる人も至り得ぬ信仰というべきではないか。この絵(フラ・アンジェリコ)こそ聖画の中の聖画だと感じた。この絵に漂う敬虔と清浄は、極めて貴重なものである。正に処女マリアが受胎したというにふさわしく、遺憾なく描き上げた名作と私は言いたい」(三浦綾子「イエス・キリストの生涯」)。

突然現われた天使ガブリエルの「おめでとう。恵まれた方。あなたは神から恵みを受け、身ごもって男の子を生む」との言葉に、怖れ驚き、戸惑ったマリアが「どうしてそのようなことになりえましょう」と尋ねると、御使いは「聖霊があなたに臨み、いと高き方の力があなたを包む。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子です」と、処女懐胎を告げた。マリアは「私は主のはしためです。あなたのおことばどおりこの身になりますように」と答えた。

この清く敬虔な処女、「主の母」(43)となったマリアは「マドンナ=私の憧れの淑女」「ノートルダム=私たちの貴婦人」と慕われ、「聖母」と呼ばれた。このためにマリア自身も母親の胎内に宿った時から原罪の汚れから守られ、霊性に満たされていたと主張されるようになった。しかし、マリア自身は「私は主のはしためです」(38)と言い、「主はこの卑しい(「謙遜」ウルガタ訳)はしために目を留めてくださった」と主を讃美します(48、マグニフィカート/ルター「マリア讃歌」)。

突然の神の現われとことば(協力や許可を願うのではなく、一方的な告知))に戸惑いつつも、マリアは「私は主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように」とその身を明け渡したのです。しかし、このことはヨセフの愛も人々の信望も失い、生涯の苦難、生命の危険(レビ20・10、ヨハ8・1~11)をも招来することでありました。「それでマリアは急いで立ち上がると、ユダの山地にいとこのエリサベツを訪ねていった」(パール・バック「聖書物語」)。エリザベツは「聖霊に満たされて」マリアに言った。「あなたは女の中で祝福された方。主の母。・・・・・・主によって語られたことは必ず実現する(創1・2、イザ55・11/考1・20ザカリア、創18・10~14アブラハムとサラ)と信じきった人は、何と幸いなことでしょう」(42~45)。

「受胎告知」において、私たちが忘れてならないことは「処女懐胎・降誕」という奇蹟よりも「永遠の神の御子が人となられた」ということ(ヨハ1・1~10)です。私たちが讃美すべきは「卑しいはしため」マリアに「目を留め」祝福し、「恵み」を与える神です。私たちが学ぶべきは、神のことば、約束は必ず実現すると信じ、神が賜った恵み、独子キリストを「おことばどおり、この身になりますように」と自分を明け渡し、宿すことです(考ルカ19・1~10)。そして永遠の神のことば、インマヌエルの主と共に、日々、自分の十字架を負って主に従っていくことです。

神が来られる

2007年12月02日 | 説教要旨・イエスの生涯
イザヤ40・1~11/アドヴェント/聖餐式/「イエスの生涯」(1)

きょうはアドヴェント(クリスマスを迎える4週間の準備期間/待降節。古代、支配者が征服した町に入るとき行なった儀式。「来る」の意)第一主日です。また、この時期に演奏されることの多いヘンデルの「メサイヤ」は40・1~4がテナーで歌い出され、「イエスの生涯」を讃頌します。そこで今日から25回にわたって学ぶ「イエスの生涯」の初回として、預言「神が来られる」と題し、お話しいたします。

「慰めよ。慰めよ。わたしの民を」と語り始めるこの聖書箇所は信仰と希望を預言する本書後半部(40章~66章)の序曲です。神は捕囚の民の罪を赦し、苦しみを除き、祖国に帰還させることによってその栄光を現わすと語られています。

「荒野に、主の道を整えよ。砂漠に、私たちの神のために大路を平らにせよ」と呼ばわる声は、イザヤに「宣べ伝えよ」と命じます。しかし、イザヤは「何を宣べ伝えたらよいのか」と、語る言葉を持たず、途方に暮れます。すると声が響きます。「すべて肉なる者は草、その栄光(愛/誠実/麗しさ/力)はみな野の花のようだ。主の息吹きがその上を吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。民は草だ・・・・・・だが私たちの神のことばは永遠に立つ」と。イザヤは自分も、捕囚の民も、神の審きの前には立ち得ない無力な儚い存在であると知ります。捕囚の民は奴隷になったのではなく、土地を得、家を建て、生活も安定し、宗教行事も行なっていました(照エレ29章)。しかし、彼らは壮麗な都とその大路とイシュタル門で繰り広げられるバビロンの神々の行列に圧倒され、神は私たちを見ておられず、私たちの訴えを見過しにされたいる、と「私たちの神」に呟き、信仰に疲れ、弱り、躓き倒れた(40・27~31)。彼らの心は神への疑問、不信仰の荒野と化し、「枯れ、しぼんでいた」。今日の私たちも神を信仰しながら、不条理の中で隠れたる神、見えざる神に呟き、疲れ倒れ、心が荒れ、枯れることを経験したことはなかったか。

そのような心を固く閉ざした民に、神は優しく、心にしみとおるように「労苦は終り、咎は償われた」と語りかけ、慰めよ、と言われます。「私たちの神」「あなたがたの神」は永遠に変わらぬ約束のように「力を帯びて来られ、御腕をもって統治される」。また「羊飼いのようにその群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、ふところに抱き、乳を飲ませる羊を優しく導かれる」。

この神、創造主にして歴史の主なる神が私たちの所に来られ、あの出エジプトの荒野の旅路に雲の柱、火の柱の中にあって先導されたように、また捕囚の民をクロス王の勅令により祖国に帰還させられたように、あらゆる障害物を除き、「主の道を整え」凱旋する王者の如く、荒野の「大路」を先立ち、私たちの咎を償い、罪を赦し、慰め、故国へと導き行かれる(照詩126)。旧約聖書が「待ち望む」ように預言した「あなたがたの神」が来られる。その方こそインマヌエルの主、救主イエス・キリストです。この神キリストと共に旅するとき、荒野はもはや神不在の望みなき場所ではなくなり、神を待ち望む場、すぐ近くにおられる神を知る所となるのです。この「良い知らせ」、キリストの来臨とその生涯を通しての「福音」を伝える者となりましょう。