記念式典には、
ゲストのひとときもありました。
オールフルーツという、
地元のゴスペルグループです。
そのメンバーの一人が
香椎バプテスト教会にいらっしゃいます関係で、
特別にステージが用意されたのです。
ゴスペルとは本来神を讃える歌ですが、
近年は、一種の歌い方やスタイルとして定着しています。
なるべく聖書に関わる歌が選ばれましたが、
いくらかは場を盛り立てる演出もありました。

クラップ(拍手)をするのにも慣れない
ベテランの方々もいらっしゃいまして、
すっととけ込めない様子がないこともなかったのですが、
概ね楽しく弾けるようなステージに、
心が開かれてゆく思いを経験できました。
いろいろな試みが
教会の中でなされていくと、
いろいろな人の心が集まります。
新会堂の、また新しいエポックとなりますように。
ゲストのひとときもありました。
オールフルーツという、
地元のゴスペルグループです。
そのメンバーの一人が
香椎バプテスト教会にいらっしゃいます関係で、
特別にステージが用意されたのです。
ゴスペルとは本来神を讃える歌ですが、
近年は、一種の歌い方やスタイルとして定着しています。
なるべく聖書に関わる歌が選ばれましたが、
いくらかは場を盛り立てる演出もありました。

クラップ(拍手)をするのにも慣れない
ベテランの方々もいらっしゃいまして、
すっととけ込めない様子がないこともなかったのですが、
概ね楽しく弾けるようなステージに、
心が開かれてゆく思いを経験できました。
いろいろな試みが
教会の中でなされていくと、
いろいろな人の心が集まります。
新会堂の、また新しいエポックとなりますように。
20日の朝は記念礼拝。
通常は第二主日である愛餐会を、
今月はこの第三主日に切り替えました。
持ち寄りをお願いしたところ、
集まります、見事なごちそうが。

「馳走」とは、走り回ること。
人をもてなすために、よいものを、と
駆け回って手に入れようとすることから、と言われます。
今月から始まったNHK朝の連続ドラマ、
「ごちそうさん」はまさにそれがテーマでしょう。
そして、このことの説明もなされていました。
まさに、「おもてなし」のことでもあります。
私たちの、主へのおもてなしは如何でしょうか。
震災で依然苦悩の中にいる人々のため、
駆け回って何かを手に入れようと、
あるいは捧げようと、しているでしょうか。
食べ物に事欠く子どもたちが、
今同時にどこかにいることを、
忘れることも、ありませんように。
通常は第二主日である愛餐会を、
今月はこの第三主日に切り替えました。
持ち寄りをお願いしたところ、
集まります、見事なごちそうが。

「馳走」とは、走り回ること。
人をもてなすために、よいものを、と
駆け回って手に入れようとすることから、と言われます。
今月から始まったNHK朝の連続ドラマ、
「ごちそうさん」はまさにそれがテーマでしょう。
そして、このことの説明もなされていました。
まさに、「おもてなし」のことでもあります。
私たちの、主へのおもてなしは如何でしょうか。
震災で依然苦悩の中にいる人々のため、
駆け回って何かを手に入れようと、
あるいは捧げようと、しているでしょうか。
食べ物に事欠く子どもたちが、
今同時にどこかにいることを、
忘れることも、ありませんように。
13日の礼拝における讃美の歌の中で、
一枚の楽譜が配付されました。
教会福音讃美歌405番「御手の中で」です。
分かりやすい今の言葉で、
すぐにでも覚えられる短いメロディ。
手許の歌詞や楽譜を睨みながらではなく、
顔を上げて高らかに歌える曲でした。
それも、短い歌詞ですから、
繰り返し歌います。
もはやどこの教会でも
普通に歌われていると言ってよい、
ワーシップタイプの讃美の歌でした。

声がひとつに重なり、
もしかすると初めてこの讃美を
口にしたかもしれないベテランの方々も、
あまり違和感なく歌ってくださいました。
同じ歌詞の繰り返しは、
単調だとか感情的だとかいう見方もあります。
しかし、言葉が心の中で、体の中で、
噛みしめられ、深く沈潜し、
消化・吸収されていくかのようにも思えます。
礼拝の讃美の中に、
これからも取り入れていくことができたら、と
感じました。
一枚の楽譜が配付されました。
教会福音讃美歌405番「御手の中で」です。
分かりやすい今の言葉で、
すぐにでも覚えられる短いメロディ。
手許の歌詞や楽譜を睨みながらではなく、
顔を上げて高らかに歌える曲でした。
それも、短い歌詞ですから、
繰り返し歌います。
もはやどこの教会でも
普通に歌われていると言ってよい、
ワーシップタイプの讃美の歌でした。

声がひとつに重なり、
もしかすると初めてこの讃美を
口にしたかもしれないベテランの方々も、
あまり違和感なく歌ってくださいました。
同じ歌詞の繰り返しは、
単調だとか感情的だとかいう見方もあります。
しかし、言葉が心の中で、体の中で、
噛みしめられ、深く沈潜し、
消化・吸収されていくかのようにも思えます。
礼拝の讃美の中に、
これからも取り入れていくことができたら、と
感じました。
香椎バプテスト教会は、
この秋、
新会堂献堂20周年を迎えます。
聖書に関するその形状と
自然光を活かした会堂講壇など、
斬新なデザインと機能を備えた教会堂です。
20年の感謝と祈りを、
ここに記念礼拝という形で表すことにしました。
すでに今月1日のこのコーナーで
ご紹介いたしましたとおりですが、
その日ご覧いただく教会の歩みの写真が
ただいま集められております。

幾多のご協力を戴いてありがたいのですが、
20年以上前のアルバムが寄せられました。
案外、この20年間の写真が乏しいわけです。
デジタルカメラの時代になると、
撮影枚数は増えますが、
プリント枚数は逆に減ってきました。
おもしろい現象であるかもしれません。
この秋、
新会堂献堂20周年を迎えます。
聖書に関するその形状と
自然光を活かした会堂講壇など、
斬新なデザインと機能を備えた教会堂です。
20年の感謝と祈りを、
ここに記念礼拝という形で表すことにしました。
すでに今月1日のこのコーナーで
ご紹介いたしましたとおりですが、
その日ご覧いただく教会の歩みの写真が
ただいま集められております。

幾多のご協力を戴いてありがたいのですが、
20年以上前のアルバムが寄せられました。
案外、この20年間の写真が乏しいわけです。
デジタルカメラの時代になると、
撮影枚数は増えますが、
プリント枚数は逆に減ってきました。
おもしろい現象であるかもしれません。
教会の二階の玄関前に
ヒガンバナの鉢がありました。
田圃の畦道に並ぶ風景はよくありますが、
鉢とはまた乙なもの。

彼岸を過ぎると
福岡ではたちまち枯れていく花ですが、
鉢のヒガンバナはまだ輝いていました。
ただ、29日、教会の駐車場のヒガンバナは
ちょっと疲れて色褪せているものがありました。

白いヒガンバナです。
緑の中の赤い色はどぎつく見えますが、
白だと、清々しい感じを伝えてくれるようです。
秋がここから深くなります。
人の心が静かに聖書を真摯に求めるならば、
きっと神が応えてくださることでしょう。
派手な景色ではないかもしれませんが、
いつもの風景のすぐそこに、
大切なものが見え始めることでしょう。
ヒガンバナの鉢がありました。
田圃の畦道に並ぶ風景はよくありますが、
鉢とはまた乙なもの。

彼岸を過ぎると
福岡ではたちまち枯れていく花ですが、
鉢のヒガンバナはまだ輝いていました。
ただ、29日、教会の駐車場のヒガンバナは
ちょっと疲れて色褪せているものがありました。

白いヒガンバナです。
緑の中の赤い色はどぎつく見えますが、
白だと、清々しい感じを伝えてくれるようです。
秋がここから深くなります。
人の心が静かに聖書を真摯に求めるならば、
きっと神が応えてくださることでしょう。
派手な景色ではないかもしれませんが、
いつもの風景のすぐそこに、
大切なものが見え始めることでしょう。