あるタカムラーの墓碑銘

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舞鶴公園 (田辺城)

2007-08-16 21:50:00 | 写真で見る高村薫登場アイテム小事典
地どり一日目、12日の日曜日。
お盆のためか、対向列車の運行や接続が遅れ、西舞鶴駅へは午後2時過ぎに到着。

「な、なんだこの熱風は・・・!」

駅を出た瞬間、ムーンと漂う熱い湿気を含んだ風に、悲鳴をあげたminoringさんと私。その夜のTVニュースで知りましたが、午後1時半で38℃に達していたそうな。ひーっ!

ホテルのフロントに荷物を預かってもらって、すぐさま地どり開始。島田浩二さんの実家のある、南田辺と舞鶴公園へ向かいます。

その夜南田辺の自宅で通夜を行った後、 (旧版『神の火』p13、新版『神の火』(上巻) 文庫p16)

島田は、南田辺にある実家で父の遺品の整理をした。 (旧版『神の火』p25、新版『神の火』(上巻) 文庫p35)

舞鶴公園の端の、古い屋敷町の一角にある家には、手伝いのトメさんが一人いるだけだった。 (旧版『神の火』p25、新版『神の火』(上巻) 文庫p35)

これらの記述を頼りに、後は地図と照らし合わせればOK。西舞鶴駅から北へ真っすぐ、10分もかからずに辿り着きました。





舞鶴公園と田辺城は、イコールだと思って下さい。明治時代に廃された城ですが、城門や櫓、塀などが復元されています。





この復元、地どり三日目に利用したタクシーの運転手さんの話では、「ふるさと一億円」が利用されたらしいです。ということは、『神の火』当時では、復元されていなかったということですね。





城門の上部や櫓の内部は、往時の田辺城を偲ばせる貴重な資料館になっています。それらを拝見すると、約二百数十年もの間、細川氏→京極氏→牧野氏と城主が変わっていった田辺城。西舞鶴湾や建部山の麓にまで広がる、かなり大きな敷地だったようです。





これは城門と櫓を繋ぐ石段から撮影した舞鶴公園。舞鶴の桜の名所としても有名らしいです。この眺めが、島田先生が見なれていた舞鶴公園なのかもしれません。

ちなみに南田辺は、この写真の左側・・・方角では、更に北側。『神の火』当時から十数年は経っていますので、様変わりしているだろうなあ・・・と覚悟はしてましたが、舞鶴公園のすぐ隣に大きな駐車場があり、ちょっとがっかりしてしまいました。

「ひょっとして、取り壊された島田先生のおうちかなあ・・・?」

なので、撮影せず。皆さんの夢を壊しては、ね・・・(苦笑)



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